幕間 『迷宮での密談』
来訪者は去り、彼女だけが残される。
過ぎてしまえばあっという間で、物音一つしない静寂な世界が訪れた。
ここには黒髪の少年も、ハーフエルフの少女も、そして『彼女』もいない。
残るはこの迷宮の主だけである。
「……そうですか。『貴女』が現れたということは、『彼』は……」
震えた声でそう呟く。
感情を抑えきれていない。感極まった感情が、声の震えとして伝わってくる。
今だけは、感情を殺しきることなど出来ないから。
「…………ふむ。ところで、そこにいるのは誰かな?」
暫く深い呼吸をして感情を落ち着かせた彼女が、背後に向かって声をかける。
確信を持ったその言葉。だが、彼女の言う通り、背後の岩場の陰から青年が姿を現した。
「何時から気付いていたのですか?」
「最初からだよ。ボクとソラ・カンザキとの決着がつく少し前から見ていたよね? 君は」
肩をすくめながら質問をする青年に、迷宮の主――ウルが不敵に笑みを浮かべる。
実際、彼女ほどの実力者。そして迷宮の主ということを考えれば、気配を感じることなんて造作もないことだろう。
「最初から気付かれていたとは……オレもまだまだですね。まぁ、流石に貴女を完璧に騙しきれるとは思ってはいませんでしたが」
「よくそこまで飄々と話せるものだね。君からは、絶対に見つかる気はないっていう感情が感じ取れたけど、それは違うっていうのかい?」
「ははっ、お手上げですよ。オレの負けです」
青年は両手を軽く上げて負けを認める。
食えない男だ、そうウルは思った。
勝ち負けなどどうでもよいくせに、口からはあらゆる出任せで紛らわす。
飽きない男だが、何処か気味の悪い。
「ところで……泣いていらしたんですか?」
「――――」
「隠しているつもりかもしれませんが、鼻声ですし、目元も少し赤いですよ。それで気付かない方こそおかしいでしょう」
「…………本当につくづく気に触る男だよ」
ウルは青年の指摘に否定しなかった。
無言。それだけで指摘に対する答えは出ていた。
頬を掻きつつ、ウルは青年の方へ身体を反転させる。
「……ふむ、君がここにいるってことは、ソラ・カンザキを連れてきたのは君だったのか。ということは、君の『ご先祖様』は約束を護ってくれたんだね」
「えぇ、ウチの家訓にもなっているくらいですからね。よほど貴女が恐ろしかったんでしょうね」
「『俺は最強の勇者だ!』みたいに調子乗っていたからね。出鼻を挫いてあげたら怯えてしまってね。折角だから利用させてもらったんだよ」
一息、ウルは改めて青年の顔を見つめ、
「『君は末代まで、ここに来るに値する【選ばれし人間】を連れてくるんだ。これは命令だよ。破棄することは出来ないし、聞かなければ君を殺してあげる』ってね。正直、あの彼よりも君の方が見込みがありそうだ」
「ハハッ、それは光栄なことです。少なくともあの人は『五代目勇者』でしたし、実力は確かだったとは思うんですが」
「別に弱くは無かったんだけど、彼は力を過信し過ぎてたからね。少し自信を折ってあげただけで、直ぐに崩れていったよ」
ウルはかつてこの迷宮に訪れた、やけに自尊心の高い青年を思い出す。
確かに実力は高く、勇者としての資格は十分だった。
だが、それだけだ。
その自尊心は硝子のように脆く、少しヒビを入れるだけで簡単に割れてしまう。
恐怖を植え付けることなど、容易だった。
あの彼と比べれば、目の前にいる青年の方がよほど危険に思える。
「ということは、私も貴女に自尊心というものを折られるのでしょうかね」
軽口を叩く青年。実際にはそんなこと少しも思っていないくせに。食えない男だと、ウルは鼻をスンッと鳴らした。
「いや、その心配はいらないよ。君が連れてきたソラ・カンザキは『候補者』ではなく、『本物』だよ。彼以外の人間など考えられないだろう」
ウルは美しい微笑を浮かべる。
こんなにも嬉しいことはない。様々な感情が渦巻くが、大半は『歓喜』の部類だ。
求めて、願って、そして目の前についに現れた希望。
それを抑えろと言うほうが無理があるだろう。
「引き続き、ソラのことを頼むよ。キール君」
「……はい。御身の望むままに」
ウルの言葉に、青年――キールは膝をつき、深く頭を下げる。
その姿は主従関係、または王と家臣のような関係だ。それは、あながち間違ってはいないのだろう。
キールは、ウル達の忠実なる下僕なのだから。
キールはゆっくりと立ち上がり、再び深く頭を下げて迷宮の闇の奥に走り去っていく。
今度こそ静寂に包まれる迷宮内。
ソラやイリス、来訪者の『彼女』やキールが去り、一人残されたウル。
賑やかとは種別が違うだろうが、何年ぶりかと騒がしい楽しい時間だった。思い出すだけでも笑みが零れる。
軽く上を見上げ、瞠目をする。
「あの『貴女』が現れたということは、ソラはやはり……そうなのですね。誰よりも罪を、重荷を背負った『貴女』が……」
美しい金髪の『あの人』。
彼女の笑顔を見るのはいったい何時振りだろうか。そう考えるだけでも、目頭が熱くなっていく。
「……やっと、止まっていた時間が、動き、だす」
響く嗚咽。
――彼女は一人、静寂の中で涙を流し続けた。