第二話 『哀しみに暮れる暇もなく』
照りつける日射し。ギルドから出た瞬間襲ってくる光に目を細める。
最近よく眠れていない身体には、この日射しは毒みたいなものだ。
精神がジリジリと削られていく感覚だが、依頼を受けた以上さっさと終わらせるしかない。
そう思って歩き出したのだが、細めて狭くなった視界に映る近付いてくる人物。
彼女の浮かべている笑顔が、妙に癪に触った。
「カンザキさんっ!」
「……エミル姉か」
近付いてきた人物は、この『アドマンド王国』の王女、エミリア・トーマ・アドマンドだ。
随分久し振りに感じる。
最後に会ったのは、迷宮に入る前に訪れた王宮でだろう。
迷宮……イリスの事が頭によぎり、俺は咄嗟に頭を振って考えを放棄した。
「久し振りだな、カンザキ」
「お前も来ていたのか、デリック」
エミル姉に追随するようにもう一人。
かつて俺と戦い、そして友人になった貴族であるデリックだ。
「私は貴様の見舞いには何度も足を運んでいたのだ。ずっと眠りこけていた貴様が目を覚ましたとあれば、顔を見に行くことは別におかしなことではないだろう?」
「あぁ、そういえばセーラが言っていたな」
デリックは俺が意識を失って病室に横になっている時、何度も足を運び、俺の心配をしていたそうだ。
貴族で王宮騎士だというのに、よくそんなに暇があるものだ。
「私もとても心配していましたよ。カンザキさんが迷宮から帰ってきて意識不明の重体だと聞いて、いてもたってもいられませんでした。私は王女という身であるため、デリックのように頻繁に足を運べなかったのですが、今日やっと見舞いに来れたんですよ!」
「まぁ、そういうことで今日は貴様に会いに来たのだ。退院したと聞いて、ここにいると思ったんだが、やはり当たっていたようだな」
エミル姉もデリックも、本当に俺の身を案じてくれている。声を出して、微笑んで、俺の無事を喜んでくれている。
思えば、先程のアランさんもティオさんも、俺の事を思っての行動だったのだ。
それなのに俺はあの人たちに自分勝手な怒りを吐き出し、酷い仕打ちを与えた。
「……俺はバカかよ」
「……? どうかしましたか?」
謝らないと。
そう思って、俺はエミル姉達に背を向けてギルドに戻ろうとした――
『私が全部受け止めますから。過ちを犯したソラ様でも、私は拒絶なんてするわけない』
「――――」
ふいに頭によぎる言葉。
大切な仲間だった人の言葉。
『だって――』
「――――」
その言葉は、俺にとって救いの言葉。
あの時、俺の心を震わせてくれた言葉。
そして、
『――私はソラ様が好きだから』
――今では俺を蝕む『呪い』だった。
「どうかしたのか、カンザキ? ギルドに用でも?」
「カンザキさん。もしなにかご用があるのなら、私たちの事は気にしないでもいいですよ? 私たちは私たちで街を散策しますし」
背中にかかる声。それに応えるべく、俺はギルドへと足を向けた身体を、二人の向かうように振り返った。
心配そうな目。思いやるような視線。
……そんな目で、俺を見るな。
「大丈夫だ。なにか用があった気がしたんだけど、忘れちまったんだよ」
優しい言葉をかけられてしまうと、笑顔を向けられてしまうと、俺は信じてしまうではないか。
かつてイリスに与えられた優しい言葉の数々。それを信じきってしまって、縋ってしまって、それで裏切られた時の絶望を忘れることは出来ない。
待っていれば、必ずイリスは戻ってくる。
そんな幻想に捕らわれて、病室で待ち続けたあの無意味な時間。そこで俺は気付いたんだ。
――人は平気で嘘が吐ける、醜い生き物なのだと。
「そうか、ならいいんだが……っておい、何処に行くんだ?」
「何処って……決まってんだろ? 俺は冒険者なんだから、依頼を終わらせてくるんだよ」
「今からか? いや、あのハーフエルフを待たなくてもいいのか?」
「……どうでもいいだろ?」
デリックの問いかけに、また思わず冷たい言葉を吐き捨ててしまう。
まるで条件反射のように発してしまう言葉。それは一種の保護機能にでもなっているのかも知れない。辛いことを、思い出さないように……。
俺の事情を知らないデリックは、決闘の時以来の怒りを顔に露にする。
「貴様、そんな言い草……私は聞いただけだぞ? 不機嫌だからといって、そんな態度を取るんじゃない。そのままだと、あのハーフエルフにも見捨てられてしまうぞ」
「で、デリック! 幾らなんでもそういう事を言っては駄目です!」
「で、ですが……! ……すまない。つい頭に血が昇ってしまった。許してくれ、カンザキ」
売り言葉に買い言葉。
つい口に出してしまったデリックの言葉は、グサリと俺の胸を抉った。
悪気はなかったのだろう。だから、俺の心には怒りよりも納得の感情が浮かんできていた。
「いや、デリックの言う通りだよ。こんなんだから、俺はイリスに見捨てられたのかもしれない。他人の事を慮る事が出来ない、最低な人間だから……」
「見捨てられた……? イリスさんとなにかあったのですか?」
「そのままの意味だよ。迷宮から帰ってきて、俺が目を覚ました時にはイリスは既に俺の所から去っていた。俺になにも言わず……な」
なにも言わないって事は、後ろめたいことがあったから。或いは、顔を合わせづらかったからだろう。
まぁ、どっちも殆ど同じことだし、理由も大体判っている。
そりゃ、あれだけ散々一緒にいるって言っていたのに、奴隷から解放されたから離れたいなんて言えないだろう。
信じていたのに。あの言葉は本心だと思っていたのに。結局全部イリスの嘘だったって事だ。
まったく、情けなくて笑えてくる。
「バカな……彼女は貴様の心配を誰よりもしていたぞ? 見舞いの時に顔を合わせた私なら判るが、そんな……」
「イリスは嘘を吐くのが誰よりも得意だからな。俺だって彼女の事は信頼していたし、大切に思っていた。まさか、騙されているとは思いもよらなかったよ」
本当に、なんでイリスは……。
イリスを貶す言葉を、陥れる言葉を口に出す度に心が傷付いていく。
イリスは悪くないのに……悪いのは俺だと言うのに。
「そんなことは……! カンザキさんの事を彼女は誰よりも……!」
「ティオさんも言ってたけど、俺にとっちゃ結果が全てだよ。もう結果は出ているんだから。イリスは居ないっていう結果がさ」
何度も何度も、現実を目の当たりにしているのだ。
朝、目が覚めると朝の挨拶をしてくれる彼女がいない。
もう、俺の側にイリスはいないから。
「もういいだろ? 今から行かないと日が暮れちまうし、依頼に行かしてくれ」
「で、でも……」
「エミリア様……これ以上はカンザキが辛い。私たちは来るタイミングを誤ったんですよ。すまないカンザキ。事情も知らず、お前の傷を抉ってしまったな」
「良いんだよ。ただ、少し一人にさせてくれ」
悲痛な光を目に宿しているエミル姉を一瞥し、俺は魔物を狩りに街の外へ向かう。
俺の事を思いやってくれたデリックや最後まで心配してくれたエミル姉。それにアランさんやティオさん。
今だけは、その優しさがとても辛かった。
◇ ◇ ◇
「――ハァッ!」
一閃。
今日の依頼対象である『デストレント』を切り裂き、息の根……まぁ、息の根を止める。
デストレントは酸性の実を投げてくる厄介な魔物だが、動きは単調なため、躱せばどうということはない。
今の敏捷が高い俺なら、回避するのは簡単だし、割りのいい依頼だ。
「さて、帰るか」
デストレントの討伐証明部位である根を切り落とし、街へ戻ろうとする。
この帰り道、何時もならイリスが話し掛けていたのに、隣の空白がやけに寒い。
「……慣れないとな」
この生活にも慣れないと。そう思って俺は歩みを進めたのだが、
「……? なんだ? なにかが、こっちに近付いてきている……それも複数だ」
『索敵』で感じ取った大きな気配。
明らかに俺の場所へと近付いてきている。
「そういえばデストレントの実は、魔物を呼び寄せる特別な匂いがあるって聞いたことがあるな……まさか、そのせいなのか!?」
デストレントから離れればいいだけなのだが、俺が離れようとしても、反応は俺の方へ向かってきている。近付いてきている『ナニカ』は、俺の事も察知したみたいだ。
「そりゃあ、なにもないより獲物の方だよな。このまま逃げるわけにもいかねえか。逃げてしまえば、街の皆にも被害が及ぶだろうし」
覚悟は出来た。
刀を抜き、近付く魔物を迎える。
オークよりも大きいし、それに強いだろう。
獲物の発見が早いということは、敵も相当嗅覚等の五感に優れているのだから。
そして、遂に『ナニカ』が姿を現した。
赤い皮膚をした、大きな『鬼』が六体。
「……『オーガ』か……!」
現れたのはDランクに位置するオーガだ。
かつて俺とイリスが死闘を繰り広げた変異種のオーガとは別物だが、それでも強い。
それが六体……明らかに分が悪いだろう。
「グガァァァァァァァッ!」
「チッ……! 前も思ったが、オーガがこんな偶然に、しかも六体も一気に集まるわけがない。誰かが絡んでいるとしか考えられねぇだろ……!」
一、二体ならまだ判るが、六体は流石に出来すぎだ。自然に……というわけではないだろう。
「イリスがいない今じゃ……この六体を相手にするのは……いや、違う!」
一瞬弱気になった心を震わせてくれた奮い立たせるように吠える。
「俺一人でもなんとかなる……そうだ。『RWO』でも俺は殆ど一人でなんとかしてきたんだ。不可能なんて言葉はねぇ!」
俺は出来るんだ。
そう言って弱気になった心を誤魔化す。
死にたくないし、負けたくない。イリスがいないとなにも出来ないような、そんな役立たずに成り下がりたくないから。
もう、誰にも見捨てられたくないから。
迷宮での死闘を思い出し、俺はオーガに向かって飛び掛かった。