エピローグ 『待ち人は来ず、彼はされど待ち続ける』
これにて二章完結です。
『――ラ様っ! ソラ、様……! だい、す――ですからッ』
誰かの泣いている声が聞こえる。
暖かくて、優しくて、そして酷く悲しい。
でも、何故だろう。嬉しいのは何故だろう。
『――ど、うして……! どうして! 貴方の、せい、で……!』
胸が張り裂けそうなくらい、何故か心に響く声が聞こえる。
触れてもいいのだろうか。でも、手を伸ばす資格なんて、自分にはない。
どうすれば、いいのだろうか。
『――頼みが、あるんです』
意思を持った声が聞こえる。揺るぎない意思と、力を。
でも、自分にやれることなんて、本当にあるのだろうか。
彼女の思いを、意思を、受け取ることなんて出来ない。
――そして、
『――おね、がい……ッ。いか、ないで……!』
――泣かせてはいけないと、そう思った。
◇ ◇ ◇
「――……んっ……」
目を開く。
まだ眠気が収まらない重い瞼を開き、光を受け入れる。
暗い暗い迷宮内ではない。目に映るのは木造の天井。
「……知らない天井だ」
実際にこんな天井は知らない。俺は迷宮にいた筈なんだから。
天井を眺め、そして自分の状態に気づく。
俺はどうやらベッドの上に寝かされているようだ。かけてある布から見える腕には、包帯があちこちに巻いてある。
夢ではない。確かに俺は迷宮にいた。激闘のことは身体が覚えている。
でも、どうやって脱出したんだっけ?
確かウルと戦ったんだ。ウルと戦って、なんとか勝利を収めて、そして……!
「そうだ! イリスは……ぅぐッ!」
立ち上がろうと身体を上げようとすると、全身に痛みが走った。
それと同時に気だるさが襲ってきて、俺は力なくベッドに身体を預けた。
あれからどうなったんだ? イリスは? いったいなにがあったって言うんだ。
もどかしい身体に思わず歯噛みをする。
魔法を使って無理やり身体を癒そうとするが、別に外傷なと、身体に目立った様子はない。内臓や骨を痛めているようだ。
高位の治癒魔法を使おうにも、意識がしっかりとしていない今の状態では、使えたとしても初級魔法が限度だろう。
不甲斐ない自分。自分に向けた怒りと失望を、溜め息と共に吐き出した。
「――む? 起きていたのか、ソラ」
ふいに扉が開き、誰かが入ってきた。
その人物は紅い髪を揺らし、薔薇の模様がついた白い鎧に身を包んでいる。
随分と、久し振りな気がする。
「…………セーラ」
「おはようだ、ソラ」
現れたのは、セーラ・クリスティアだった。
◇ ◇ ◇
ここは負傷者が集まる施設。つまり病院のようなものだ。
見舞いに来たセーラからそう説明されたのだが……、
「良かったよ、ソラが目を覚まして。心配していたんだぞ? あ、リンガ持ってきたんだが、食べるか?」
「いや、今はいらねぇ……」
ベッドの横の椅子に座り、剥いたリンガをムシャムシャと食べ始めるセーラ。
おい、それは俺の見舞いじゃなかったのか?
「んぐ、取り合えず……もぐ、ソラが眠っている、むぐ、間の事を説明しようか」
「取り合えずお前は、食ってるもんをさっさと飲み込め」
口にいれている状態ではなにも聞こえない。てか、行儀が悪い。
自由にもお茶を入れて一息ついたセーラの頭を殴りたい衝動に襲われたが、その前にセーラが話を始める。
「先ず、ソラ。君は五日間眠り続けていた」
「へぇ、五日間……五日間!?」
どんだけ寝ているんだ俺は……。日本に住んでいた時でも、二日が限界だった。まさかその最長記録を二倍以上も塗り替えるなんて。
「原因は極度の魔力涸渇による衰弱と疲労だ。『治癒師』達も驚いていたよ。こんなに魔力を消費して生還してくる患者は初めてだ……とな」
「まぁ、確かに絞り尽くした気はするな。あの時、限界まで魔力を……?」
いや、待てよ。
確かに俺はウルとの戦いで魔力を限界まで使った。でも、俺は少しは魔力を保有していた筈だ。立って意識を保てる魔力は持ち合わせていた筈だ。
なのに、俺は魔力が涸渇していた? おかしい。なにがあった?
まさか、あの乱入者に襲撃された時に、魔力を奪われたというのか……?
そんなの、有り得るのだろうか。
「どうかしたか、ソラ?」
「……いや、考えても仕方ないか」
あの乱入者のことを考えても仕方ない。今は安静にして、身体を休めることが大切なのだろう。
それよりも、だ。
「ところでイリスは? アイツは無事なのか! それに俺はいったいどうやって迷宮から帰ってこれたんだ!?」
「落ち着け、ソラ。イリスちゃんなら君とは違って軽傷だ。と言っても、一日は安静にしていたのだが。何時もなら私が来るより前に彼女が来ているのだが、今日はまだ遅いみたいだな。その内来るだろう」
「そう、か……」
良かった。心の底から安堵する。
俺が意識を失い、イリスだけしか残っていなかった。もし彼女を失ってしまう……そう想像するだけで身体が震えてくる。
イリスは俺にとって、既に家族のような大切な人だ。失ってはならない。護りたい。一緒にいたいと思えるほどに。
だから、視界がぼやけているのは気のせいなんだ。
「と言っても、そなたを背負ったイリスちゃんが『転移魔法陣』から現れたんだ」
「俺を背負って?」
「私はその時、ちょうどギルドに顔を出していたのだ。ギルドの役員達が慌ただしくしていたから、私も様子を確認するために中に入ったんだ。そしたら、血塗れでボロボロのソラとイリスちゃんが魔法陣に倒れていたのさ」
イリスが、俺を背負って……。
本当に不甲斐ない。俺が意識を失ってから何があったのか聞きたいが、それはイリスが来てからだろう。
とにかく、無事で良かったと喜ぶべきなんだろう。
「狼狽えてそなた達を治療しようとした私たちに対して、彼女は言っていたよ」
『私よりも、ソラ様を治療してください!』
「――――」
「全く、主人想いの娘だな。いや、もう奴隷から解放されていたみたいだし、『仲間』って言った方がいいのかな?」
「……あぁ。アイツは、俺の最高の『仲間』だよ」
なんだよ……イリス。自分の心配をしろよ。俺はお前のことが何よりも心配だったんだから。
でもさ、ありがとな、イリス。その気持ちが嬉しいよ。
今度こそ目から一筋熱い線が走ったが、セーラは気づいていないフリをしてくれた。
「まぁ、問題はそなたたちが帰還してから、転移魔法陣が消えてしまったことだ。幸い、迷宮にいた者たちは全員帰還していたのだが、そこが問題ではないのだ」
「つまり……?」
「そなた達が、【ウル迷宮】を攻略したということだよ」
……そうだった。忘れてはいたが、俺たちは迷宮を攻略した。それは迷宮主であるウルから直接伝えられたことだ。
つまり、俺たちは有名人。なんか、一気にかけ上がってきた感じがするな。
「取り合えず、攻略した人物は伏せてある。公開すれば、少々厄介なことになるからな」
「……? どうして隠す必要があるんだ? 公開すればいいんじゃねぇのか?」
「公開すれば色々と融通が効くことになるだろう。ギルドの依頼も、割のいい依頼が回ってくることになる。だが、そのメリットよりもデメリットの方が大きいんだ」
そのメリットは魅力的だが、デメリットってなんだ? 疑問が浮かぶ。
「実力が示されれば、大陸中の国がそなた達を取り込もうと接触してくるだろう。政治や戦争の道具、傀儡にするためにな。それに迷宮で夢を追っていた冒険者達に嫉妬され、命を狙われる可能性も否定できない」
「そ、それは確かに嫌だな……」
自由に動けなくなれば、大陸中の【空中迷宮】へ潜りづらくなる。それに普段から命の危機があるなんて、休まる時がないじゃないか。
それなら、公開しないことが得策だろう。
「実際、他国の連中はこの街のギルドに圧力をかけて情報を集めようとしているようだが、アドマンド国王様が護ってくれている。本当に、私たちの王が彼で良かったと思うよ」
へぇ、あの親バカ国王様、上手くやってくれているみたいだな。
仮にも国王。いや、仮ではなく本物の国王なのだが。
「なるほどな。ありがとうセーラ。おかげでよく判ったよ」
「そうか、それは良かった」
キリッとしたセーラが、子供のような笑みを浮かべる。思わずドキリとしてしまう。
何故かへそを曲げるイリスが頭に浮かび、思わず背筋が粟立った。
「それじゃ、私は失礼させてもらう。見回りの仕事があるからな」
「そうか、わざわざありがとな。五日間世話になったみたいだし」
「礼なら私ではなく、イリスちゃんやデリックに言ってやってくれ」
「イリスはともかく、なんでデリックなんだ?」
デリックの名前が出たことに疑問を持った。
アイツは良いやつだ。もしかして俺の見舞いに来てくれていたのか?
「ソラの看病をな、治癒師達やイリスちゃんから奪い取ってしようとしていたのだ。まったく、彼とそなたの仲がそこまで進んでいたのなら、早くそう言ってくれればいいのに」
「――――」
おい、デリック。お前の看病や気持ちは有り難いが、お前のせいで俺には男色疑惑が立ち上がったようだよ。どうしてくれるんだ。
それに加えて腐ったようなセーラに、思わず顔が引き攣った。
「それではソラ、また会おう。今度会うときは、元気な姿を見せてくれると信じているよ」
「……あぁ。またな」
静かに扉が閉まる。
静寂の室内。セーラがいなくなると随分静かで、何故かとても寂しい。
「ふぅ……恵まれているよな、俺は」
なにもないままこの異世界に放り出されて、それなのにダリウスさんやアランさん、デリックやセーラ、そしてイリスとも出会った。
皆がいたから、俺はここまで駆け抜けてこられた。
「――――」
結局ウルの話を最後まで聞くことは出来なかった。
それでも、立ち止まっている暇などない。
ようやく一つ目の迷宮だ。まだ始まりに過ぎない。
きっと、この先も今まで以上に厳しい戦いになるとは容易に予想できる。
でも、もう大丈夫だ。
イリスと共に、皆と共に乗り越えていけばいいのだから。
――――――っ――。
ふいに、扉の向こうからなにか物音が聞こえた。
セーラ? いや違う。足音は聞こえず、ただその音だけが発生した。
「…………誰だ?」
痛みであまり動けない身体をゆっくりと起こし、扉まで歩を進める。
無理しなければいい。そう思ったが、ただ寝るだけの病室に退屈していたのだ。娯楽ではなくても、なにか興味を引くようなものはないか、探したかった。
扉を開ける。
ゆっくりと開くと、そこには――
「……これは、イリスのペンダント?」
扉の前には人影はなく、床にはいつかの日に俺がプレゼントした【エルフのペンダント】が置いてあった。
「なんでこんなものがここに……。もしかして、イリスはここに来ていたのか?」
明らかに不自然だが、もしかしたらイリスが落としてしまったのかもしれない。彼女はこのペンダントを大事にしていたはずだから、彼女らしくはないと思うが。
床に置いてあるペンダントを拾い、ベッドまて戻る。
今は身体を休めることが大事だ。俺はペンダントを胸に抱き、そして目を瞑った。
「イリスが見舞いに来たら、話すんだ。これからのこと、今までのこと……。楽しみだなぁ。先ずは、お祝いからして……それで……――」
これからの楽しい日々に思いを馳せ、俺は眠気に誘われ、眠りにつく。
ただ、今だけは辛いことも忘れて楽しいことを考えていたいから。
◇ ◇ ◇
しかし、この病室にイリスが訪れることは――二度となかった。