コミュニケーションが下手なひとの特徴。
「話せば、分かりあえる」
この言葉には、大きな間違いが潜んでいる。
話して分かること。それは「分かり合える人間」か「分かり合えない人間か」が分かるということ。
同じ言語を使いながら、会話がまるで成立しない人間がいる。その原因には、主義・主張以上に「聞く態度」の問題が横たわる。
他人との会話は、キャッチボールだ。
まずは投げ手側のボールをちゃんと「受ける」ことから始めるのがマナー。だが、これが出来ていない人間が意外に多い。相手の言葉には、キャッチのそぶりすら見せずにスルーし、いきなり暴投をぶち込む人々がいる。
おそらく、こういった人々の多くは「脳内での自己対話」をアウトプットせず、いきなり「俺はこう思う!」を主張し始める。周囲からすれば、まさに「ポカーン」である。
いわゆる「浮いている人」の特徴。
彼らの多くは「相手自体」に興味がない。相手の言葉よりも「俺の意見」。そして相手からのリアクションの確認は「相手に映る自分」を見るためだけのものに過ぎない。自己愛が過ぎ、相手にも敬意を示さない人間が「浮く」のは当然のことである。どれほど美辞麗句を並べてみたところで「(相手に対する)心がない」のは、最初からバレている。しかし、当の本人は敬意を示したつもりでいるのだから、永遠に世間から浮遊するハメになる。
主義・思想、思考の深さ。
「IQが20ポイント以上離れると会話が成立しない」という説があるが、ここには大きな誤謬が潜むと筆者は考える。おそらく成立しないのは、IQ100とIQ80といった「相手に合わせる能力がない者同士」の会話における話のみであると予想される。
IQ120とIQ100との会話なら、IQ120側がストレスを抱えながらも、IQ100にも「理解できる言葉」にかみ砕き、それを成立させることも可能だろう。しかし、IQ100程度の人間は、IQ80の人間に理解できる言葉を巧く生成できないため、冒頭の「IQが20ポイント以上離れると会話が成立しない」が出てくる。この説はあくまでも「中央値」付近のみでの話ともいえる。
要するに「合わせる気があるかどうか」
これが一番重要だ。―― 知能に大きな隔たりがある、小さな子供との対話でも、心温まる交流は出来るのだから、コミュニケーションに知能はあまり関係はない。やはり「心」の問題である。
会話が成立しなくても「態度」がコミュニケーションを成立させる。「自己との対話」のためだけに、他者と会話を求める人間が浮くのは、当然の話である。
コミュニケーションは「態度」ひとつで生まれ変わる。
しかし、下手な人の多くは、共感性に乏しく、また自己愛が過剰。なので、荒療治なしに治る病かどうかは、微妙なところでもある。
まずは「話し手」であることよりも「聞き手」を目指せ。自分の話を聞いてもらいたいのなら。ちゃんと聞ける人間には、相手もちゃんと耳を傾ける。「返応性の法則」ってやつだね。
いきなり投げつけられる暴投、ウ○コに誰が興味あるねん。