第23話:火傷の証明
――凍えるような沈黙だった。
小広間の襖がぴたりと閉じると、外の喧騒はまるで遠い異国の幻のようだった。高官たちの視線が一斉にわたしへと集まる。冷たいのは、空気か、それとも彼らのまなざしか。
火傷の跡は、確かにあった。左手首の内側に、鋭く抉れたような跡が一筋、細く、赤黒く残っていた。
「それが……密書を奪おうとした者の証なのか?」
重々しい声を発したのは、左大臣の蕪木であった。彼の視線は鋭く、けれど探るような色を帯びている。
わたしは静かに頷く。
「火傷は、薬湯を運んでいた者にしか負えません」
「なぜだ? 火傷など、厨房の下働きなら誰でも負う」
「いいえ」と、わたしは膝を進め、真ん中に座す年若き女官――茜姫の侍女・小緋を見た。
「薬湯には、鹹水と呼ばれる塩成分を多く含む薬石が含まれていました。もし火傷を負えば、皮膚の中で鉄分と結合して、黒ずむような独特の痕を残す。しかもそれは、徐々に滲んで拡がる――まるで、根のように」
言葉の終わりと同時に、小緋の顔色がみるみる白くなる。
思い出していたのだ。薬湯を運ぶ際、柄杓の端が滑り、熱湯が自分の手首にかかったときの激痛を。
それは誰にも言えぬ火傷であった。なぜなら彼女は、命じられるままに“あるもの”を薬湯に入れたからだ。
「どういう意味だ?」
今度は尚薬司の老医・秦木が問いかけた。老いたその声には、震えが隠せない。
「毒です。薬湯に、毒を混ぜた者がいます」
声を出したのは、私ではなく、座の端にいた宦官・春壬だった。わたしはそっと頷き、続ける。
「この毒は、“薬”の外套をまとっています。龍胆という植物に似た形をしており、加熱すると湯の色にほとんど溶け込みます。症状は発熱、眩暈、最終的に幻覚を伴う神経性の異常を引き起こす。そして、今、茜姫さまが苦しんでいる症状と一致するのです」
「ば、馬鹿な……!」
老医が声を荒げる。
「薬湯は、私の監修のもとで調合されている。間違いがあればすぐに分かるはず――」
「毒が、“薬の形”をしていたなら?」
老医は言葉を失った。
その沈黙の隙間を縫って、わたしは小緋へと歩み寄る。
「あなたは、知らずに混ぜた。命じられるままに。だが、その結果、茜姫さまは命を落としかけた。そして、あなた自身にも――火傷という形で、それが刻まれている」
小緋の肩が細かく震え始めた。
「……そんな……わたしは……」
「犯人は、あなたではない。だが、あなたは鍵を握っている」
小緋の瞳が揺れた。そして、震える唇から、ぽつりと言葉がこぼれる。
「……翠髪の……女官……」
「翠髪?」
わたしは記憶を辿った。翠髪といえば、あの夜の中庭で、ちらりと見かけた者がいた。目立つはずの色なのに、やけに誰も気づかない。まるで、その色自体が“擬態”していたかのように。
「翠髪の女官など、王宮にはいないはずです」と、誰かがつぶやいた。
「いえ」と、春壬が眉をひそめて言った。「“いなくなった女官”が一人います。三年前、火災の混乱で行方不明になったとされていた女官――妙瑠。確か、薬学に長けていたと聞く」
まさか。火災の夜の混乱に紛れて消えた女官が、いまだ宮廷に紛れ込んでいた?
――そして、今も「薬」を使って宮廷を操ろうとしている?
視線が交錯する。
火傷は、黙して語らぬ証言者だった。
この痕が語るのは、意図せぬ加害者の罪、そして見えざる“真犯人”の存在。
水平思考とは、常識を疑うこと――「薬湯が人を癒す」という前提が、既に逆転していた。
「火傷を追えば、毒を知る」
わたしは静かに呟いた。
幕は、ようやく上がったのだ。この宮廷の、本当の闇がどこにあるのか――。




