第六話 『誰の為』
「王の命により、この場にいる筈である『カンザキ』という男を向かいに参った!」
騎士の一人が剣を上に掲げ、そう叫んだ。
目的の男の名前、それは俺のこと。
『カンザキ』なんて、この世界では先ず無い名前だ。人違いということは有り得ないだろう。
さっきまでアランさんと模擬戦をしていたから目立っているし、その事で知ったのか周りの人間が一斉に俺の方を見つめる。
「こんなの、俺だって言っているようなもんじゃないか……」
溜め息を吐きながら頭を掻く。この騒ぎに乗じて逃げようかと思っていたが、周りは逃がしてはくれないだろうな。
「おい、カンザキ。王宮騎士って……お前、何かしたのか?」
「してないですよ……。知ってるでしょ? 俺達は貴族の連中とは出来るだけ接触しないようにしているって」
王宮騎士は、貴族の家を継ぐことの出来ない次男、三男がなる場合が多い。
つまりは殆どが貴族である。貴族達によるハーフエルフの侮蔑の視線からイリスを護るために、俺達は貴族の接触を避けていた。
例外として俺達が貴族で関わっているのはセーラだけだ。
彼女はイリスの気持ちを理解してくれる良い奴で、俺もイリスも彼女には世話になっている。
……それに美人だし。
「それでは、私が何かしてしまったのでしょうか……?」
イリスが不安そうな顔で俺を見つめる。イリスはそう言うが、その心配は杞憂だろう。
「いや、イリスは関係無いだろ。アイツらの探しているのは俺だからな。俺を向かいに来たってのはよく判らないけど」
イリスはホッと胸を撫で下ろした。
さて、本当に何なんだろうか。面倒なことにならなければ良いのだが。
「おい! 居ないのか! ここに居るのではないのか!」
「――――神崎は俺ですよ」
手を挙げながら俺は騎士達の前に進んだ。後ろからイリスが俺の腕の裾を掴みながらついてくる。
俺達の姿を見て、声を上げていた騎士が明らかに不機嫌な表情に変わった。
「ったく……直ぐに出てこないかッ! 貴様は誰を待たしていると思っているのだ!」
傲慢な言い草。勝手に来たのはそっちの方なのに、なんで俺達が怒鳴りつけられなければならないんだ。理不尽過ぎるだろ。
てか、俺達がお前みたいな奴知るわけないだろうが。
騎士の男は更に舌打ちをし、
「それに私をわざわざ向かいに行かせた相手がどんな大物だと思えば、こんなガキとは……巫山戯ているのか!?」
訓練所にいた周りの人間は既に冷めた目で騎士の男を見ている。アランさんでさえ呆れたように睨んでいた。
やっぱり貴族は平民達には好かれる存在ではないんだな。傲慢な態度からそれは当然な事だけど。
「それに……ん? そこの後ろにいる人間は……エルフ!?」
騎士男は声を上げ、俺達の元へ近付いてきた。
男の目は既に俺を捉えてはいない。その視線はイリスに向けられている。
「いやっ!」
イリスはその不気味な目線に身体を震わせ、俺の背後に隠れ、顔だけを覗かせた。
なんだよコイツ……。というかこのシチュエーション、悪漢から少女を庇う主人公みたいだ。妹の漫画に良くあったぞ。
「なんと珍しい……。まさか、この場所でエルフと出会えるとは…………っ!」
まるで珍しい動物を見ているかのようにイリスの顔を騎士の男は眺めている。
すると、騎士の男は何かに気付いたように目を見開き、そしてわなわなと身体を震わせ顔を赤くし、
「……貴様。その瞳といい耳の長さといい……ハーフエルフだったのかっ!」
男は声を荒げる。その言葉にイリスの身体は強張ったように震え、俺の裾を掴む力が強くなった。
「この『混じり者』が、何故この地にいる!? 貴様らハーフエルフはこの地には居てはいけない筈だ!」
「ちょっと待ってください! 確かに彼女はハーフエルフですが、何もしていないんですよ? それでも駄目なんですか!?」
男の物言いに腹が立ち、イリスの弁護をする。ハーフエルフだとしても彼女には何の罪もないし、寧ろ誰からも好かれる優しい娘だ。それでもだめだと言うのか。そう訴えたかった。
だから、男の言った言葉が俺は許せなかった。
「貴様は誰に歯向かっているのか判っているのか! ……まあいい。質問の答えだったな。それは『存在』しているのが悪だ! 罪だ! そこの『混じり者』が居るだけで、我々の気分が悪くなるんだよ。神聖なエルフの血を穢した象徴のせいでな!」
「わ、わたしっ、は……っ!」
元は只の差別のようなものだったんだろう。
だが、時代の風潮によって迫害がより過激化された。
「…………黙れよ」
そんなの、どうでもいい。
「さっさと殺せば良いものを……。魔物の餌にでもして惨たらしく殺せば面白いのではないか?」
男は高笑い、イリスは啜り泣いている。
何故泣いているのか。それはこの男が原因だとは判っていた。
人の尊厳を安易に傷付けるこの男に、イリスを泣かしているこの男に、憤りが沸き上がってくるのを感じる。
「……黙れって」
俺の怒りを噛み締めた声は、息が洩れるような小さな音。それを騎士の男は聞き取ることが出来なかった。
だから、男は続けた。
「いや、それでは生温いな。スラム街に放り投げて死ぬまで犯し抜くというのはどうだ? 人としても女としても苦しんで死ねるぞ」
イリスの啜り泣きと、この男の笑い声が徐々に遠ざかっていくように感じた。
――視界が赤くなり、頭の中が真っ白になる。
「黙れって……言ってんだろうがっ!」
腰にある刀を抜き、高笑いをしている騎士の男に斬りかかる。
それを男は持っていた盾で即座に防いだ。
「貴様! デリック様になんて無礼を!」
「この事が何を意味するのか判っているのか!?」
騎士の男の周りにいる他の騎士達がそれぞれの武器を構えて俺に向ける。
俺達の言い争いを眺めていた冒険者達も騒然としていた。だが、顔には憤りが浮かんでいて、この騎士の言動に腹を立てている者もいるらしい。
「…………何をする、この平民風情が!」
騎士の男が俺を睨み、声を荒げた。
この抗議の言葉でも平民を、他者を、イリスを虐げる気が滲み出ている。
「知るかっ! 黙って聞いてりゃ言いたい放題言ってくれやがって……! それを聞いているイリスの気持ちを考えたことはあるのか!? 泣いてんだぞ!」
嗚咽を堪えて泣くイリス。自分の誇りを、尊厳を傷付けられ、イリスが悲しまないわけがない。
イリスが今まで生きていた意味を、全て無意味だったと言われ、辛くないわけない。
「そんなの考えるわけないだろ? ハーフエルフなど、嫌われる存在だ。エルフにも嫌われ、精霊にも見捨てられる……そんな忌み子の事で私が心痛めると思ったか? そんな者、生きている価値すらない!」
エルフを、精霊を神聖なものだと考えている人間族にとってそれは濃く現れている。
特に貴族は昔の伝統を重視する者であり、それは更に顕著だ。
……だからと言って、
「そんなの、イリスに関係はないだろうが! お前らが持っている勝手な価値観でイリスを貶すんじゃねぇよ! イリスに謝れ!」
貴族は偉いかもしれない。権力も財力も持っているかもしれない。
だが、それで人を貶すのは関係がない筈だ。
謝罪も出来ない貴族なんて、居なくてもいい。
「…………フハハハハっ! これは面白い。このルーカス家次男の私に口答えとは……!」
怒りの形相だったデリックという騎士の男は急に笑いだした。
一頻り笑い、能面のような表情に変わって、
「謝罪が欲しければ、私と決闘をし、勝って命令することだな」
「……どういう事だ?」
突拍子もない事を提案したデリックに疑問を抱いた。
なんでこんな時に決闘なんて……どういう事だ?
そんな俺の疑問をデリックは答える。
「決闘は対戦相手同士がお互いに誓い、行われる『儀式』だ。そして、勝った者は負けた者に対して何でも要求することが出来る」
つまり、俺が奴に勝って命令すればいいのか。イリスに謝罪しろと、自分が忌避している者に頭を下げろと、そう言えばいいのか。
命令というのは不本意だが、イリスの心も少しは晴れるだろうし、あの男に屈辱を味わわせる事が出来る。
それを、受けない手はない。
「判った。受ける」
「そうか、ならば決定だな。お前達、周りの平民共を今すぐに退かせろ! 準備が出来次第決闘を行う。判ったな!」
「はっ!」
俺が了承した瞬間、顔に笑みを浮かばせて周りの騎士達に命令をする。
その笑みが何を意味していたのか判らなかったが、今は決闘に集中する時だ。
柔軟をしながら、さっきアランさんとの模擬戦で強張った身体を動きやすくなるように解していく。
「ソラ様……」
泣き止んだのか、イリスは俺の元に寄ってくる。その目尻や顔色から、まだ涙の残滓が残っているのが判った。
「私の為なんかで貴族の方と争わないでください……! 反逆罪でソラ様が打ち首になってしまいますよ!」
その言葉でやっと気付いた。
貴族に斬りかかった時点で俺って罪に問われるんじゃないか?
そんな当たり前の事に気付かなかった自分に呆れるが、もう過ぎてしまったものは仕方がない。結局は決闘をするのは決まりなのだから。
「……お前の為だけじゃない」
「えっ……?」
もう、イリスの為だけにアイツに勝ちたいと思っているわけではない。
「あんな人を見下したような態度に俺も苛ついてんだよ。自分が偉いと思っている。そんなの、アイツの力じゃないじゃないか。親の威光の影に隠れた狐」
元は虎の威を借る狐だったか?
「それにさ……」
イリスは俺が何を言うのか、黙って待っている。
「あんな自分が偉いと思っている貴族が、貶している平民に負けた時の顔を見たいとは思わないか? アイツの鼻をへし折ってやりたいと思わないか?」
あんな奴が泣きながらイリスに謝罪をする姿を見たい。寧ろイリスの良心が痛むくらいにしてやる。
「そんな邪悪な顔をして……本当にソラ様らしいですね!」
そんな顔をしているのだろうか? 確かにこの世界に来てから善意と悪意がしっかりと表現出来るようになったと思うけど。ティオさんがわざわざ教えてくれた。
「……頑張ってください。私はソラ様の負ける姿を見たくはありません」
「さっきアランさんには負けたんだけどな……でも、約束する」
◇
「さて、勝利条件は簡単だ。相手に敗けを認めさせれば勝ちだ。判ったか?」
「ああ、理解した」
周りには見学者が増えてきている。流石に多いのか、他の騎士達が監視をしている。
見学者と離れた所ではイリスとアランさんが俺を見つめていた。
「おっと、私が勝った時の要求を決めていなかったな」
デリックが額に手のひらを当てて大きく天を仰いだ。
そういえば、アイツは要求をしていない。
「私の要求は一つ。私が勝てば、貴様を私の奴隷にすることだ」
「なっ!?」
「そんなのあんまりです!」
奴隷という予想の斜め上を越す要求に思考が停止した。
イリスが抗議するが、
「黙れ! これは決闘という正式な儀式だ。それによる要求は自由だと決まっているのだ!」
イリスが縋るようにアランさんの目を見つめる。
だが、アランさんは目を瞑り首を振る。
「無理だ。決闘の要求は自由。変えることは出来ない」
「そんな………!」
自分の事で俺が奴隷になってしまうという危機感にイリスは顔を青褪める。
だが、そんなイリスの頭にアランさんは手を置き、
「カンザキを信じてやれよ。俺はアイツが敗けるとは思わない。イリスちゃんは、アイツが敗けると思うのか?」
その質問に、即座に首を横に振る。
「なら大丈夫だ。アイツは勝てる」
もう、覚悟はした。敗けると奴隷になってしまうのなら、勝てば良いだけだ。簡単なこと。
「おい、始めてくれ」
自分が敗けるとは思っていないデリック。
そいつに勝てば、問題はないんだ。
「それでは……始め!」
【スフィア】解説
・『貴族』
古くからの伝統を重視する名家。
彼等は先祖から伝えられている事を受け止めやすく、エルフや精霊に関しての神聖視が顕著であり、ハーフエルフには特に忌避感を持っている。
権力と財力を持ち、平民からは裕福な者達だと嫌われている。
確かにそのような穀潰しのような人間もいるが、国の事を考えている人間は平民からも好ましい印象を持たれる者が殆どである。