第二話 難攻不落
案内されたのは、『フォレーヴ』から五分ほどの小さくて地味な一軒家であった。
確かに、一軒家にしては慎ましやかで、手狭に感じる人もいるかもしれないが、二人で住むにしては十分な広さであろう。
……どうしてこうなった……。
どうやら月城曰く、一人で住むには広すぎるこの一軒家の一部を、福利厚生の一環として、バイト従業員に貸し出しているらしい。
前に働いていたバイトの女性が、店とこの家を同時に去ったため、俺を雇ったというわけだ。
人手不足の今日である。
住宅付きとまで銘打たないと人が集まらないのも、まあ分からなくはない話ではあるけどな。
そのため月城は、男性をバイトとして雇う事はないそうだ。
(もちろん共に住むのが気まずいからである)
だとしたら、俺が実は男であったのを知った時に、彼女があれほど驚いたのも理解できる。
ガチャっと鍵を開け、家の中に入る月城の背中を追う。
「本当に入っていいんだよな……?」
声をかけると、月城は黙って頷いた。
ったく、さっきから露骨に元気をなくしやがって。
流石の彼女も、異性と同居しなくてはならないという事態に――困惑を隠しきれない様子だ。
しかも俺の方が年上だからなあ。なんか申し訳なくなってきた。
辞退しようかな、このバイト。
ドアをくぐると、左手には階段、右手にはリビングとダイニングとキッチンが一つになってた小さな部屋があり、突き当りにはおそらくトイレと風呂、洗面所があった。
一階の案内を軽く受けると、
「階段を上がってください」
二階には、部屋が二つ。
どうやら、片方が月城本人のもので、もう一方が貸し出すための部屋であった。
入ってみると、机とベッドが部屋の大半を占領し、あまり体を動かしたりできそうなスペースはなかったが、まあそれは実家と大して変わらなかった。
「このベッドや机は前の人も使っていましたが、シーツはちゃんと洗ってあるし、部屋の隅まで掃除をしてあるので安心してください」
淡々と誇らしげに彼女が言った。
まあ、店もかなり清潔であったし、綺麗好きなんだろう。
「色々と分からないこともあると思うので、遠慮なく聞いてください」
彼女らしい、丁寧な心遣い。
彼女は部屋を出て行った。
◇
椅子に腰かける。
オムライス、うまかったなー。というのが最初の感想。
いやいや、そうじゃなくてさ、なんだよこの状況。
どうして俺はこんなところにいるんだよ。
あんな女の子と二人で暮らすとか無理だぞ。
まあ、月城的にはもっと願い下げだと思うが。
いったん状況を整理しよう。
月城ティア。
十四歳にしてレストランの経営者であり、一軒家を持つ。
いやこの時点でツッコミどころが多いなあ。
この一軒家、確かに小さくてそんな新しいようには見えないけれど、中学生の年齢じゃ逆立ちしても買えない・借りれないと思うんだが。
まして、彼女は学校に行ってるんだろうか。
彼女の性格的にも一緒に暮らすには辛いかもしれないなぁ。
いやなんていうかさ、丁寧で親切なんだけど、こっちに踏み込んでこないって言うか、一線張っちゃってるだよな。
まあ、俺も一歳下の女の子とすぐに仲良くなれるほど社交的なわけじゃないし。
そして、俺は住宅付きのバイトをしたと思ったら、それが月城の家だったと。
そもそも俺は男だから雇われるはずなんてなかったんだが、あいつが未佐って名前を勘違いしたせいで……。
いやまあ、そうだよな。
男と二人で住むのなんて年頃の子には勘弁だよな。
うーんどうしたもんかね。
でもな、このままいけば気まずい関係になるのは確定だしな。
バイトでも家でも一緒の人間と、良好な関係が築けないのは、明らかに苦しいというか、不便だよな第一。
忘れちゃいけないのは、俺が年上ということだ。
俺からどうにかしよう。
その時、扉がコンコンと叩かれる。
現れたのは、月城ティア。
どうやら、風呂に入ったあとで、カチューシャをせず、割と長い前髪をそのまま下ろしている。
「あの、お風呂どうぞ」
「あ、は、はーい」
かなりどもってしまった。
そうだよな、一緒に過ごすってことは、風呂も同じものに入らきゃだよな。
風呂に入ると、その日分の疲れが一気に俺の眠気を誘い、届いた荷物の整理だけすると、そのまま寝てしまった。
◇
翌日。
スマホのアラームで起きると、月城を起こさないように慎重に準備をしながら、ある問題に直面した。
朝飯はどうしよう。
昼は学食で済ませているから無問題なのだが、朝飯はどうしようもない。
月城はまだ寝ているだろうから、起こしちゃまずい。
まあそうだよな、飲食店をやっている人は、どうしても夜にリズムが行っちゃうよな。
本来だったら、適当に冷蔵庫のものから何か作ってしまいたいところではあったのだが、流石に他人の食品をいじるのは常識人として躊躇してしまった。
……! 辺りを見回していると、机の上に置かれた小さな手紙に気づく。
『買い出しに行ってくるので、冷蔵庫のパンを焼いてください。あと、サラダとスープも食べといて下さい』
几帳面な文字でそう書かれた手紙を読みながら、思わず涙が出そうになる。
彼女はどこまで働き者なんだ。
ありがたく朝食をいただき、学校へ向かった。
『フォレーヴ』の定休日は水曜日のみであり、それ以外は毎日ランチとディナーの営業をしているらしい。
もちろん、俺が手伝えるのはディナーだけなので、ランチは月城がまた違うバイトの女性と二人でやっているらしい。もちろんその人はあそこに住んでいないが。
はあ、と軽くため息をついてみる。
どうしたもんかな?
どうにかして月城と打ち解けなくては。そして朝食のお礼も言わないと。
学校が終わると、新たな家に急いで帰る。
着いた時には、まだディナーの始まっていない時間であった。
そこからさらに急いで『フォレーヴ』に向かう。
店に入ると、月城が既に準備万端といった様子でキッチンに立っていた。
「ああ太田さんですか。お帰りなさい」
「ああ、おはよう。あのっ、朝ご飯ありがとう。マジで助かったし、感動した」
今日初めて会ったから、おはよう。
「感動なんて言いすぎですよ。昨日の段階で伝えられなくてすみませんでした」
と、本当に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
いや、謝る必要なんて全くないっていうか、むしろ俺なんて助けてもらってばかりだ。
彼女の謙虚さ、というか卑屈さが心苦しかった。
彼女はそのまま続ける。
「今日は皿洗いとお客様に料理を運ぶ作業の手伝いをお願いします」
「あっはい。わかりました」
言われるがままに頷く。
すると彼女は唐突に軽く微笑んだ。
何か面白い事でもあったのだろうか。
月城が笑ってる所を、接客以外で初めて見たかもしれない。
少なくとも、俺に向かって笑顔を見せるのは初だろう。
「どうした? 何か俺、変か?」
「いえ、何でもありません。さあ、仕事です」
変な奴……。
難しいな、他人と仲良くなるって。
そして、また慌ただしいディナータイムが始まった。
皿洗いとは言っても、もちろんそんな簡単なものではなくて、丁寧に早く、が求められるし、食器の清潔さというのは、店への信頼の根幹を成すものである。
そして出来上がった料理を運ぶのも、俺にとっては容易でないタスクだった。
短い時間ではあるものの、お客と店員がもっとも物理的に近寄る瞬間である。
どうすればお客に不快感を抱かれないか。
一つ一つの動きや言い方に気を遣うのには、正直言って骨が折れた。
まあしかし、なんやかんやで、何とかなってしまったわけではあるが。
やっぱり、一番大事なのは、調理なんだなあ、と確信したわけである。
閉店の時刻。
疲れたなーっと、流石に口に出すのは年下のいる手前はばかられたが、実際はクタクタであった。
すると、今日のまかないです、と言って月城がナポリタンを差し出した。
何というか、どっちが雇われてる側か、分からなくなってきた。
丁重にお礼を言って、食べ始める。
また気まずい空気が流れる。
やばい、昨日の反省が何も活かされてない。
何か、話題話題。あっそうだ。
「なあ、もう一回聞きたいんだが、さっきの俺、なにかおかしかったか?」
何か問い詰めているような感じがして、いい気分でないが、関係性を深めるためには止むを得ない。
「いや、その、失礼かもしれないんですけど――太田さんって、私が何か指示した時だけ、敬語で返事をして、自分から話しかけてくるときは、敬語じゃないのがなんか変だなって」
『今日は皿洗いと、出来たものをお客様に運んでもらえますか?』
『あっはい。わかりました』
先ほどの会話が思い出される。
ああ、それなら心あたりがある。
いやでも、俺の立場も複雑なんだよ。なかなか心を開いてくれない上司兼家族と、ともに働いて生活するのは。
それなら……。
俺が勇気を出さないと――いつまでもこんな息苦しいのは嫌だ。
「じゃあさ、こうしないか。お互い敬語はやめる」
月城は明確に眉をひそめる。
「お互い、ですか」
「そう、お互い」
「でも、太田さんの方が年上ですし……」
「それ言ったら、月城さんの方が、上司だろう」
あれ、もしかして俺、やばい奴認定されちゃってる?
怖がられてる?
月城は長い沈黙の末、若干ためらいながら口を開く。
「ごめんない。流石に私は、敬語を使い続けます。それは年下として譲れません。ですが太田さんは、使わなくていいです――店でも、家でも。いや、むしろ敬語をやめてくれると安心します」
そうか……。
「でも確かに、今のままの関係では若干息苦しいのも認めます。ですので、呼び方を変えてみようかなと」
呼び方?
すると月城は、少しだけ照れながら、
「私のことも下の名前でティアって呼んでくれると嬉しいです。それでいいですか、未佐?」
…………。
唐突な名前の呼び捨てに面食らった。
これまでの月城の言動とはうって変わって、という印象である。
敬語をやめようとは言ったが、名前を呼び合うのは、ちょっと流石に気恥ずかしいっていうか……。
まあ、女子同士で苗字を呼び合っているのは、確かにあんま聞かないから、これが女子のスタンダードなのかもしれないし、俺の名前が女の子っぽいのも関係しているかもしれない。
しかし俺が他人のことを下の名前で呼ぶのなんていつ以来だろうか。
だって、クラスに同じ名前の女子が三人いても、苗字でしか決して呼ばなかった俺だぞ!
まあでも、こんなのはただの照れ隠しだ。実際は、彼女が少しでも心を開いてくれたなら、すごく嬉しい。
動かなかった壁がついに動いた感覚。
「ああ、これからよろしくな、ティア」
やっと言えた。
仲良くやっていけるかもしれない。
同僚として、家族として。