第22話:「産声の在りか」
「……聞こえたんです。あの夜、赤子の泣き声が」
その証言は、意外なところから届いた。
声の主は、元・宦官。今は城外の離宮に“雑務補佐”として左遷された男――名はルイ。
ユウは帝の侍医を騙り、許可証を偽造してまで、その離宮に赴いた。
理由はただ一つ。
彼の“耳”が、妃の赤子の生存を証明する、唯一の手がかりだったからだ。
「その声、どこから聞こえました?」
ユウの問いに、ルイは迷うことなく即答した。
「……妃の私室ではありません。あれは、薬房の裏路地です。窓から吹いた風が運んできました」
「薬房?」
「ええ。あの夜、交代時間がずれて、少し早く持ち場を離れてしまった。裏通りを通っていたら、……赤子の産声が、微かに響いたんです」
ルイは眉をひそめる。
「不思議だったのは、……音が、外に漏れるようにして“開かれた小窓”から聞こえたこと。中では誰かが慌てて何かを包み、沈黙させようとしていた……」
ユウは、かすかに目を伏せた。
薬房の裏路地――それは、ちょうど妃の部屋と繋がる“香の配給経路”と重なる場所だった。
(香を運ぶ名目で、赤子を“外へ搬出”することが可能な唯一の動線)
つまり、あの夜――赤子は死産ではなく、生きたまま連れ出された。
その夜、ユウは宮中の薬房を再訪した。
昼間の穏やかな気配とは打って変わって、夜の薬房は重苦しい沈黙に包まれていた。
彼は、道具棚の裏、香材を乾燥させる隠し釜に手を伸ばす。
(ここで使われていた“麻布”が、血と乳の混じった液を吸っていた)
新生児を包むための“布”の痕跡が、香材の影に紛れていた。
しかもそれには、決定的な痕があった。
――胎脂。
赤子の肌に残る、白い保護膜。
それが、微量ながら麻布に残っていた。
(それが意味するのは、たった一つ)
赤子は、その場で生まれたのではなく、移送されてきた
翌朝、ユウはある人物に声をかけた。
帝直属の香師――カオル。かつて妃付き香調師として知られた女だった。
「あなた、赤子を移送する香の経路を作ったのでは?」
カオルは何も言わなかった。ただ、静かに目を伏せた。
ユウは続けた。
「“記憶を混濁させる香”は、作るのが難しい。ですが、香に混じった“牡丹皮”はあなたの調香癖だ」
「……妃が命じたのです。赤子を、誰にも見せてはならぬ、と」
「理由は?」
「“耳”です」
カオルは絞り出すように告げた。
「赤子は、生まれながらにして、“耳が潰れていた”」
ユウは、目を細めた。
(つまり、泣いていたはずの赤子の“声”は……)
「――聞こえなかったのですね、妃には」
「ええ。だから、妃は“産声を聞いていない”と……記憶の中で、あの子を“死産”と思い込んだ」
香が記憶を曇らせ、声が届かず、記録が改ざんされ。
結果、生きていた赤子は“存在しないもの”にされた。
ユウは、それを一つひとつ紐解いていく。
「では、今……その子は、どこに?」
ユウの問いに、カオルはゆっくりと答えた。
「“無声院”にいます。生まれながらに声を持たぬ子たちを集める、外郭の院。帝都の影にある静かな孤児院です」
「名前は?」
「――“ナオ”と呼ばれています」
その日の夕方。
ユウは“無声院”の門を叩いた。
静かな庭。沈黙の子供たち。耳が聞こえず、声も出せない子たちの世界。
その中に、一人――
年の割に目が大きく、周囲を鋭く観察する男児がいた。
「……君が、ナオか?」
少年は、こくりと頷いた。
ユウは、腰を屈めて視線を合わせる。
「君のことを、探していた人がいるんだ。君が、“生まれてきた”ということを、忘れさせられたままの人がいる」
少年は、不思議そうに目を見開いた。
ユウは微笑む。
「君は、確かにここにいた。間違いなく、命を持って」
完結済みにしておきます。




