第二十三話 『俺は独りじゃない』
――奴隷の首輪。
それは人の尊厳を、権利を、生を傷付け犯す物だ。
主には反抗すら許されず、反抗すれば誓約により奴隷は苦痛を与えられる。反抗出来なくなる程の苦痛を。
そんな呪いの首輪をつけられた奴隷。それの主人が解放された奴隷に行われることは一つしか思い浮かばない。
「は、ずれた……?」
「ボクもかつては大陸一の魔術師と言われていたからね。光魔法を使わなくても首輪を外す知識は備えているさ。もっとも、外し方はとある人に教えて貰ったんだけど」
ウルは手で首輪を弄んだ後、火魔法によって首輪を燃やし尽くした。
その光景を見て、今までイリスを縛っていたものはこの世から消え去ったことを悟る。悟った後に俺の心の内に残ったのは――
「…………ぁぁ……」
――抑えようのない恐怖だった。
呻き声のような悲鳴を上げ、ウルとイリスの顔を交互に見つめる。まるで俺に復讐するための悪巧み……いや、制裁についての話をしているように感じる。
イリスの手によって俺は罰されるのだろうか。確かに仕方ないのかもしれない。仕方ないのだろうけど……それ、でも……。
ふいに、視界がぶれ始める。地震? いや、【空中迷宮】に地震など存在しない。じゃあ、いったいなにが?
そう疑問に思い、自分の手を見下ろした瞬間、それに気がついた。
――違う。俺が、震えているんだ。
恐怖や不安が精神に訴えかけ、最終的に自分の身体に影響を与える結果となったのだ。身体はまるで警鐘を鳴らすように自分の状態を明瞭に表している。
自分の手を片方の手で押さえようとしても震えは止まらない。自分の身体が、徐々に恐怖に飲み込まれる――
「さて、イリスちゃん。君は自由だ。だから、今までの思いをぶつけても良いんじゃないかな?」
「今までの……思い……?」
ウルが指を鳴らした瞬間、イリスの拘束が解かれる。
イリスは驚きを顔に表しつつも、拘束されていた手足を解しながらゆるゆると立つ。そしてイリスは怪訝な表情に変え、ウルに顔を向ける。
「そう。君は今まで頑張っていたよ。頑張って頑張って、結局は報われない。悲しかっただろう? 苦しかっただろう? 傷付いただろう? そして、君を泣かせた人物は、縛っていた人物は――いったい誰だい?」
「――――」
いったい誰か……そんなのは決まっている。
俺だ。俺が彼女を傷付け、悲しませ、涙を流させる結果になった。確かに彼女を奴隷商から助けたが、結局のところ縛る主人が俺に変わったというだけ。彼女が奴隷という事実は何一つ変わらない。
俺に彼女が許す程の価値があるのだろうか? 彼女が笑顔を向けてくれる程の行いをしただろうか……それはない。
だって、俺は彼女を泣かせたから。謝っても許されないことをしたから。
俺と彼女が共に歩く未来は……ない。
「さぁ、今までの恨みを、憎しみを、全てぶつけるんだ。ソラ・カンザキは悪だ。ボクは君のために力を貸そう。ボクと二人で、悪を討ち滅ぼそうじゃないか!」
「ぶつける……全て……なにもかも……」
「そうだ! 君はソラ・カンザキに縛られていいような人物ではない! 君は魔術師として素晴らしい素質を持っている。それは、このボクが保証しよう! ボクと、歩んでいこうじゃないか」
ウルの言葉は全て的を得ている。イリスにとって俺は悪。イリスはエルフでありながら『精霊術』と『魔法』の二つを使える希有な存在だろう。
イリスは、俺が縛り付けてもいいような存在ではないから。力あるものは、在るべきところに存在するべきだから。
「――ごめ、んな」
自然と、その言葉が零れ落ちた。
今ごろ謝罪の言葉を掛けても、なにかが変わるわけでもない。過去は変わらず、寧ろ謝罪したことにより全ての非を認めて罪が顕著に表れるだけだ。
それなのに、無意識に口を動かしていた。
「ごめん……な、イリス。ごめん……」
「――――」
元主人の謝罪の言葉が耳に届いたのか、イリスが俺の方に顔を向ける。
イリスは無表情で俺を見据え、その視線に堪えられなくなって俺は顔を下に向けた。
怖かった。あのままイリスに顔を向け続けていれば、どんな言葉を掛けられるのか判ったものじゃない。罵倒されるならまだいい。でも――
『――ソラ様と……いえ、貴方とはお別れしたいです』
言われるとは判っていても、その言葉を聞くことは俺には堪えられそうになかった。だから、一先ず逃げに徹した。
またイリスから目を逸らして逃げだす。なんて救いようがないのだろう。
逃げて、逃げて、逃げ続けて、その度にイリスから俺に対する情が消えていくのは判っているのに、今の状況から脱したいがためにあとの事を考えず自分の殻に篭る。
なにが『勇者』だ。イリスの『勇者』になるには俺は臆病で浅ましくて弱すぎる。
「だから……っ。ごめん……!」
「…………ソラ様」
ふいに、空間に一つの音が加わった。
砂利を踏みつけ、一歩一歩近付いてくる。
――イリスが、俺の元へ歩き出したようだ。
「ごめんな……ごめんなイリス……」
「――――」
「本当にごめん。俺は……俺は……っ」
「――――」
言葉を投げ掛け、ただ俺は繰り返し赦しを乞う。
なにも贖罪する手はない。贖罪する手はないのに、ただ繰り返す。イリスから失望されても構わない……だって、既に堕ちるところまで堕ちているのだから。
それは既に効果はない。イリスの歩くペースはなに一つ変わらず、着実に俺の側に近づいている。
期待なんてする意味がない。最初にイリスの期待を裏切ったのは俺自身だから。今更期待して、なんの意味があるのだろうか。
なのに止まらない言葉。なんて浅ましくて情けない。自分が謝罪していると理解することで少しでも罪を軽くしようとしている。
本当に、俺は屑だった。
「…………イ、リス」
「……ソラ……様」
頭上から声が降ってくる。イリスの声は震えていた。怒りを耐え、それを吐き出さないように必死で堪えているのだろうか。
彼女は最期まで優しい。俺を怒りに身を任せて断罪するのではなく、最期に俺に話せるように猶予を与えてくれている。彼女の方が、よっぽど勇者に近いだろう。
でも、俺は話す言葉を変えるつもりはない。
だって、資格がないのだから。
「なぁ……イリス――」
「――――」
「――今まで……俺と出会っちまって……本当にごめんな」
瞬間、
「――――ッ!」
小気味良い音と共に頬に痛みが走り、同時に顔が後ろに弾き飛ばされた。
ヒリヒリとする痛みは、楔のように頬に留まっている。その頬に手を添え、自分の頬を叩かれたことに気が付いた。
イリスが。今まで奴隷の誓約もあり俺に危害を加えたことのなかったイリスが。俺の頬を力強く叩いたのだ。
「…………痛いな……」
左肩の激痛にすら勝る痛み。比べるのがおこがましいほどの攻撃だが、イリスのビンタには物理的にも精神的にも俺に痛みを与えたのだ。
イリスの感情を思えば、俺が叩かれるのは仕方がないのだろう。でも、心のどこかで安心していたのかもしれない。見捨てることはあったとしても、俺に手をあげることはしないと。
なんて自分勝手な考えだろう。独り善がりでエゴで、最低な人間じゃないか。
今まで苦しかったのはイリスなのに、俺は結局イリスのことを思いやっていなかった。
自嘲するように鼻をならし、逸らされた顔をゆっくりとイリスの方に向ける。
イリスはどんな表情をしているのだろうか。
憤怒に染まっているかもしれない。軽蔑の視線を含んでいるかもしれない。
どちらにしろ、それは俺の『罪』だ。どんな言葉でも感情でも、受けきらないといけない。
――なのに、
「……ど、うして」
「――な、んで……そんなことッ……言うんですか……ッ」
浮かべた表情は、酷く悲しみに染まっていた。
「イリス……」
「なんで……今までのことを、謝るんですか。謝る必要なんてないッ。謝ってほしくなんてないッ。だから、そんなこと言わないでくださいよぉ……!」
瞳に涙を浮かばせ、イリスは縋るように俺の服を掴んだ。強く引っ張られ、なにも言えなくなる。いや、なにを言えばいいのだろうか?
なんでイリスが悲痛な表情をしているのか判らない。怒っていないのか。俺を見放したんじゃないのか。
いったい、どうして――?
「謝る……贖罪するのは当然の事だろうが。俺はお前を騙して苦しめて縛ってきた。無抵抗の奴を殺した屑だ。俺はイリスから軽蔑されて当然の人間で――」
「私の気持ちを、想いを、勝手に改竄しないで! ソラ様と過ごしてきた今までを、出会った思い出を、謝罪なんかで全部否定しないでくださいよ! 私は、ソラ様と過ごした日々を否定なんてされたくない!」
弱々しく俺の胸を叩き、イリスは嗚咽混じりの声でそう訴える。
そして、その声は力強く俺の胸に突き刺さった。
イリスは俺の事を軽蔑なんてしてないのか。俺との日々が楽しくなかったんじゃないか。
真実が判らなくて、戸惑って、その言葉がイリスの本心と判らないと、どうしても信じることが出来なかった。
「お前は……俺に対して怒りを抱いてないのか?」
「怒ってますよ! なんで言ってくれないんですか。私がそんなに信用できませんか? 私はソラ様が苦しんでいるのを見たくない。悩んでいるなら、苦しんでいるなら、私にちゃんと話してくださいよッ!」
「でも、俺はお前にそんな重荷を担がせたくない。俺の問題だ。俺が引き起こしたことだ。俺は強く勇敢な『ソラ・カンザキ』にならないといけない。俺が解決しないで何になるんだよ」
俺は弱い。力もなく、殺意に溺れ、力を向けるべき方向に使わなかった。
そんなのはただ未熟で、弱いだけだ。
努力が足りない。気持ちの持ちようが違う。意識するだけで、それはきっと大きく変わるのだろう。
そうだ。
誰にも負けない。強くて気高い『ソラ・カンザキ』を理想に歩んでいけばいい。
今は無理でも、いつかは理想に限りなく近い自分になっているはずだ。
そうだ。それがいい。
そうすれば誰も俺から離れずに済むから。トゥルーエンドでもバッドエンドでもない、『ハッピーエンド』にすることが出来るから。
「だから俺は、」
「……ソラ様の、バカァッ!」
「――――うぶっ!?」
言葉の続きを紡ごうとして、それを強制的にイリスによって阻まれる。
手加減なしでイリスが両手で俺の頬を挟んだ。挟まれているため受け流せず、先程のビンタよりも鋭い痛みが走り、思わず悲鳴をあげる。
イリスは俺の頬を離そうとはせず、俺の瞳をただ見つめる。まだ涙の跡が残っているのに、イリスは目を逸らそうとはしない。強く深く、俺を見ている。
叩かれた頬が、徐々に熱を持ち始めた。
「ソラ様……私は貴方が苦しんでいるのを見たくない。笑ってほしい。笑顔を向けて欲しいんです。仮面を被って笑う『ソラ・カンザキ』なんて見たくありません」
「――――」
「悩んでいるソラ様でも構わない。悩んでいるなら、私も一緒に考えます。弱音を吐いているソラ様でも良いんです。私が全部受け止めますから。過ちを犯したソラ様でも、私は拒絶なんてするわけない。だって――」
一息。
その一瞬に込み上げるものがある。
イリスの言葉に、とても安らいでいる自分が、救われている自分が確かに存在していた。
そして、彼女の目尻から一筋の涙が流れ、
「――私はソラ様が好きだから。ソラ様の本当の『仲間』になれたから」
首にあった筈の『呪縛』の跡を手で触れ、イリスは優しく微笑んだ。
かつて何度も伝えた言葉――『奴隷でも、仲間』。
イリスの方こそ悩んでいたのだろう。『奴隷』が本当の『仲間』になることはイリスにとっての悩みになっていた。
でも、彼女は奴隷から解放されて、俺と一緒にいることを選んだ。縛られていないというのに、彼女は俺の『仲間』になることを選んだのだ。
行動で示されて、俺は彼女を信用せざるを得なかった。
違う。俺が、イリスを信用したい。
「……俺が、好き? 本、当か?」
「嘘なんて言う必要がありますか? まったく、ソラ様はアピールしてるのにいつも気付かないで……でも、それもソラ様ですからね」
「…………ぁ」
「私は、もっと貴方の事が知りたいです。新たなソラ様を発見したい。だって、私は貴方が好きなんですから」
イリスに言葉をかけられる度に、自分の心に絡み付いるドロドロとした汚濁が溶かされていく感覚。
不安で冷えきった身体に、熱が行き渡る。
俺は、独りじゃない。
もう弱音を吐かないと、絶対に日本に帰ると、そう誓ったあの日から随分掛かったけど、俺は独りで背負い込まなくてもいい、一緒にいたいと思える『大切な仲間』に出会ったから。
――俺は、独りじゃない。
「悩んでいたこと、苦しんでいた事を言わないでごめん」
「……はい」
「イリスの気持ちを判ってやれなくてごめん」
「……はい」
「こんな不甲斐ない『仲間』で、ごめんな」
「――はい、許します」
今までの懺悔を呟き、それをイリスが許してくれる。
もう、イリスの瞳には涙は無くなっていた。
悲しみは消えた。もう必要はない。
――俺たちは、前に進むだけだから。
「ありがとう、イリス。これからも、俺についてきてくれ」
「勿論です。ソラ様の見る景色を、私も隣で見ていたいですからっ!」
頬を赤く染めた彼女に微笑み、俺は一度落とした刀を握る。大丈夫だ。震えはない。
そしてイリスの方に顔を向け、
「イリス、俺もお前が好きだよ」
「えっ……本当、ですか……?」
俺がそう伝えた瞬間、イリスの顔が歓喜に染まる。この言葉は、当然の事だ。
だから、イリスが伝えたのなら、俺も伝えよう。
「あぁ。そりゃ、お前は俺の大切な『仲間』だしな」
「…………えっ?」
顔が熱い。改めて言うと恥ずかしいと思う。
そしてイリスの方を改めて見ると、
「えぇ……期待していましたよ。でも、ソラ様でしたね。それなら仕方ないです。えぇ、仕方ないですね」
「どうしたんだ? イリス」
「知りませんっ!」
頬を膨らませて急に機嫌が悪くなるイリス。
さっきとは違う態度にちょっと戸惑うが、聞いても教えてくれなさそうなので、聞き出すことは諦めた。
ほんの少し瞑目し、今までを、これからを想像して俺は柄を強く握る。
今度から、俺はイリスと共に未来を切り開く。でも大丈夫だ。二人でなら、俺はこれからも歩いていける。
目を開き、先程から口を開かないウルの方に顔を向ける。
「――――なんで?」
ウルは、ただ俺たちを眺めて笑っていた。
やっとテスト終わりました。遅れて申し訳無いです。
予定としてはあと一話書いて迷宮編終了。次にエピローグの合計2話で終了の予定です。頑張りますのでもう少しお付き合いください。
感想、ご意見お待ちしております。