第12話:毒の名は、雪見草
冷たい風が山の背から吹き降ろしてくる朝。
診療院の前に、一人の男が立っていた。旅装束に包まれた体は震え、だが、その眼差しは何かに憑かれたように鋭く、焦点を結ばない。
「……ユウ先生を、呼んでくれ……たのむ……」
目の下に濃い隈を作った男は、唇の端に乾いた血を滲ませながらそう言った。
応対した見習いの少女リネは、慌ててユウを呼びに走る。
「変わった旅人ね」と呟いたユウは、上衣の裾を翻しながら診察室へ向かう。
扉を開けると、男はすでに床にうずくまり、口元から泡を吐き始めていた。
「……これは」
ユウはすぐさま脈と瞳孔を確認し、内心で冷静に推察を始めた。
――嘔吐、痙攣、視点の迷い、口腔の痺れ……神経毒の症状か?
しかし、毒性は緩慢だ。即死性ではない。少なくとも、数日以上体内に留まっていた痕跡がある。
「……貴方、何かを口にしましたね? 草か、茶か、あるいは……」
男は震える指先で、懐から一枚の干し花を取り出した。
それは、白い六弁の花弁を持つ、まるで雪の結晶のような草――。
「……雪見草、だ……妻が……これを……」
ユウは瞳を細めた。
「それを、どこで採ったのですか?」
「……村の、北の……霧の谷に……咲いていた……綺麗だった……だから……」
言葉は次第に薄れ、男は昏睡に落ちた。
ユウは干し花を手に取り、顕微鏡の下に置いた。
そして、試薬を一滴垂らすと、青から緑へ、色が変化する――アルカロイド系毒素の典型的反応だ。
「やはり……これは毒草。だが、普通の雪見草ではない」
その瞬間、記憶の片隅から、古い医学文書の一節が蘇る。
――『雪見草の仲間に、「鏡雪草」という変異種があり、微量の神経毒〈カロフェニン〉を含有する。加熱・乾燥により分解されるが、冬期の自然乾燥では毒性が残存する――』
「乾燥……」
ユウは顔を上げた。
この男は、毒を盛られたのではない。
毒草を“愛の贈り物”として、乾燥させて茶にしたのだ――無知ゆえに。
──だが、不可解なのは、妻がこの草を贈ったという点だ。
「リネ、旅人の持ち物を調べて。手紙や、妻からの贈り物があればすべて」
数刻後。
リネが持ってきた袋の中から、一通の文が見つかる。
筆跡は達者、内容は優しげで、こう綴られていた。
『あなたの疲れが少しでも癒えますように。
この草は、北の谷で見つけたわ。雪見草っていうの。
熱を加えればお茶になるそうよ』
ユウは違和感に眉を寄せた。
「……この文、癖がある。薬草の知識を持つ人間が、こんな無防備な書き方をするだろうか?」
顕微鏡で文字の筆圧、インクの滲みまで観察すると――
ある“隠された線”に気づく。
「炭素粉末で転写跡……この手紙は“誰かの代筆”だ」
真実は、一つの細い糸を引いた。
──妻はすでに亡くなっている。
──この手紙は、義姉が書いたものだった。
──そして、義姉には“想い人”がいた――男の妻だった人物に。
だが直接的な殺意はない。
ただ「少し離れてほしい」という感情が、毒草という媒介を選んだ。
だが皮肉にも、毒草は季節によって毒性が変化する。
義姉が使った春の雪見草は無害だった。
だが男が拾ったのは、毒性の残る冬の雪見草――。
「……神様が、皮肉な結末を導いたのかもしれないわね」
ユウはそう呟くと、男の診療に戻った。
命は助かった。
だが、彼の心に咲いた雪は、溶けるにはあまりに冷たく、美しかった。
2話更新が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




