第13話:死者の宴と、生き残る者
診療院の裏庭には、昨夜から焚かれ続けた薬草の匂いがまだ残っていた。残雪の中、煙は地を這うようにして立ち昇り、春の足音を拒むように冷たく湿っている。
ユウは、朝から一人で調剤室にこもっていた。並ぶ薬瓶の数は少ない。だが、今日必要なのは、薬ではなかった。
「──これが、死者の口に含まれていたものです」
机の上に置かれた、小さな白い花。雪見草の乾いた花弁だった。
「死因は毒……ですが、やはりこれは“意図的なもの”と見てよいのでしょうか?」
顔を曇らせたのは衛兵隊長のハルドだ。診療院があるこの村では珍しい客人であり、昨晩の宴席にいた一人でもある。
事は深刻だった。
昨晩、隣村からの商人が、村人との交易のために訪れた宴の最中、突然倒れ、喉を押さえて絶命した。その喉元には、泡立つ唾液とともに、薬臭のする液体が残されていた。
ユウは昨夜すぐに駆けつけ、現場に残った杯や食器を検分した。客人たちが口にした料理や飲み物は、村人たちと同じものだった。だが──死んだのはただ一人。
「この雪見草は、自然界にはまず存在しません。……少なくとも、野生のものは極めて稀です。これは……乾燥加工されたもの。しかも──保存の手が加えられている」
ハルドの目が鋭くなる。
「つまり、それを持っていたのは……」
「誰かの“意図”が、そこにあるということです」
ユウは立ち上がる。戸棚から小さな箱を取り出し、花の標本をいくつか並べて見せた。
「雪見草の毒は、致死量がとても曖昧です。体質や健康状態によって作用が異なるからです。……つまり、予測しにくい。だが昨晩、死んだ男には持病があった」
「心臓病、か……?」
「ええ。わずかに心拍が不整でした。宴の最中に、ふと見たんです。彼の指先が震えていて、盃を持つ手もぎこちなかった。だから気になって……薬草の煙でごまかされたが、あの杯には、何か混入されていた」
ハルドは眉をひそめる。
「だが、それをやったのが誰かは……」
「実は、一つだけおかしな点があるんです」
ユウは言う。
「死んだ男の席の隣にいた村の娘──セリア。彼女は、宴の途中で盃を交換している」
「……?」
「こぼしたから、と笑っていた。でも、それは演技でした」
ユウは、昨晩の宴席の配置図を取り出す。そこに、小さな赤い印がつけられていた。
「元々、毒はセリアの杯に入っていた可能性があります」
ハルドの顔色が変わった。
「つまり──その男は、毒入りの盃を代わって“受け取った”?」
「ええ。彼はセリアに気がある様子でしたから、軽く代わってやったんでしょう。でもそれは──」
「……誤算、だった」
ハルドは頭を抱えた。
「毒殺の標的は、セリア?」
「はい。そして、その毒を用意できる人物は限られています」
ユウは一歩踏み出した。
「雪見草を加工し保存するには、乾燥技術と薬剤知識が要ります。──この村で、それを持つ人物は一人だけです」
そう言って、ユウは扉を開けた。
そこには、村の年寄り薬師、ヨムが立っていた。
「まさか、私が? それは飛躍だ、リン先生……」
老人の声は震えていたが、瞳の奥には、微かな諦念のようなものがあった。
ユウは静かに言った。
「十三年前、村で雪見草中毒の事件がありました。……犯人は見つからなかったが、その知識を持っていたのは、あなたしかいなかった。そしてそのとき、死んだのは──セリアの父です」
室内の空気が凍りついた。
「今になって同じ毒が使われた。……復讐でしょうか? あるいは、口封じですか?」
ヨムは黙っていた。
やがて、彼はふっと笑った。
「……私は、罪を重ねた。だが、彼女を殺すつもりはなかった。いや、きっと、そう信じたかっただけかもしれん」
ハルドが近づき、静かに手錠をかける。
ユウは目を伏せ、机の上に置かれた白い花をそっと包んだ。
それは、罪を纏い、命を奪った花。だが、その毒を知る者だけが、命を守れる。
それが、医を生業とする者の宿命であった。