第20話:香の記憶と、空白の侍女
香の記憶は、嘘をつかない。
ただし、それを読むには“香りの言語”を理解していなければならない。
ユウは、妃の部屋で使われていた香炉を丁寧に解体し、微かに残った粉末を指先ですくっていた。
「白鸞花だけじゃない……他にも、沈香、蘇合、少量の没薬……」
組成が精緻すぎる。妃の心を乱すだけの毒ではない。
これは――“記憶を混濁させる香”
目的は狂気ではない。“ある記憶”を曖昧にし、封じることだ。
(妃が覚えていた“赤子の声”だけが、なぜか消されていない)
ユウはそこに、意図しない“薬の偏り”を感じ取った。
つまり、仕込んだ者は未熟。あるいは……途中で何かを誤った。
その夜、ユウは禁じられた宮女記録庫を開いていた。
官吏の目を欺くため、古い鍵を複製し、眠らせた門衛からこっそりと入手した。
(妃付きの侍女“セイ”――三ヶ月前に“病死”と記録されている)
しかし、その記録には不自然な空白があった。
死亡時の確認者の署名が――ない。
(病死を記すなら、必ず医官の署名が要る。……つまり、公式記録ではない)
セイの名前は、その後どこにも出てこない。
まるで最初から存在していなかったかのように、記録の“縫い目”から剝がされていた。
「セイ様を、お探しですか?」
突如、背後から声がかかった。
振り向くと、そこには宮中清掃係の少女――ミリがいた。以前、ユウが毒虫に咬まれた際、手当をしてくれた娘だ。
「彼女、私の姉です」
ユウの背中に冷たい何かが走った。
「……セイは、どうなった?」
ミリはためらい、そして絞り出すように語り始めた。
三ヶ月前のある夜。
妃が産気づいたとき、侍女のセイは医官を呼びに行こうとした。
しかし、その直前に“ある宦官”が部屋に現れ、妃の口に香を焚いた。
そして――赤子は、生まれることなく“消えた”
セイはその夜以降、“病にかかった”とされ、誰にも会わず、数日後に“火葬”されたと知らされた。
「でも、私は信じてない。姉は、そんな死に方をする人じゃない。私、彼女が遺した“香札”を持ってます」
ミリが取り出したのは、淡い紫の布で包まれた、手製の香札だった。
香を封じるための木札の中には、細く折りたたまれた和紙が入っていた。
そこには、ただ一言。
「あの子は、確かに生まれた」
ユウはその夜、妃の部屋を訪れた。
「妃。……ひとつ、試してほしい香があります」
彼が取り出した香は、**“逆記憶香”**と呼ばれるもの。
記憶を混濁させる香とは逆に、脳の“匂い記憶”に刺激を与え、眠っていた体感記憶を呼び起こすものだ。
ゆっくりと香を焚くと、妃の目が震えた。
「……これは、あの夜……セイが……」
「妃が出産した夜に使われていた香です。思い出していただきたい、“どこまでが本当”だったのか」
そして――妃の手が、唇へと伸びる。
「……わたくしは……赤子を、抱いていた」
涙がひとすじ、頬をつたう。
「でも……赤子の声が、……途中で、止んだのです」
ユウは静かに頷いた。
それが、真実。
だが“誰がそれを止めたのか”は、まだ不明だった。
一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




