閑話 『イリスの不審な行動』
「お疲れ様でした。カンザキさん、イリスさん。はい、今回の報酬です」
「ありがとうございます、ティオさん」
今日もギルドの依頼をこなし、ティオさんから報奨金を受けとる。
最初に比べればレベルも上がり、ステータスも上がっているため高めのランクの魔物も狩ることが出来るようになった。
バイトもろくに経験してない俺にとって、お金を貰えるこの瞬間はやっぱり嬉しい。
貰った報酬の半分をインベントリに仕舞い、残りの半分の一部をイリスに渡した。
「お疲れ、イリス。今日の分の依頼はこなしたし、今から自由時間にしよう。いつも言っているように、その金は使いきっても貯金してもいいから、自由に使えよ?」
「はい! ありがとうございます! 早速ですが、少しお暇をいただきますねっ」
「おう、気を付けてな。知らない人に付いて行っちゃいけませんからね」
「私は子供ですか……」
イリスは渡した報酬を握りしめ、小走りでギルドから出ていく。
心底楽しそうな笑顔で走り去っていく姿を、周りの冒険者達と同じように目で追ってしまった。
どこか面白くない。
小さく溜め息を吐き、ティオさんの方へ向き返ると、彼女はニヤニヤと頬を緩ませていた。
「……なんですかティオさん。そんな邪悪な笑みを浮かべて」
「どんな笑みですか……。いやですね、カンザキさんの表情が飼い主に捨てられた子犬みたいな顔をしていたので。なんか、その、面白くて……っ!」
堪えきれないといった様子で顔を真っ赤にするティオさん。
どこか色っぽいと思う反面、弄られているという事実に頬が引き攣る。
「……まぁ、あながち間違いではないんですよ。ここ最近、イリスは俺と離れて別行動しているので。別に束縛したいわけではないんですけど、やっぱり寂しくはなりますよ」
そうだ。この感情は寂しい、だ。
まだ出会って少ししか経っていないが、それでも異世界に来てからはイリスが一番長く俺と過ごしているんだ。
イリスは俺にとって家族みたいなものだし、それでいて子供のような感じもする。
なんか子離れに寂しく思うお父さんのような感じだ。
「あれじゃないですか? 女の子なんですし、服とか雑貨とか、そういうのを買っているのかもしれませんよ? ほら、下着なんかは男性とは一緒に買いたいとは思わないでしょうし」
「そういうのはリア充とかが経験する一大イベントですよ。俺だって一度は経験してみたいぜ……」
「りあ……じゅう?」
よく漫画やギャルゲーでもお買い物イベントは存在する。
ヒロインとデートしながら彼女の服とか選んだりして、なんだかんだでトラブルが起きて更衣室で着替えを目撃したり……とか。
まぁ、現実にそんなことがないことは知っているわけで、妄想の産物として簡単に片付けられてしまう。
そういえば、妹のユキにはよく休日に服を買うのに連れ出され、更衣室ハプニングが起こることも少なくなかった。
まぁ、妹だからノーカウントではあるが。
「あ、もしかしたらアレかもしれませんよ?」
「なんですか、アレって?」
「イリスさんだって女性ですし、好きな人が出来たとか。もしかしたら恋人でも出来たのかも! ……まぁ、好きな人は目の前にいるんですけどね」
ティオさんの後半の言葉はよく聞き取れなかった。が、問題はそこではない。
俺は小さく鼻を鳴らし、ティオさんを睨み付ける。
「ひぅッ!」と悲鳴を上げたティオさん。でも、そんなことは今の俺にとってはどうでもよかった。
「イリスに好きな人……? 恋人……?」
「あ、あの……カンザキ、さん?」
「あの天使のように優しくて可愛いウチのイリスに、恋人ですって? ……冗談でも、そんなこと言わないでもらえますか」
「ご、ごめんなさいぃ……!」
目に涙を浮かばせながら自分の失言に対する謝罪をするティオさん。
少し怖がらせ過ぎたか? という反省もありつつ、ふざけたこと言うんじゃないという苛立ちもあるため、こちらの非を認めるのはそんな容易ではなかった。
というか、俺はこんなにキレやすかっただろうか?
そう考えていると、後ろから敵意の視線が感じられた。
反射的にふりむくと、アランさんを含めた男性冒険者方が笑顔を俺に向けて浮かべていた。
だが、その目は確実に笑っていない。
「い、いや、俺も悪かったんでそんな気にしないでくださいよ! ティオさんの言葉は水に流しますから!」
「どう考えても全部てめぇが悪いだろうが!」
「いってぇ!」
ティオさんをフォローした瞬間、アランさんが俺の頭に拳骨を食らわす。
脳天に穴が開いたかと思う感覚と、視界に星が見えた。親父の拳骨よりも痛い。
「な、なにするんですかアランさんっ!」
「なにお前が譲歩したみたいになってんだよ。よく考えなくてもお前が悪いんだよ! なに被害者面してんの!?」
よくよく考えると確かに俺に非がある気がしないでもない。
確かに少し……ほんの少しだけティオさんには悪いことしたかも、そう思った。
「ったく……カンザキ、お前は少し落ち着け。特にイリスちゃんの話をしているときはお前冷静じゃないぞ?」
「失敬な。俺はいつも冷静沈着な男ですよ」
「お前の頭に治癒魔法かけた方が良いかもな」
アランさんが何故かジト目で俺を見る。
治癒魔法? 別に今日の魔物討伐でも頭に怪我などしていなかったが。
「で、でも、本当にカンザキさんはイリスさんのことになると、お父さんみたいになりますよね」
「お父さんって……俺は保護者のつもりだから、あながち間違いじゃないんですけどね」
「寧ろお前が保護されてないか?」
アランさんの言葉を無視しつつ、ティオさんの言葉を反芻する。
イリスは俺にとって大切な人だ。家族みたいなものだ。だから、俺がイリスを心配することはなにもおかしくはない。
ふと、イリスの隣に『お義父さん!』って言ってくる男がいることを想像してみる。
ふむ…………――
「――娘が欲しければ、俺を倒してみやがれ!」
「ティオちゃん、腕のいい治癒師を紹介してやってくれ。コイツはもう駄目だ」
「至急、手配させてもらいますね」
アランさんとティオさんの呟きは、溜め息と共に吐き出された。
◇ ◇ ◇
帰路。
あの後アランさんや他の冒険者の人達と話していて、今はもうすっかり夕方だ。
イリスには夕方には宿に戻るように言っているから、既に宿で俺の帰りを待っているのだろう。
「それにしても、本当にイリスはどうしちゃったんだろうな……」
ここ最近のイリスは、俺と一緒にいたくないように見える。
先日も俺はイリスに付き合おうとしていたのだが、
『お願いです、付いて来ないで下さい! ソラ様は皆さんと何処か息抜きしてはどうですか?』
と言われてしまったし、明らかに避けてる。
これは親とか関係なく、本当に反抗期なのかもしれない。
「まぁ、依頼の時は至って普通だし、考えても仕方ないかもな」
イリスの態度が変わるのは休日や依頼の後だ。だから嫌われてはいないと思う。
頭を振って嫌な考えを振り払い、宿まで早足で向かう。
宿の中。食堂から聞こえてくる喧騒が激しく、いつも通りの賑わいだ。
「帰ってきたね、カンザキ。おかえり」
「ただいまです、ドリーさん」
忙しなく料理を運んでいるドリーさんが俺に気付き、迎えてくれた。
運んでいるのはシチュー。俺がこの宿で初めて食べた食事と同じメニューだ。
まろやかな香りに、思わず腹が鳴った。
「今日はシチューですか。美味しそうですね。魔物討伐で疲れてるんで、もうお腹ペコペコですよ」
「あぁ、今日はシチューだよ。ただし、アンタの分はないけどね」
「ええっ!? 金払ってますよね! なんなんですか、俺が悪いんですか。謝るんで食事を出してくださいよ!」
なにかやらかした覚えなどないが、ドリーさんを怒らせたのかもしれない。彼女は怖い。ならば穏便に済ませるためにも謝罪するが吉だ。言い訳などしない。プライドよりも目の前のシチュー。
「別に謝らなくてもいいんだが……。ふぅ、イリスちゃんは食堂にいるから、そのまま食堂に来な。行けば判るよ」
「イリスが?」
彼女が俺より先に食堂へ向かうことなど初めてだ。基本は部屋で俺のことを待っているのだが、珍しい。
ドリーさんの後ろに着いていくように食堂に向かうと、イリスの姿があった。
ただし、イリスは席に座っているわけでなく、
「おかえりなさい、ソラ様!」
「ただい……なぁ、なんでイリスがキッチンに立っているんだ?」
イリスはキッチンで俺に向かって手を振っていた。
俺の疑問に答えることなく、イリスはなにやら鍋からなにかを掬って皿によそっていく。
俺はドリーさんに席に案内され、座らされた。今の俺にはイリスを待つことしか出来ない。
「驚くだろうね。イリスちゃん、アンタの為にこの数日頑張っていたんだから」
「えっ? それってどういう……」
「――お待たせしました!」
ドリーさんの意味ありげな言葉。それの意味は、イリスが持ってきた料理を見て判明した。
イリスが持ってきた料理は煮物。ゴロゴロと入ったジャガイモに、肉や人参、スライスされた玉ねぎまで入っていて――
「これって……もしかして」
「はい! ソラ様の故郷の『ニクジャガ』ですよ!」
まだ湯気を上げるそれは作りたてであることが判る。香る野菜の甘い香りと懐かしい匂いに、俺は暫く声を出すことが出来なかった。
「今日で、私とソラ様が出会ってから一ヶ月が経ちます。なので、感謝の気持ちを伝えたかったんです。」
イリスは照れるように笑う。
「ソラ様の世界の料理では、『オフクロの味』というものがこの『ニクジャガ』だと聞いたので、ここ数日一生懸命作ってみたんですよ」
確かに、前にイリスに肉じゃがについて深く聞かれた覚えがある。
「イリス……」
「流石に美味しく作れた自信はありませんけど、これが私の感謝の気持ちです。どうか、食べてください」
イリスに俺自作の箸を渡され、ゆっくりと皿に乗っかるじゃがいもを口に運ぶ。
咀嚼すると、じゃがいもの甘みが口に広がる。少し固いし、焦げたような苦味もある。でも、肉の旨味も色々なコクも、じゃがいもから感じられた。
味わうように噛み締め、嚥下する。
そして不安そうに見つめるイリスに振り向き、
「――美味しいよ、イリス」
「ほ、本当ですか!?」
笑顔を浮かべる。
イリスはそれに釣られるように満面の笑みを浮かべ、眼が徐々に潤んできていた。
俺は再び肉じゃがを噛み締める。
「俺も、この一ヶ月ありがとう。これからも、よろしく頼むよ」
「…………はいっ!」
懐かしい故郷の味を堪能し、イリスと笑い合う。
こんな日々がこれからも続けばいい。そう願った。
しかし、このようにイリスと再び笑える日の終わりが近いこと。
このときの俺はまだ――知る由もなかった。
◇ ◇ ◇
――後日。
「イリス、俺も肉じゃが作ってみたんだけど、どうかな?」
「美味しくて、切ないです。私の頑張り……涙が出てきましたよぉ」