表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

第23話:火傷の証明

――凍えるような沈黙だった。


 小広間の襖がぴたりと閉じると、外の喧騒はまるで遠い異国の幻のようだった。高官たちの視線が一斉にわたしへと集まる。冷たいのは、空気か、それとも彼らのまなざしか。


 火傷の跡は、確かにあった。左手首の内側に、鋭く抉れたような跡が一筋、細く、赤黒く残っていた。


「それが……密書を奪おうとした者の証なのか?」


 重々しい声を発したのは、左大臣の蕪木かぶらぎであった。彼の視線は鋭く、けれど探るような色を帯びている。


 わたしは静かに頷く。


「火傷は、薬湯を運んでいた者にしか負えません」


「なぜだ? 火傷など、厨房の下働きなら誰でも負う」


「いいえ」と、わたしは膝を進め、真ん中に座す年若き女官――茜姫の侍女・小緋こひを見た。


「薬湯には、鹹水かんすいと呼ばれる塩成分を多く含む薬石が含まれていました。もし火傷を負えば、皮膚の中で鉄分と結合して、黒ずむような独特の痕を残す。しかもそれは、徐々に滲んで拡がる――まるで、根のように」


 言葉の終わりと同時に、小緋の顔色がみるみる白くなる。


 思い出していたのだ。薬湯を運ぶ際、柄杓の端が滑り、熱湯が自分の手首にかかったときの激痛を。


 それは誰にも言えぬ火傷であった。なぜなら彼女は、命じられるままに“あるもの”を薬湯に入れたからだ。


「どういう意味だ?」


 今度は尚薬司しょうやくしの老医・秦木しんぼくが問いかけた。老いたその声には、震えが隠せない。


「毒です。薬湯に、毒を混ぜた者がいます」


 声を出したのは、私ではなく、座の端にいた宦官・春壬しゅんじんだった。わたしはそっと頷き、続ける。


「この毒は、“薬”の外套をまとっています。龍胆りんどうという植物に似た形をしており、加熱すると湯の色にほとんど溶け込みます。症状は発熱、眩暈、最終的に幻覚を伴う神経性の異常を引き起こす。そして、今、茜姫さまが苦しんでいる症状と一致するのです」


「ば、馬鹿な……!」


 老医が声を荒げる。


「薬湯は、私の監修のもとで調合されている。間違いがあればすぐに分かるはず――」


「毒が、“薬の形”をしていたなら?」


 老医は言葉を失った。


 その沈黙の隙間を縫って、わたしは小緋へと歩み寄る。


「あなたは、知らずに混ぜた。命じられるままに。だが、その結果、茜姫さまは命を落としかけた。そして、あなた自身にも――火傷という形で、それが刻まれている」


 小緋の肩が細かく震え始めた。


「……そんな……わたしは……」


「犯人は、あなたではない。だが、あなたは鍵を握っている」


 小緋の瞳が揺れた。そして、震える唇から、ぽつりと言葉がこぼれる。


「……翠髪の……女官……」


「翠髪?」


 わたしは記憶を辿った。翠髪といえば、あの夜の中庭で、ちらりと見かけた者がいた。目立つはずの色なのに、やけに誰も気づかない。まるで、その色自体が“擬態”していたかのように。


「翠髪の女官など、王宮にはいないはずです」と、誰かがつぶやいた。


「いえ」と、春壬が眉をひそめて言った。「“いなくなった女官”が一人います。三年前、火災の混乱で行方不明になったとされていた女官――妙瑠たえる。確か、薬学に長けていたと聞く」


 まさか。火災の夜の混乱に紛れて消えた女官が、いまだ宮廷に紛れ込んでいた? 


 ――そして、今も「薬」を使って宮廷を操ろうとしている?


 視線が交錯する。


 火傷は、黙して語らぬ証言者だった。


 この痕が語るのは、意図せぬ加害者の罪、そして見えざる“真犯人”の存在。


 水平思考とは、常識を疑うこと――「薬湯が人を癒す」という前提が、既に逆転していた。


「火傷を追えば、毒を知る」


 わたしは静かに呟いた。


 幕は、ようやく上がったのだ。この宮廷の、本当の闇がどこにあるのか――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ