最終話 晴れのち晴れ
微笑ましい二人の関係を見れてよかった。
湯舟でそんなことを考える。
セイラはどうやら泊まっていくらしい。
風呂にもさっき入っていた。
……でもあいつ、やけに荷物が少なかったよな。
着替えなんかとても持っていなそうだ。
風呂から出て、着替える。
そしてリビングでお茶を一杯。
これが俺の日常だ。
「なあ、ティアったら、こんな小っちゃいパジャマしか持ってないんだぜー」
セイラが話しかけてくる。
なるほど確かに、体の大きさに適さないというか、ちょっと色んな意味で言葉にしにくい状況になってしまっていた。
ベージュ色のパジャマ。
ティアが着ているのも何回か見たことがある。
その後いつものように、自室で宿題をやったり、軽く読書をしてみたりと、まったりとした時間を過ごして就寝する。
別に誰にも声をかけることなく、ひっそりと一日を終えるのが常である。
――であるのだが、今日は違った。
隣の部屋がうるさい。
「なあ、ティアも一緒に寝ようぜ、いいだろう昔はいつもこうだったんだから」
セイラの声が聞こえる。
あれでも、水村ロイヤルホテル、この町一有名な家の娘様です。
「ちょっやめて、勝手に私のベッドに入らないでー」
ティアの冷静さを欠いた抗議が、隣の俺にまではっきりと聞こえてくる。
「ええ、いいじゃん、ティアのけちっ。ティアっていつも私に対して冷たいよなー、もしかして私の事、嫌い?」
「えっ? そんなこと言われても……」
「じゃあ、私と未佐、どっちが好き?」
!!!
なんつー質問しやがるんだよ、セイラの奴は!
「それは……………かな」
「そうか、ティアは私よりも未佐のことが好きだったんだな!」
おそらく俺に届けるために、露骨に大きな声を出すセイラ。
「やめて、そんなこと言ってないじゃん!」
すかさず突っ込むティア。
いや、俺が傷つくんですけど。
そんなこんなで、二人の仲睦まじい会話は長らく続いていたみたいだが、限界を先に迎えたのは俺で、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
ふと、目覚めると、朝の五時過ぎ。
まだ辺りは静か。
あ!
流石に今日はティアよりも早く起きただろう。
セイラと二人で寝ている姿も拝みたかったが……流石に理性が勝り、今回は遠慮することにした。
早朝の我が家も悪くはない、か……。
散歩でもしてこようかな、唐突にそんな気分になり、ベッドから起き上がり部屋の外に出る。
リビングに明かりがついていた。
まさか、ティアがもう起きているのか――と思ったが、それはハズレ。
そこにいたのはセイラであった。
「お、おはよう」
俺が背後から話しかけると、
「!!! びっくりしたぜ、あーティアじゃなくてよかった」
「何してるんだ?」
「いや、見りゃ分かるだろう、朝ご飯を作っているんだよ」
脇の炊飯器からはカラカラ音が鳴っていたし、セイラの正面にある鍋には、豆腐&ワカメの味噌汁がぐつぐつ煮えていた(味噌汁は沸騰させたらアカンやろ!)。
朝食……か。
「なんか急に押しかけて迷惑かけて、ティアに悪いと思ってな、ちょっとしたサプライズだぜ」
「……別にそんなことないと思うけど、あいつすごく楽しそうだったし」
「ばか野郎! わかってるよ、それくらい。私が遊びに来てティアが喜んでいることなんかさ。まあ、ちょっとした照れ隠しだ。ティアが喜ぶところが見たいだけ」
と、若干ためらいがちに呟くセイラは、味噌汁の味見を一杯。
俺はとっさに話しかける。
「なんか手伝おうか」
「そうだなー。じゃあさ、ティアを起こしに行ってくれないか?」
え?
なんで俺が?
まあ、料理くらい独力で出来る事をティアに見せたいという、セイラなりのプライドなのかもしれなかった。
ティアの寝起き姿を初めて拝むことへの緊張感と、他人を起こしに行く恥ずかしさから、気が重かったがティアの部屋の前まで来てしまった。
優しく、はっきりノック三回。
ティアの眠そうな返事が聞こえた(ような気がした)瞬間に素早く扉を開く。
そこには、無邪気にも眠そうに目をこするティアの姿が。
ティアはベッドの端で寝ていた。
まるでもう一人が寝れそうなスペースを残すようにして。
俺と目が合うと、とっさに布団を顔付近まで持ち上げながら横を見て、
「えっ? なんの冗談ですか、セイラもいないし」
「知ってるぞー、お前ら二人が一緒に寝てたこともな。やっぱり、最高の親友同士だな………行こう、下でセイラが待ってる」
「……はい!」
ティアは照れながらも渾身の返事を返した。
◇
本音を言ってしまうと――ティアの作った食事には技術的に及ばない出来ではあったものの、暖かい朝食であった。
そして、そのあとセイラは俺とティアに礼を残して去っていった。
きっと、二人は切れない絆でつながっているんだろうなーっと、別に今生の別れでも何でもないのに、そんなことを考えてみる。
そしてそれから三週間。
待ちに待ちに待った給料日。
……とは言っても、年下(十四歳)からもらう給料とはいかにといった感じではあるが、自分の働きがどんな形であれ可視化されるのは、まだ経験したことのない喜びであった。
初めてもらった給料というと、大体家族とかにプレゼントを贈っている印象があるよな……。
しかし、あいにく俺の家族はそういった行為を偽善的で上っ面なものだと唾棄していた。
ほかに俺にとって大事な人はいるかな?
友達……かな。
でもな、なんか自分の財をひけらかすようで良い気がしないよな。
そうなると……ティア、だな。
自分に給料を与えた人間に対してプレゼントというのも、おかしな話だけど。
「なあ、ティア、欲しいものとかないか?」
よし、完璧に自然な会話。
ごまかせてるよな。
ティアは眉をひそめ、
「どうしたんですか、未佐?」
「いや、何となく、お前ってどういう物が欲しいのかなー、みたいな」
「違っていたら恥ずかしいんですけど、もしかして何か奢ってくれようとしてます?」
バレた!
なぜだ、隙は無かったはず。
「大丈夫ですよ、それよりもいつも働いてくれてありがとうございます」
いやいや……。
「いや、なんかお礼がしたいんだ。いつもお前には助けてもらってばかり、感謝してもしきれない」
すると彼女は、はっきりと首を振り、
「大したことは――できていませんから」
まるで心を閉ざすかのように、そう言って見せる。
……何がいけなかったのだろうか。
先ほどの会話を思い返しつつ、店に並んだ商品を見渡す。
彼女に拒絶された気分だ。
ところで、俺は彼女に何かしてあげられているのだろうか。
彼女の人の良さにかまけて、何かをしている気にだけなって、彼女を笑顔にしたことなどないのではないか。
俺はなんて情けなくて、ダメな奴なんだ……。
とっさにスマホを取り出し、水村セイラに電話。
『おー未佐か、久しぶりじゃん、どうしたんだ』
セイラの陽気な声が耳に伝わる。
「突然電話してすまんな。あのさ、ティアってどうしたら笑う?」
『……意味の分からない質問だぜ。急にどうした、ティアに告白でもしようとしてるのかよ』
「いや、違う。そういう意味じゃない。俺って彼女に甘えてばかりで、何もできていないなって」
『なるほどなー。まあティアって自分のことは何でも一人でやっちゃうし、それができるだけの力もある』
そうだよな、今にして思わなくても、超人的な十四歳だ。
しかし、セイラは続ける。
『だからこそ、他人がいないとできないことってのを、未佐がやってあげれば喜ぶんじゃないか?』
他人がいないと――できないこと。俺じゃないと――できないこと。
それは一体。
「分かった、ありがとう。突然電話してすまなかった」
はい、どうも、というセイラの声を最後に電話は切れた。
ティアができないこと。
ティアの力ではできないこと。
◇
その日、バイトが終わった後も、俺たちに会話はなかった。
何だかんだで、一人でいるよりも一緒にいる方が楽しくなってきた、そんな頃合いであったのに、非常に息苦しい。
しかし、プレゼントをしっかりと用意できた。
あとは、渡すだけ……なのに。
ティアの扉の前で立ちすくむ俺がいた。
まるで、一か月前に『フォレーヴ』の入り口で緊張のあまり動けずにいたある人間のように。
強い意志を持って、ノックを三回。
ティアが弱々しく扉を開く。
その目はいつになく迷っている。
ドアが開くなり俺は
「あのさ、ティア、俺は楽しいよ」
ティアはポカンとした様子。
「一か月前と比べてさ、今の生活は何というか、カラフルでわくわくに満ちているっていうかさ。全部ティアのおかげなんだ。お前がいなかったら、こうはなっていなかった」
そして、ティアの目を見る。いつも彼女がしてくれたように。
「いつも、俺を笑顔にしてくれて、ありがとう」
ティアは言葉を失い、まるで自分が立っているのか座っているのかも判然としない、そんな様子だった。
何を言うべきか脳内で反芻し、何回も入念な試行を重ねたうえで、ティアが発言する。
「そんな言葉……恐れ多いですよ……。それに、いつも笑わせてもらっているのは私の方です。ですが、もし未佐が本心でそう言っているなら、あなたのプレゼント――確かに受け取りました」
その眼差しには小粒の輝きと、晴れ渡る笑顔。
やっぱり、何も解決していない。
彼女には何もできていない。
ただし、今だけは、そんな考えもなくなり、ただ彼女を見つめていたかった。
完結
ティアの設定として、
・親が金持ち
・超優秀な子どもを集めて教育する秘密機関に入るも周りについていけずに挫折
・昔馴染みのセイラの勧めに従い、水村ロイヤルホテルの金で『フォレ―ヴ』を開店
というのがありましたが、うまく本文に組み込めなかったので、ここに記します。