転生はしない、やり直しもしない
男は疲れていた。
五十を過ぎた体を酷使し、忙しい時期は毎日のように広い北海道を飛び回る。
彼は自然ガイドと夏山と冬山のガイド資格を持ち、小さな会社に所属していたが、全体的にガイドが高齢だったこともあり今は解散し、横のつながりで仕事を受けつつフリーでやっている、あっちこっち飛び回るのは疲れるが、いつ仕事が途切れるかわからない恐怖があり断れない。
たまに雇うバイトもいるが今回は一人、そもそもそのバイトは車の運転が怖くてできないという理由でゴールド免許を持っているような男、気のいい奴で自然に関わる知識もあるから使っているが、それ以外はからっきしで対人能力は壊滅的、精神的にも弱いためパニックも起こしやすいし、仕事が続くと音を上げてしまう社会人には不向きな根っからの社会不適合者である。
ただ彼自身も結局組織に所属することが不得手だから、今はフリーでやるしかないのだ。
使い続けた眠気を打破するドリンクも一向に効果は薄く、仮眠をとりたかったがここは高速道路であるし、事務仕事も溜まっているから出来る限り家早く戻りたい、戻ってきたら事務仕事は後にするにしても早く休みたい。
彼は独り身である、学生時代付き合った女性もいたが結局結婚には至らず、ガイドになってからもそういった縁には恵まれず現在に至る、楽しいばかりではないが元々自然が好きだったのだし、ガイド業にはやりがいも感じている筈なのだ、なのにやはりどこか満たされない。
独り身は気楽だし、その気楽さに慣れてしまった自分が伴侶を持つことなどできない人間であることも知っているが、若い知り合いが結婚したなどという話を聞く複雑な気持ちになる、人の不幸を祈るようにはだけなりたくないと思っているし、実際願っているわけでもないが……自分独りでただ仕事をして養うだけの人生が何か空しくなってくる。
彼はとある漫画家の言葉を借りるならば、幸せ行きの最終列車に乗れなかった男なのだ、別にそんな人間珍しくないことくらいわかってもいる、他にも大勢いるからといってそれで気が楽になるかと言えばそんなことはまったくない。
この先、生きていたところで俺に何が待っているというのだろう? そんな人生を表現する言葉があるとすれば、それは敗戦処理だ。
山の中でここで死ねたら気持ちいいかもしれない、そうふと思う時がある。
そんなときは「両親より先に死ぬのはよくないよな」とか「俺が死んだら、あいつどうなるんだろうなぁ……」と、社会不適合者のバイトの将来を考えたり「ガイドが山で死んだらガイド業全体に迷惑がかかるよな」とその思考を遮る。
死にたいと生きていたくないは微妙に違う、死にたいは死に対して積極的であり、生きていたくないは生きることに消極的であるということ、これはバイトの男を見て気づいたことだ、積極的に死にたいわけではないのかもしれない、だが……あまり生きていたいとも思えないという心持ちを彼は抱いている。
バイトは若くして、ぬるく重い絶望を胸に抱えているいるのだ。冗談が好きで好奇心も強い、だが怠け者で消極的で普通に生きることが出来ず、ただそこに存在しているだけでどこか苦しい……そういった心情を彼はたまに吐露する、それを気が利いているとは言えない言葉でやんわり否定していたら、そのうち口にはしなくなったが……しかし、自分にもそれが潜んでいることに気づいたのはいつからだろうか。
ふと、意識が途切れ、気が付くと自動車事故の現場にいた、ガードに追突したらしい。見覚えのある車だった、彼は死んだらしい。
それから自分の葬式やら何やらをずっと見てきた、自分が死んで泣いてくれる人が結構いるのを見て、男自身も悲しくなったし、社会に適応できない喪服を着てやってくること自体ちょっと意外だったバイトが泣いているのをみて、放り出してしまうことを申し訳ない気持ちにもなってくる「君は沢山問題も抱えているがまだ若い、いろいろなことをよく知っているし、いい奴だからもう少し社会に合わせることが出来れば、道も開けるとは思うんだけどなぁ」と声をかけてはみたが届かなかった。
そして、焼き場に体が運ばれる、体が残っている間は案外入り込めたりしないかな? なんて考えてもいたものだが、どうにもならずマイクロ波によって焼かれ灰となり改めて死の不可逆性を実感する、
これからどうなるのだろうと考えふらふらと漂いながら何日も過ごした、自分と同じような死者とも知り合いになったが、数日たつといつの間にかいなくなっていたし、残っている奴はちょっと声をかけたくないタイプの死人……成仏できずこの世を彷徨う幽霊だということが一目でわかるタイプもいる。
生きても死んでもままならず、なるようにしかならない日々。
突然、急に体がどこかへ行く感覚に襲われた、天に上るわけでも地に沈むわけでもない、説明しがたい感覚……そうか、四十九日経ったのか。
気が付くと、目の前に黒髪の和服美人がいた、和服なのに巨乳だとわかる。ということはここは天国とか極楽とかそういう類の場所か?
「いいえ、ちょっと違います、ヴァルハラでもありませんよ……失礼、人の心を読むものではありませんね」
「は、はぁ……」
「あなたはまじめで善良な人です、ゆえに特別出血大サービス! 別の世界の無限の魔力とすべての属性の魔法を使える超天才に転生させてあげましょう!」
「はい?」
「ですから、無限の魔力とすべての属性の魔法を使える超天才に転生させてあげましょうって、スーパーDXハイスペックチートマジックマスター超合金みたいな感じです」
「超合金?」
超ハイスペックでとんでもない力を持った自分を想像してみる、慢心し気に入らない奴を力でねじ伏せる姿が想像できる、そして女を侍らせて今の自分なら大嫌いなはずのごま擦り野郎におだてられていい気になっている独裁者……そんな最悪な姿しか想像できない。
「いや、あのろくでもないことになりそうなので遠慮しておきます」
「力が足りない?」
「いや、人は力に溺れてしまうものですし、その結果自分も他者も不幸にするのでは? という話で……」
「よくご存じでいらっしゃる、実際に力を与えて送り出した人間たちは、力に溺れ欲望に忠実な血に飢えた無双モンスターと化してしまいした」
「なぜそんな特定外来生物を越えた特定外来生物を世界に放つんですか」
女神はよくぞ聞いてくれましたという顔をする。
「そりゃね、私だって初めはまじめに世界を管理し、苦しみもなければ醜いところのないパーフェクトにして完璧な世界を維持するために腐心していたんです、でもこの世界の管理という作業に終わりはなくとても退屈なものでして……しかもちょっと管理を怠れば完璧は失われる、でもそこで気づいたわけですよ、醜さや苦しみのあるせかいも、それはそれで結構面白いんじゃない? って」
「そこで世界が乱れるに任せると?」
「まぁそうですね、私にとっての世界というものは、あなたに理解できそうなたとえをするならば、無数に分岐のあるゲームのセーブデータみたいなものともいえるわけです、最初は一つのセーブデータを大事にプレイして不幸な世界なんて作らずに行こうって思ってたけど、やっぱり一本道は退屈ですから異なる世界線を作る、さらに一歩踏み出し敢えて世界をどんどん乱し、英雄と称されそうな者が活躍できそうなシチュエーションを作ると世界はとても面白いものになったわけです」
昔、好きだったゲームで似たようなことを言っている神がいたことを思い出した、奴はチェーンソーでバラバラにできたのだが。
「そこでさらなる刺激を求めて、別の世界からの転生者を送り込んだわけですか」
「なかなか理解が早い、最初彼らは世界をひっかきまわしてくれて楽しかったんですが、どの世界でも世界でも類型的で独善的な姿になってゆくものだから、段々その醜悪さに幻滅してきたわけです」
「そんな勝手な……」
「知らなかったんですか? 現場で頑張っている多神教の神は多種多様ですが、世界を管理している私たちのような神はそんなもんです、自分は人間を試す癖に神を試すなといい、自分は妬む神だと言いながら、七つの大罪に嫉妬を入れるような、ね」
邪神すぎると男は思った。
だが、日に日に世界は悪くなっている気がするが、それを放置しているだから推して知るべしといったところなのだろう、何でも出来るなら奇跡のパワーでなんとかしてくれ、環境問題も資源も、社会の不幸も解決し、マンモスとか絶滅動物もよみがえらせてくれと、男は思う。
「ああー全知全能って人間が勝手に言ってるだけで……あと、あんまり極端な奇跡は起こせないし」
「まぁそれは納得のいく話ではありますね」
杜撰なことこの上ないし。と思ったとき、女神はちょっとむくれた。
「一度乱れた世界を良き方向に戻すには地道な作業と時間がかかるわけですよ、正直面倒くさくなっていろんな滅亡のシチュエーションを試して遊んだ時期もあったのですが、最近は我に返ったというか、一応私が遊んだ結果なので責任は感じているというか……」
一応良心らしきものはあるのか? と男は寧ろ困惑する。
「でも、この馬鹿みたいに世界が乱れてゆく刺激を知ると今度は、世界を良い方向に転がす地道な作業が退屈で耐えがたくて、だから魔王と勇者を生み出したり、英雄を連れてきたりするという逃避に走るわけです、マンネリですけどその時はまぁまぁ楽しいですし……ま、忌憚ない意見を仰ってください」
「邪神である一番の理由は、怠惰で強い刺激を求める性格とか……かなりダメなのでは?」
「なかなか理解が早い」女神は心底嬉しそうだった「そこでもう一つの提案です、過去に戻ってやり直すというのは如何でしょう?」
「そんなこともできるんですか?」
あの時ああすればよかっただとか、こんなことしなければよかった、もっと別の言い方があった、あの時実はモテ期だったかもしれない……など、まぁ後悔は数限りがない。
「はい、私としてはパラレルワールドが一つ増えるだけですし」
「パラレルワールドの中にはまともな世界も?」
「なにをもってまともとするか、という話ではありますが、そっちへがお望みですか?」
「別の世界線の自分と入れ替わるということですか? それとも別の世界線の別人に転生するということですか?」
「お好きなほうをどうぞ」
「入れ替わりは自分自身とはいえ乗っ取りのような。別の新しい時分に生まれ変わるのは良さそうな気もしますが、でも自分みたいな奴が不本意ではない人生の選択ができるとも思えないんですが」
「んもーわがままだなぁ、じゃぁそこにチートも足しますよ」
いくつもの世界を管理しているこの女神にとって人ひとりの運命なんて本当に軽いものなのだろう、だからこんな提案を軽々しくできるのだと、男は思った。
「いやですからチートは人間を狂わせますって、それに自分の人生を肯定しているわけではないとはいえ、今の人生で愛した家族や友人がなかったことになってしまうのは寂しいなとも思うんです」
「人が過去に縛られる理由は大抵の場合、今が満たされないからではないでしょうか? 次の人生がいい感じなら、それも受け入れていけますよ」
「そうでしょうね、しかしそれはそれでなんだか寂しい、悲しいことにも思えるんです」
この男は求めても得られないことを嘆きながら、喪失をひどく悲しんでいる、メランコリックな強欲とでもいうべき気質だ、今の彼がもし世界を作ったならきっと優しい世界なのだろうと、女神は思う。
「それでは過去に戻ってやり直すという方向で行きますか、これから起こることがわかっているということはやっぱり圧倒的有利です」
「いえ、それも遠慮しておきます……今の記憶をもっていたとして、自分がより良い選択ができるとはとても思えません、幸せになれると思っていた選択がより不幸を産む選択だなんてごく普通のことではないでしょうか」
「まぁ、それはそうですね、あなたたちが人生において知れることなんてごく限られていますから」
「それに愛したものは何一つ失わず、求めても得られなかったものが全て得られる選択ができたとしても、それ故にまた満たされず、求めてしまうのが人間ではありませんか?」
とにかく、どんな条件を提示しても、人生というものをもう送りたくないということだけは伝わってくる。
「では」私と世界の管理をしてみませんか……と女神は言いかけてやめた。
今までいろんな善良さを持った人間を見てきた、女神の在り様にまっすぐな怒りや反感をぶつけきた正義感の強い者、寛大で理解しようとした心優しい者、愛深き故悲しみも深き者……
この人と一緒なら自分はいい管理者、正しい神になれるかもしれない、そういつも期待して管理者の権限を与えるが、世界の管理を続けていくうちにいつの間にか自分よりも身勝手で理不尽に力を振るう堕落した邪神になってしまうのだ。
でも一番のしんどい理由はそこではない、この空間は一人では寂しすぎるからふたりになると丁度良く感じていたはずが、段々二人でいることに息が詰まってしまう、そして最後は迎え入れた相手から記憶を奪い、ごく普通の転生させて関係は終わる、それを何度も繰り返してきた。
「では、あなたが今世で出会い、あなたが愛しあなたを愛した人たちに、いくらかの幸福を……それでいいですか?」
「それでお願いします」
「では、あなたは記憶を捨て別の人生を歩みますか?」
「……出来れば心患うことのないところへ」
「わかりました、短い間でしたがお話しできて楽しかったです、おやすみなさい」
女神が男を抱きしめると、みるみる小さくなってゆき心地よい眠りに落ちてゆく、そこには苦しみの悲しみも醜さもない、ただ安らぎだけがそこにある、途方もなく美しいが認識できないまどろみの世界を男はずっと漂い続けるのだ。
「はぁ……また、ひとりぼっち」
独りきりになった世界で女神はそう呟いた。
怒髪天というバンドが歌う、傷跡のバラッドの一節
知らずにいたかった 本当の絶望は 激しいモノじゃなくヌルくて重かった
という一節はすごく的確だなぁと思い出来上がった感じです。




