第十六話 『最悪との遭遇』
少し残酷な表現があります
――異世界『スフィア』
この世界にある迷宮はその迷宮によって様々な固有の試練が待っている。
魔物が強かったり、罠が多かったり、それこそ迷宮内での制限だってある。そしてその迷宮を攻略してこそ、迷宮踏破者は全てを圧倒できる力を手に入れる権利があるのだ。
だが、その為の代償は無いのだろうか?
迷宮を踏破するため、様々な人種、国が勢力を上げて挑み、また多くの命が奪われていく。
迷宮の試練を突破できず、夢半ばで散った者達が多くいる。
そして、迷宮によって不幸になった人達も少なからずいるのだ。
あの日から何十年、何百年経ったのだろう。それを知っているのはごく数人だけだ。
その日々に何を感じていたのだろう。
憤怒? 寂寥? 悲壮? 哀惜? それとも……。
そんな濁流のような感情は人によって様々だ。
だが、その全ての人達に言える共通点は一つ。
――――『絶望』
『絶望』を覆すことは不可能なのか。それが代償なのか。
そんなことは判らないが、それでも判っていることはある。
そして、彼女らは後にこう語る。
――あれは、最も過酷で冷酷で残酷な『物語』だと。
◇ ◇ ◇
イリスがいないだけで効率が随分と低下した。
俺は前衛だから危険は多いし、更に援護してくれる人間がいないため、疲弊が酷い。長時間の【索敵】は異常に集中力を使うからか、先程から頭痛もしていた。
「はぁ……はぁ……」
イリスは五感が鋭いため、聴力や嗅覚だけでも【索敵】のような役割をしていた。だから結構楽に動けていたのだが、俺一人の探索は中々キツい。
彼女がいた時とは倍以上に休憩が増えてしまったのも悩むどころである。
「……ん? くっ、またか……」
「グガァア!」
「――――」
目の前にいるのは『グレーフウルフ』が三体と、枯れ木のような容貌をし、その容貌とは不釣り合いな赤い果実を頭部に実らせた『キラーウッド』が一体だ。
グレーフウルフは俺が初期の頃から戦っていたが、その時よりもスピード、統率力において段違いのレベルまで上がっている。危険性は高い。
それに対してキラーウッドだが、これはグレーフウルフと比べるとスピードは無いが、それよりも厄介なものがある。それを警戒してやるのも戦闘中はかなりの集中力を使うのだ。
「はぁ……はぁ、少しは休ませろってのッ!」
刀を構えて走り出した瞬間、グレーフウルフ三体も飛び出してくる。
グレーフウルフは三方向に分散して俺を狙ってくるようだ。やはり迷宮のグレーフウルフは知力が高いのだろう。
「『六花“貫”』!」
正面から襲ってきたグレーフウルフに突きを放つが、正面のグレーフウルフは攻撃するつもりがないのか、軽く避けて俺の後ろへと通り過ぎていく。
その動きに動揺していると、あのグレーフウルフの考えに気付いた。左右から、二体のグレーフウルフが挟み撃ちをするように襲ってくる。
「…………ッ。成る程、そういうことかよ!」
つまり正面のグレーフウルフは囮だったのだ。正面の一体が獲物の注意を引き、残りの二体で挟み撃ちが出来るような状況を作る作戦だったのだろう。その罠にまんまと嵌まってしまったのだ。
挟み撃ちを躱すのは無理だろう。俺のスピードなら間をすり抜けることも可能かもしれないが、それにはそれ相応のリスクを伴う。なら、迎え撃つしかない。
二体の中で一番早く俺のもとへ辿り着いたのは左方の一体だ。俺の首を狙って開かれた口内に、左腕に装備した籠手を咬ませるように叩き込んだ。
「ッガ!」
「……っ……ぎだッ!」
籠手では防ぎきれなかった牙が腕に食い込むが、それほど深くない。重みと痛みが左腕に一気に掛かるが、一瞬なら耐えて見せる。
残りの一体……右方のグレーフウルフが飛び掛かってきたが、流石に刀を振ることは出来ない。代わりにグレーフウルフの首に肘鉄を食らわせる。
「ッガァ……!」
吹き飛ばしたグレーフウルフは横ばいになって衝撃に悶えている。背後のグレーフウルフは……警戒しているのか近付いてこない。
なら、問題は噛み付いているコイツだ。獲物が死ぬまで咬むのを止めないつもりなのだろうか、咬みつく力が衰える様子はない。
それなら、倒すのは簡単だ。
右手に持っている刀でグレーフウルフの喉を切り裂いた。切り裂いた瞬間、痙攣をしながら喉から血が吹き出して顔にも掛かる。だが、そのお陰もあり咬む力が徐々に弱くなり、腕から引き剥がす事が出来た。
「っ痛……まぁ、『水癒』でも掛けたら傷は直ぐに塞がるか」
そう言いながら、『水癒』を掛ける暇は無い事は判っていた。何故なら、厄介な相手が向こうにいるのだから。
「……っ! 来たか!」
飛んでくる何かを躱すために後ろに下がる。その何かは瑞々しい果実だ。
先程俺がいた場所で息絶えていたグレーフウルフにぶつかり、グシャッという音を立てながら中身をぶち撒ける。
その被害を受けた瞬間、グレーフウルフの死骸は異臭を放ちながら骨が見えるほど腐り落ちていく。
「やっぱり厄介だな……キラーウッド!」
その果実の元――キラーウッドを睨み付ける。能面のような顔をしたそれは、まるでこちらを嘲笑しているような錯覚さえする。
あの果実は硫酸のような物だ。あれに当たれば身体はたちまち朽ちていくだろう。
そうなれば、先ずはキラーウッドから仕留めるのが最適だ。だが、そう簡単にいかないのも事実であって……、
「グルゥア!」
「ググゥッ!」
「……グレーフウルフ二体か……。注意して戦わないとな」
機動力重視のグレーフウルフがいるせいでキラーウッドを相手にするのは難しいだろう。辿り着く前にグレーフウルフに先回りされるのが目に見えている。
魔法を放つ手もある。だが、この先に遭遇するかもしれない強敵に使う魔力は残しておきたい。
俺の秘技である【魔法剣】は魔力の消耗が激しいのだから。
「フッ!」
キラーウッドを警戒しつつ、グレーフウルフの元へと駆け出す。グレーフウルフはジグザグに走りながら襲い掛かろうとするが、結局は俺の元へと来るのだ。動きに翻弄されずとも、タイミングを合わせれば――
「……ガッ……!」
「残りは……一体だ」
グレーフウルフを斬り払い、残りの一体に目を向ける。
それと同時にキラーウッドが果実を飛ばしてきたが、それを躱して『火球』で牽制する。おっ、やっぱり木だけあって焦るように火から逃げ出した。
残りのグレーフウルフは一番身体が大きい。確かコイツはあの時正面から襲い掛かってきた一体だった筈だ。もしかしたらこの一体があの三体の中のリーダーだったのかもしれない。そう簡単には近付いてこず、好機を窺っているようだ。
「まっ、俺は待つ気はないけどな。早くイリスと合流しないといけないんだから、来ないなら……こっちから行くっ!」
姿勢を低くして、そのままグレーフウルフに突っ込んでいく。姿勢を低くしたお陰で風の抵抗を受けにくくなり、加速しやすい。このまま……斬る!
「グルゥッ!」
「なっ!?」
グレーフウルフは微動だにしなかったが、キラーウッドが飛ばした果実がグレーフウルフの近くに飛んできた。
飛ばし損なったのかと思ったが、それをグレーフウルフは尻尾で薙ぎ、向きを変えて俺の所へ飛ばしてきた。
――割れないのかよ!?
どうなっているのか謎だが、あのグレーフウルフは果実を割らずに飛ばせるようだ。そして気付く。
あのキラーウッドも、グレーフウルフの統率力の影響を受けていると。
そして作戦は成功した。果実を紙一重で避ける事は出来ないことはないが、それでもあの果汁に当たる可能性があるのならその手は使いたくない。
「勿体無いが……躱しきれないし、仕方無いか!」
考えている暇はない。インベントリから素早く底の深い寸胴鍋を取りだし、果実を鍋の中に入るように調整してそのまま横にぶん投げた。
受け止めた瞬間、果実が割れる音が聞こえた。それは聞き間違いではないようで、投げ飛ばした鍋は底から穴を空けながら腐蝕していた。
「危ねぇ……このっ、鍋の仇だ!」
攻撃をした後は必ず隙が出来る。グレーフウルフも例外ではなく、俺の動きに対応しきれないみたいだ。
そして、グレーフウルフの喉を切り裂いた。……俺、喉ばっか狙っているな。まぁ、急所だから仕方がないといえば仕方がないのだが。
「ラスト! 『火球』!」
残ったキラーウッドだが、コイツは果実の攻撃だけで動きも鈍くそれほど脅威ではない。だが、危険なのは判っているので弱点である『火球』で仕留めた。
魔力が勿体無いが、初級の魔法だしそれほど影響は無いだろう。
戦闘を終え、疲労は溜まっているが、そんなことは今はどうでもよかった。それよりも大事なことがある。
「あぁ……俺の寸胴鍋…………」
ヴィリムのオッサンに特注で作ってもらった寸胴鍋の残骸を見て、俺は悲しみを堪えきれない。使い心地は抜群で愛用していたのだが、ほんの一月で逝ってしまった。
悲しいが、今はイリスの方が大事だ。しっかりと黙祷して、俺は先を急ぐことにした。
「まだ大丈夫だ……俺にはまだ雪平鍋がいる。オッサンにまた作ってもらうまで雪平鍋に頑張ってもらうしかない」
……大丈夫。寸胴鍋の事は切り替えて、俺は先を急ぐことにした。
◇ ◇ ◇
不思議と魔物が襲い掛かってくる数が減った気がする。先に進めば進むほど魔物が居ないことに疑問が浮かんだ。
もしかしたら先にいるパーティが敵を倒しているのかもしれない。この辺りはそんなに広くない道だから、魔物が新しく来るのも少ないのだろうか。
「もしかしたらイリスかもな」
イリスが向こうから敵を殲滅している可能性もないこともない。それなら嬉しいが、変な期待は持たない方がいい。
……ん?
「剣戟の音? いや、戦闘が行われているのか?」
歩いている途中に何か大きな音がする。それと鉄と鉄がぶつけられる不協和音が聞こえてきた。
それは偶然ではない。一度や二度……まだ続いている。
「…………この先か?」
音の発生源はちょうど進んでいる道の先から聞こえている。
もしかしたら……そんな期待は持たない方がいいとはいえ、急ぐべきだろう。誰かが襲われているかもしれないのだから。
俺は音を頼りに、先へと進んだ。
「音が……止んだ……?」
音の発生源は近いとは思っていたが、途中で小さくなり、やがて無くなった。
これが意味するのは、戦闘が終わったのか、あるいは……。
そんな最悪な考えを打ち消し先に進むと、大きな空間に出ることが出来た。そして、その中央にいるものも。
「なっ……!」
三人の冒険者が血に塗れて倒れている。その周りにあるゴブリンナイトやゴブリンの死骸を見て、ここで戦闘があったことは明らかだ。
相討ちだったのだろうか……いや、生きているかもしれない。
「くそっ! 大丈夫ですか!?」
倒れている三人に駆け寄り、声を掛けるが反応はない。血はまだ流れていて新しいが、出血量が多すぎる。一人は喉を斬られ、もう一人は脇腹から深く切り裂かれている。呼吸や心臓の確認もしてみたが、残念ながら息は無かった。
別にこれが初めて見る人の死では無いが、慣れることはない。全くの知らない他人だとはいえ、汚濁のような感情が心に絡み付いてくる。
「……あっ! この人、生きてるぞ!」
残りの一人は出血は然程多くはない。ただ、気を失っているだけのようだ。
インベントリからポーションを取り出してぶっかけ、目を覚ますのを待つ。直ぐに目を覚ますだろうが、危険が多いし違う場所に運んだ方がいいかもしれない。
俺は死んでいる二人の遺髪を切り取り、休めるような場所へと運んでいった。
「いやぁー! 助けて頂いてありがとうございますね! それに加えて、こんなに美味しい料理もご馳走してもらって……あっ、このミソスープっていうの、おかわり頂いてもよろしいですか?」
「は、はぁ……」
助けた男――アゴールさんの言葉の連撃に口を挟む隙がない。仲間が死んだのだから、もう少し落ち込んでいると思っていたが、この人は元々こういう人なのか、俺の作った飯を貪るように食べている。
ちょうど食事時だったから、ついでに作ってやったのだが、多めに作ったそれは殆どがアゴールさんの口の中に吸い込まれていく。
あの惨状について詳しく聞くのは飯を食い終わってからするつもりだったため、暫く食事に没頭していた。
「ふぅ、美味しかった……これならもっと食べたくなりますね」
「う、嘘だろ……あの量を食いやがった……!」
プラスして作った料理も全部食われた。料理した者としては嬉しいが、あらかじめ迷宮攻略のために多めに買っておいた食材がかなり減ってしまったのだ。
料理を作ったのは失敗だったの今更ながらに後悔する。
「……それで、アゴールさんを勝手ながらここまで連れてきてしまいましたが、良かったんでしょうか?」
まぁ、命を救われて怒る人間はいないとは思うが、建前上聞いておいた方がいいだろう。
「いやいや……その節は大変感謝しています。本当だったら仲間達とあそこで死んでいましたし、カンザキさんにはなんとお礼を言ってやら……」
「それは良いです。後はこれからについて話したいんですが」
「これから?」
アゴールさんは俺の言葉に首を傾げる。ごめん。その仕草はイリスの方が圧倒的に可愛い。
「俺はこれから迷宮の奥まで進むつもりなんです。ですが、アゴールさんを連れていくわけにはいけないでしょう? ですから、アゴールさんとはここで別れるしかないんですが……」
この先は危険だ。ゴブリンナイトと死闘しているようでは、この先では戦えないだろう。俺はイリスも見つけないといけないし、このまま街に帰すのを手伝う暇はない。
そう思っていたのだが、アゴールさんの言葉でその思いがひっくり返った。
「迷宮の奥……あぁっ! あそこですか。私はあそこまで行く道を知っていますよ?」
「…………えっ?」
なんでも、元々アゴールさん達は迷宮の最奥に行くためにここまで来ていたそうだ。前回、迷宮の最奥を見つけ、そこまでの道を地図にして残していたらしい。
だが、ゴブリンナイトと遭遇して、仲間は死んでしまったということだ。
「私もこのまま帰っては仲間達に申し訳が立たないので、カンザキさんに着いてってもよろしいですかな?」
見た限り、下心は無いように見えるがどうだろうか。信頼出来ない人間を連れて後ろから刺されてしまっては元も子もない。
だけど、だからといって最奥までの道を知ることが出来るのは大きい。もし嘘だったとしても、イリスを捜すための寄り道だと考えれば……なんとか。
「…………判りました。同行を許可します。短い間ですが、よろしくお願いしますね」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
――アゴールさんが新たに仲間になりました。はぁ……役立たずにならないことを祈る。
◇ ◇ ◇
「ハァアアッ!」
アゴールさんが振るったメイスがゴブリンの頭蓋を砕いた。俺は全部刀とかで斬ってるから判らなかったが、打撃系の武器では中々グロい。
「アゴールさん、危ないですよ! フッ!」
アゴールさんを背後から襲おうとしていたオークの首を跳ねる。それほど力をいれていなかったが、オークの脂肪は軟らかく、首が跳ねたことに驚いてしまった。
「た、助かりました……」
「無事なら良かったです。ほら、水です。どうぞ」
アゴールさんは予想していたよりも実力はあるようだ。注意力は散漫だが、俺がカバーしていれば問題ないだろう。
インベントリから取り出した水を煽り、一息を吐く。
「ふぅ……確かここから迷宮の奥まではもう少しだったと思います。頑張りましょう」
「そうですか。判りました」
少し休憩出来たから、さっきまでよりも歩みを遅めて歩き出す。
最終的にイリスとは合流出来なかった。一応壁に目印を書いたが、気付いてくれるか判らない。もし気付かなくても、もう最奥までの道を知っているのだから、俺から迎えに行くのも手だろう。期限の三日まではまだまだあるしな。
……いや、転移魔法陣の所まで戻ることは出来るのか……?
「あの、カンザキさん」
「はい?」
俺が盲点だったことに悩んでいると、ふいに隣で歩いてるアゴールさんが話し掛けてきた。
俺の目を逸らさず見てくるが、どうしたんだろうか。俺にそっちの気はないけど。
「本当にありがとうございました。本当だったら死んでいたんです。でも、私はまだ生きていられる」
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟じゃないんです。私がここに来たのも、妹の病を治すためなんですよ」
アゴールさんは目を伏せて、苦笑した。
「迷宮でお金を貯めることが出来たら、王都の上級魔術師様に見せるつもりなんです。きっと、そうすれば妹は治ります。ですから、私はまだ死ねません」
「そんなことが……」
正直なにを急に言い出すんだと思ったが、そんな重い事情があったんだな。
元の世界でもその為に犯罪を犯したり、自分の臓器を売ったりする人もいたが、アゴールさんめそれと変わらない。
「……妹さんが治ったら紹介してくださいね。美人だったらお知り合いになりたいです」
「ハハハっ。勿論可愛いに決まっているだろう? 妹は世界で一番美人なんだから!」
情が湧いたわけではないが、アゴールさんにも幸せになってもらいたい。そして街に戻ったらどこかの店を一緒に回るのもいい。
話が弾み、歩く速度も知らぬ間に早くなっていたが、俺達が気付く事はなかった。
◇ ◇ ◇
「なん……だ、これ……?」
物凄い臭い。血と獣の混じりあった臭いが、鼻奥を刺激する。
いや、感じたことないが、これが死臭というものなのだろうか?
「グルルッ……」
その臭いの発生源である巨大な黒い獣がゆっくりとこちらへと顔を向ける。
口の回りは真っ赤に染まり、獣の周りには血の跡や骨が数えきれないぐらい存在している。
「こ、こんな獣……! 前に来たときはいなかったのに……!」
アゴールさんが顔色を青くし、震えている。それはそうだ。前に戦ったサイクロプスよりも威圧感があり、レベルも高いだろう。
俺は巨大な獣の顔を見て直ぐに察した。
――コイツには……勝てない……!
「アゴールさん! 一旦退きま――」
アゴールさんの方に顔を向けると、黒い何かが通った。そして、アゴールさんの姿が消えた。
嫌な予感がしつつも、俺は後ろに顔を向ける。
なんだ……あれは……?
なんでさっきまでいた獣が後ろにいる?
なんであの獣は俺の方に顔を向けてこない?
なにをあの獣は音を立てながら口にいれている?
なんであの獣は――
――――アゴールさんを口にいれているんだ?
「う、うぉぉおおおおおおっ!!」
勝てないと判っていても、俺は刀を抜いて走る。
獣の身体に刀を叩き付けるが、毛が厚いのか、全く傷をつけることが出来なかった。
「グルルッ……グルァ!」
「がっ!?」
獣が鬱陶しそうに振った尻尾で吹き飛ばされる。骨がミシミシと嫌な音を立て、俺の口から空気が漏れた。
「がっ、は…………アゴー……るさん……」
獣に顔を向けると、アゴールさんが血塗れになりながら獣に喰われていた。
その事に、涙が止まらない。
人の死を見るのは初めてじゃない。異世界ではそういうことは珍しくもないからだ。
だけど、さっきまで話していた人が、妹を助けてやりたいと思っていた人が、目の前で殺されたのは初めてだった。
俺はなにをしているんだ……。逃げればいいじゃないか。アイツが、アゴールさんを喰っている間に……。
そう思っても、脚は出口へと動こうとしない。この惨状を見て、勝てるとは思っていないのに。
「――殺す」
アゴールさんを、俺を餌としか思っていないあの獣にどうしようもない殺意が湧いた。
ここで逃げて、逃げた先で、アゴールさんに報いることなんて出来るのだろうか?
――答えは、否だ。
そんな負け犬のような真似をして、どうやって報いれるというのか。
「ガルルルッ!」
獣はアゴールさんという餌を喰らったことで、俺の方へ顔を向ける。どうやら次の標的は俺になったようだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
「絶対に……殺す」
最悪の敵に、俺は刀を構える。
呪詛のように、低く暗い怨嗟の声と共に。
次回はイリス視点となります。
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