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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

善悪の種

作者: 横山ヒロト

「世界中の、この動画を見ている皆様へ……」

 

 ネット上に投稿された動画は、そんな挨拶から始まった。

 

 撮影場所は恐らく自分の部屋だろう。画質も音質も近年にしてはあまり良い状態ではなく、安っぽかった。

 

 色の境目が曖昧なその映像の半分以上を占めるのは、覆面を被った若い男の姿。

 

 多種多様な映像を恣意的に全世界に流せる――流せてしまう動画サイトでは、こういう演出も少なくはない。

 

 しかし、その映像は爆発的に再生数を伸ばした。

 

 それは、その少年が醸し出す雰囲気が決してふざけたものではなく、それどころか、どんなに精巧に映画よりもリアルで、悲惨なドキュメンタリー映像より、ずっと身近にある内容だったからだ。

 

 覆面の男は世界に向けて淡々と言葉を並べる。


「日本の方であれば、おそらく知っているでしょう。駅でナイフを持って暴れ、三名の死者、十名もの重軽症者を出したあの事件を」

 

 それは、数日前、日本中を震撼させた衝撃のニュースだった。

 

 皆が浮かれる十二月二十五日。煌めく聖夜。多くの人が賑わう大都市の駅で、二十代後半の男が突如としてサラリーマンの喉笛を切り裂き、次いで大学生のカップル二人を刺し、そのまま暴れ続け、他に十名もの人に重軽傷を負わせ、ようやく取り押さえられた――そんな、恐ろしい事件だった。


「マスコミが『現代の闇』として、競って報道したあの事件の被告の男……。私は――」

 

 覆面の男はふっと悟ったように息を吐き出し、冷静すぎるほど冷静に言葉を並べる。


「私は、その親族です」

 

 告げられたのは衝撃の事実。

 

 しかし、彼の言葉は世界に――一人一人の心に、深い闇を投影していく。


「彼は」男は、親族であるという被告の男をそう表現した。「普通に育っていきました。中学までは。しかし、両親の離婚を期に塞ぎ込むようになり、学校へもいかなくなり、職にも就かず、ずっと生きてきました。

 彼を女手ひとつで育てた彼の母も彼のことを深く心配し、だけど、間違った方法で彼にプレッシャーをかけて、追い込んでいきました。誰も悪くはなかったのです。しかし、誰も正しくはなかったのです。そんな、僅かなズレが、こうして大きな歪みを生んだ」

 

 覆面の男が語るのは、まるで他人事の――それどころか、最近読んだ小説の内容を語るような理路整然とした語り口だったが、言葉のひとつ、音のひと欠片全てが地球の核から流れ出るマグマのように熱く濃厚だった。


「連日マスコミはこの件を取り上げた。世間の関心も大きかった。……それはそうでしょうね。なぜなら、こんなに面白いことはない。幸せとは他人の不幸を見ているうちに起こる快い感情なのですから」

 

 覆面の男は『悪魔の辞典』を引用してそう言った。

 

 熱く濃厚なマグマの感情を、永久凍土の氷の如き言葉の殻で包み込んで。


「日本は……いや、ほぼすべての資本主義の国は最大多数の幸福の為に弱者を切り捨てている。みなさんはそうして、平和を貪っているのです。どんな綺麗事を並べても、これは変りようのない厳然たる事実です。

 確かに、彼は悪なのでしょう。人の命を奪ったのですから。そして、その家族もまた悪なのでしょう。彼をそのようにしてしまったのですから。しかし、この社会はそんな彼を切り捨てるようなシステムになっているのです。彼のような腐りそうな枝葉を剪定して他の枝葉を生かすことこそが、資本主義というシステムなのです。そして我々はそれを当然として受け入れるように遺伝子に基本プログラムとして刻み込まれている。それこそが虚構の永遠を我々に見せる進化と繁栄の本当の姿なのです」

 

 覆面の男は自然選択論に基づいたような自説を述べる。

 

 しかし、それは誰に向けてなのか、いまいち判然としない部分があった。他人に向けて語るにはあまりに不親切で、自分に向けて語るにはあまりに形骸化した言葉の羅列であったからだ。

 

 パソコンのモニターの前にいる視聴者達はその無意味なようで意味深なアンバランスさに惹きつけられていった。


「では、『社会』とは善なるものなのでしょうか? 彼やその家族を責め立てられるような善であると仮定するならば、そこに組み込まれた我々――彼やその家族も善であるので、悪などは生まれるはずもない。

 逆に彼やその家族を『悪』とするならば、それを生み出した社会もまた悪であり、社会は彼や家族を責める立場にないと言える。……これはね、この破綻した社会というシステムが抱える矛盾(パラドックス)なんですよ」

 

 覆面の男が語ることは、ただの言葉遊びのようにも聞こえたが、しかしそれを完璧に否定することは誰にも出来はしなかった。それは人間が人間であるからこそ証明できない、ある意味では神の領域ともいえる、人間の起源を追及するような言葉だったからだ。

 

 世界の人々に悪魔の証明を突き付ける覆面の男は、それでも淡々と語り続ける。


「皆様が善なるもの、個人を守るもの、と信じる社会の結果をいまお見せしましょう――」

 

 覆面の男は立ち上がり、カメラを取り外しているのだろう、ガサガサという音と、暗い画面だけが流れる映像に、しかしその動画に辿り着いた数少ない視聴者達はそこから目を離すことができなかった。

 

 移動する足音と共に画面下のシークバーがゆっくりと右へと進む。

 そして、足音が止まる。


「これが、正しい世界ですか?」

 

 その言葉を契機に、カメラは真っ暗な部屋へと視点を変える。

 

 そこにはあったのは――――




 天井から下がる紐、そしてその下にぶら下がる女の影だった。




 衝撃的な映像は数秒で覆面の男の目のアップに切り替わる。深淵を覗きこむような黒々とした瞳が、視聴者達の心に大きな穴を穿つ。


「これが、この社会の真実です。だから私はもう一度問います。社会は――そして、貴方は善ですか? 悪ですか?」

 


 暗転。



 動画はそこで終わった。

 

 その悲惨なメッセージの籠められた動画は数日で削除されたが、その間に再生数は百万を優に超え、その社会と人間の本質を問う、善悪の種は世界中にばら撒かれた。

 

 覆面の男の行方を知る者はいない。

 

 ただ、彼が残した善悪の種は、人々の心に根を下ろし、少しずつだが確実に成長する。

 

 果たして、その種子はどのような枝葉となり、どのような花を咲かせるのか。

 

 その時はまだ、誰も知らなかった。


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