3.騎士団の詰め所にて
ハンナは今、筋骨隆々な二人の男に囲まれている。
大きくもなければ小さくもない部屋。広さは寝台を縦に二つほど並べたくらいか。その部屋も、二人の体格のよい男が詰め込まれれば、小さく感じるというもの。
(暑い……なんともいえないくらい暑い……ていうか熱い……)
その部屋の中央に置かれた、これまた勉強机くらいの大きさの机に、ハンナは男一人と向かい合う形で座っていた。
決して色恋といった逢瀬ではない。絶対ない。
そも、ハンナの好みは爽やかな青年なのだ。淡い色の髪と、宝石のような瞳を持つ、どこか繊細な雰囲気の、魅惑的なひと。それはまさにフィロンのことである。
けれど今彼女の目の前にそびえる男たちは、繊細のせの字も見当たらない。探せといわれたなら、筋肉男その二あたりの頭か。彼の髪は実に繊細そうで……近い将来はきっと抜け落ちていることだろう。
ハンナが筋肉男その二の頭、もとい髪を凝視することで意識をとばしていると、それに気づいた筋肉男その一、ことハンナの目の前に座る男が声を荒げた。
「おい、聞いているのか! お前の名前と職業はなんだと訊いているんだ」
ハンナはハッと意識を男に向ける。
(ああ、忘れてた。あまりの緊張に現実逃避しちゃった。……尋問だか詰問だかの最中だっけ)
取り繕うように適当な愛想笑いを振りまいて「もちろん聞いておりますとも、騎士様方」と言えば、(本当かよ)と言いたげな胡乱な眼を向けられた。
ハンナは筋肉男、こと騎士に、手に提げていた籠を見せた。中には瑞々しい花がたくさん入っている。
「私の名前はハンナでございます。花屋のハンナ」
「……っ、なんつーか安直な名前だな」
騎士の率直な物言いに、ハンナは少し傷つく。自分でも、思ってはいたのだ。両親の命名に対し、同じことを。それでも、嫌いな名前というわけではない。大好きな両親がつけてくれたのだ。
だから、開き直ることに決め、素朴な疑問を投げかける。
「覚えやすさに勝るものはありません。で、騎士様方、私はなぜここに連れられてきたのでしょう?」
かれこれ、彼女がそこ――街にある、騎士団の詰め所――に連行されてから、真上にあった太陽がわずかに傾く時間が経過していた。
ハンナは善良な、といえば聞こえがいいが、正しくは騎士に捕まるほどの悪事を働いたことのない、どこにでもいる街娘である。
性別女、年齢二十、職業花屋。とくにこれといって際立ったなにかもない。唯一の非凡といえば、前世の記憶を持つこと。だが、それを誰かに話したことはなかった。ゆえに、騎士たちに突然声をかけられ、詰め所まで連行された理由を彼女は知らない。
首を捻っていると、それまで苦虫を噛み潰した顔で沈黙していた騎士が、嘆息しながら言った。
「お前は、フィロン殿下のお噂を耳にしているか?」
ハンナはきょとん、とした後、目を瞬く。
「え、ええ、はい、あれでしょうか? 殿下が、お書きになった物語のお姫様を捜していらっしゃるという、あの噂ですよね?」
騎士は腕を組み、神妙に頷いた。
「そうだ、それだ。殿下は黒髪と青い薔薇と同じ瞳を持つ娘を手当たり次第に捜し出し、物語の娘を見つけ出そうとしている。……今はこの街だけだが、いずれは国内……いや、国外も捜索範囲になるかもしれん。我々も殿下の酔狂につき合わされ、振り回されているんだ。運命だのなんだの……」
一息つくようにして長い溜息を吐いた騎士に、ハンナは困惑した笑いを漏らす。
「お疲れ様です」と一言かければ、騎士は眉を上げ、ついでくしゃりと顔をゆがめて豪快に笑った。
「いや、むしろ王子のお遊びにつき合せて悪いな。あれでも、眉目秀麗で切れる方なんだが……今回の思いつきには俺らもびっくりしたもんさ。まぁ、明日はフィロン殿下の挨拶の日だし、その時にごっそり青い薔薇を売りまくってくれや」
「それは大もうけの予感です。でも、明日は私、非番なんですよ。気が向いたら、そうします」
そうして、ふと、ハンナは顔を上げた。その顔には、先ほどの笑みとは違う、どこか無邪気さが浮かべられている。
「でも、どうやって物語のお姫様かどうか判断しようとしているんですか?」
好奇心むき出しの問いに、目の前に座っている騎士ではない、それまで”休め”の体勢で様子を見守っていた置物――こと騎士その二が、手に持つことで背後に隠れていた籠を机に置いた。
籠の中に陳列されるのは、色とりどりの薔薇。
赤、白、黄、青、紫、淡紅と、おそらく全種ではないだろうか。
ハンナは眉間に皺を寄せた。
「……営業妨害ですか?」
「違う」
騎士は即断し、顎で籠の中の薔薇を指す。
「この中から、お前の気に入った薔薇を選べ。それが、殿下に命じられた審査の方法だ」
ハンナは目を見開いた。
たったそれだけでわかるのか、と疑念を抱くが、すぐに思いだしたのは王子の書いた物語。
――二人の愛を象徴する、青い薔薇。
そこに意味があるのだと、ハンナは察する。物語が広まった今、ここに連れられた何人の乙女がこの薔薇を選んだだろうか。もしかしたら、その後に、今度は殿下直々なる審査があるのかもしれない。
ハンナは口尻を持ち上げ、「私はこれが気に入りました」と囁く。
そうして、一輪の薔薇を手にとった。
騎士から解放され、花屋へと帰ったハンナは、店じまいをする母に声をかける。
「ただいま、母さん。今日はご飯いらないや」
「おや、そうかい。珍しいこともあるもんだね。明日は雨か……」
項垂れた母の言葉に拗ねながら、店の奥にある居住空間へと踏み入れた。
ハンナの部屋へ続く扉を開く。
机と寝台と本棚があるだけの、こじんまりとした小さな部屋。けれどそこが、今の彼女の心休める場所なのだ。
金持ちではないから、どの家具も自然そのままの木の色。
疲れを投げ出すように寝台へと飛び込めば、それはギシリと軋む。決して柔らかくはないが、そこがハンナの天国。
布団に顔を埋め、ぽつりと呟く。
「覚えていたんですね、すべてを」
――物語では書かれなかった、前世の記憶がある。
それは、前世で生きた国の文化で、この国にはないそれ――花言葉。
花を贈るには意味がある。かつて生きた国では、告白の際に言葉を告げずして想いを伝える道具に、花をよく用いた。
赤い薔薇は愛情を、白い薔薇は尊敬を、黄色い薔薇は嫉妬を――青い薔薇は奇跡を、意味する。
青い薔薇の花言葉を、彼は覚えていたようだ。
この国で、忌避の対象ではない黒髪と青い瞳。しかし前の生では、魔女の証と言われた。――ハンナの前世 ルクレティアも、そうして魔女と呼ばれた。
けれど。
(青い薔薇は奇跡だと、あなたは言った)
それにどんなに救われただろう。
彼を思い出せば、胸は高鳴り、鼓動は速くなる。切なさと甘さを帯びた締め付けは、今もハンナが恋をしている証拠。
「愛しています、アリストフォン様」
ハンナは今宵もその名を呼ぶ。前世からずっと今まで愛する、その青年の名を。