第三話 日常となった日常
あれから数日が経ち、俺も新たな生活に慣れ始めた。
月城ティアとは、うまくやれてるんだか、そうじゃないのか、よくわからないような感じだが、まあ以前と比べたら悪くはないだろう。
しかし、一つ問題がある。
家事。
二人で暮らしながらも、そのほとんどの家事をティアに任せているのが現状である。
掃除、洗濯、料理……。
本当に情けないこった。
どうしたもんかと、頭を悩ます今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
っていうか、俺の着たものを年下の女の子に洗わせているこの状況が笑えない。
なかなかに変態的というか、ポイント高いぞ。
ここは一つ交渉してみよう。
今は夜の十時。
営業が終わって丁度家に帰ってきたころの時間である。
「なあ、ティア。家事を分担しようぜ」
ティアは淡々と、
「いえ、大丈夫ですよ。未佐の負担を増やすわけにはいきませんから。それに私がやった方が効率がいいですし」
「いやいや、そんなこと言ってもさ、やっぱり分担しようぜ、俺も何か役に立ちたいんだよ」
後半が本音である。
「いえ、結構です。私はこう見えて優秀なので」
お?
彼女の自慢は意外に感じられた。
「だって、この値段であの料理が出せてるお店ってほとんどありませんからね。やっぱり、きちんと材料の入手にも気を使い、効率を常に追求した店舗運営をしつつ、確かな料理スキルも持ち合わせているからでしょうね」
「意外と自信家だな……お前」
まあでも、これが打ち解けるってやつなのか。
ならうれしい限りだ。
するとティアは軽く微笑むと、
「それに……未佐がやるとしたら何の家事をするんですか?」
「げっ。せ、洗濯とかかな?」
「私の下着も洗ってくれるんですか?」
ムムム……。それは考えたこともなかった。
まあでも、本当の妹とかがいたら、その下着なんかにこれっぽっちも興奮しないだろうけど。
俺には妹はいないが。
「いや、それは……。じゃあ、掃除とかは?」
「未佐みたいに、自分の部屋の整理もできない人に、家の掃除ができますかね? 私もお客様に料理をお出しする身として、常に身の回りは清潔にしておきたいんです」
まあ、店も家もきれいだしな。
……ていうか、勝手に人の部屋に入るなって言おうとしたけれど、俺の部屋を掃除してくれてるってことだよな、ありがとうティア様。
「じゃあ料理は?」
ダメ元で尋ねえてみる。
「いや、私は栄養バランス、美味しさ、味の好み、文化的価値観、色んなものに気を使って料理をしているんです。家でも、店でも。ですので、これだけは譲れません」
「だよなー。じゃあ、俺には何ができる?」
彼女に支えられっぱなしってわけにはいかないんだ。
「そうですね。あっじゃあ、麦茶当番をお願いします」
――というような感じで、麦茶づくりは今日から俺の管轄となったのであった。
◇
ティアは本当に優秀で、まさに賞賛の言葉しか浮かんでこないのだが、しかし意外と自信家であることが判明。
何とも、面白い人間である。
まあでも一緒に暮らすというのは、互いに遠慮しあって、気が休まらないことも多い。
特に風呂。本当は逐一お湯を抜いてしまいたいところではあるが、流石に水と金がもったいないので、俺は必ずティアの後に入るようにしている。
別に決してやらしいことはしていないので。
まあそんな風に、大変な生活だ。
それでも、常に彼女の思いやりは暖かかった。
「とまあ、それはいいとして、勉強も進めないとだよな」
まだ入学直後であり、つい最近まで受験勉強に勤しんでいた身とすれば、忙しかったとはいえ全然勉強に身の入っていない今日この頃に、多少の罪悪感を感じてしまう。
眼前の大量の課題に恐れおののき、今すぐふて寝してしまいたいところではあるのだが……。
まあ、やるしかない。
一ページ目。目次である。
二ページ目。この参考書の狙いと手引きが書かれていた。
三ページ目。びっしりと敷き詰められた計算問題。
衝動的に本を破りたくなるのを抑え、机に置きかけたシャーペンを握り直す。
たかが計算、されど計算。
うーん、頑張れ、俺。
三十分経過。
勉強に集中してると、時間が経つのが早いって言うけれど、これって勉強がはかどっている時とはかどってない時の両方に共通するんだよな。
だからつまり、全く勉強が進んでないのにもう一時間も経っちゃったの?、みたいなのが一番焦る。
はあ、休憩、休憩。
ちょっと水分補給だ。マイ麦茶を飲むとしよう。
と、丁度部屋を出た瞬間に、ティアと鉢合わせになった。
ティアはとっさに目をそらす。
まあ最近こそ、お互いにましになったけど、ティアもあの感じじゃ、コミュ強には見えないし、しょうがないな。
ただ、ティアはそんな自分を制するかのように、
「いやすみません。未佐、浮かない顔してどうしたんですか?」
「ちょっと数学の宿題をやっててな」
「数学ですか……」
ちょっと見せてください、と続けるティア。
こいつ学校行ってないんじゃ、と内心で突っ込みながら、参考書を見せてやる。
フムフム、なんていう風に声を出しながら読む彼女。
ありがとうございました、と本を返してくる。
「頑張ってください、陰ながら応援しています」
部屋に戻ると、「難」と上に忌々しく書かれた問題に苦戦していた。
しゃあねー、解答を見るか、と引き出しに手を伸ばす――いや一つ思いついちまったぞ。
ティアに聞いてみよう。
なんかあいつ、さっき分かった風に本を読んでいたが、ちょっと試してやろう。
ティアの部屋の前に立つ。
あれ、女子の部屋とか、人生で一度も見たことないんだが。
妹いないし(ここで姉がとっさに出てこないのは、完全にアニメの見過ぎであろう)。
ノックを三回、優しくはっきりと。
ティアは返事をしながら扉を開けると、何の用だと、まあ不思議そうな表情をしていた。
「ちょっと尋ねたい問題があって、これなんだけどさ」
ティアはどれどれ、と覗き込むと
「ああ、これは前の問題が誘導になっているパターンですよ。こっちの答えが76なので、これを使って――って何をそんなに驚いているんですか?」
「え、いやなんで高校数学分かるの?」
「分からないと思ってるのに質問しに来たんですか?」
ティアは軽く怪訝そうに言った。
「いや、別にそういう意味じゃ」
確かに、俺は嫌な奴だな、そう考えると。
ふと、ティアの部屋を覗く。
何やら分厚くて、高そうな本がいっぱい並んでいた。
でも、部屋そのものは寒色が基調で整然としていて、いかにも女子っぽい部屋である。
しかし、何か変なものの一つや二つないかなと辺りを見ていると、
「あの勝手に部屋を見ないでください」
「あ、いやゴメンゴメン」
やばい俺の株が急激に下がっている。
するとティアはうつむきながら、小さくポツリ。
「そんなに見たいなら頼めばいいのに」
その顔はなんとも形容し難かったが、あえて言うとしたら、失望と羞恥と期待にあふれた表情といったところである。
それを見た俺は、
「部屋を見せてくれないか?」
とすかさず一言。
するとティアは顔を赤らめ、
「え、じじゃあ、ちょっと待っててください」
そう言って扉を閉めてしまった。
いざ言われたら焦るのかよ。
二分経過。
「あ、あのどうぞ……」
人に見せられない何かがあったのだろうか。
妄想が捗るところだが、流石に直接は言えそうにない。
やはり、先ほど外から見た通りのこざっぱりした部屋で、機能性を第一に考えられている。
それでも、何か面白いものを探してしまうのが俺である。
俺の身長よりも高い本棚には、現代的な小説から新書まで様々な本が――ティアらしくないのだが――割と無秩序に置かれていた。
これはきっとさっきの二分間で手直しした弊害だろう。
いや、流石に、十四歳の部屋の本棚に漫画とラノベが一冊も見当たらないのはおかしいだろ。
あっ!
『身長と精神的優位性の関係』
これは……。
あいつ、背はあんま高くないもんな。平均的な十四歳と比べた時に。
ティアの数少ない弱点を発見できた。
「あの、何かコメントしたらどうですか」
黙って部屋を真剣に見つめる俺にティアは不機嫌そうな一言。
「いや、綺麗な部屋だなって、ごめんごめん」
「あんまり変なもの見ないでくださいってあっ!」
「どうした?」
「何でもないですよ、何でもない」
そう言って俺の方に近寄ると、素早く本を一冊抜き取る。
まさにさっきの身長本であった。
ふふふっと思わず声をあげて笑う俺。
「まさか見たんですか?」
「いやさ、露骨すぎるよ、ティア」
わかりやすく照れるティア。
身長の低さも相まって、その姿は余計に可愛らしく見えたのだった。
当初の目的はすでに忘れていたが、まあなかなかに楽しい春の夜であった。