3.
友達から、親友だと思うようになったのはいつからだろう。
その境界が曖昧になるくらいには光里と桜は気が合った。
最初に言葉を交わしてから早6年。
新卒2年目の2人は勤める会社は違えど、月に1回は会うような仲だった。
「最近、彼氏とはどうなの?」
いつもと変わらない大衆居酒屋。話す内容はとりとめのないことばかりだが、静かなところで隣席の客に聞かれるが嫌だ、という理由で2人は店は違えど、いつも大衆居酒屋を利用していた。
雰囲気からしてうるさいからなんの気兼ねもなく話ができる。
「ああ、別れたよ、今日」
「そうなの?また急だね」
「それが聞いてよ!今日、休憩時間に彼氏を紹介してくれた先輩と話してて、彼氏との仲を聞かれたの!そしたら先輩にLINEがきてね!」
思い出して不快になったのか、光里は飲んでいたジャッキをダン!と勢いよくテーブルに置き、両眉がくっつきそうなくらい顔を顰めた。
「最近、剛くんとはどう?」
休憩時間に、今の彼氏を通じて仲良くなった先輩と話をしていると、会話の流れでそう聞かれた。
来たか、と光里は内心うんざりだった。
新卒1年目で入社半年ほど。高齢者施設の看護師という仕事には慣れてきたが、人間関係はまだまだ構築中だ。
そんな折、同年代という理由で仲良くなったのがこの先輩。気さくでとても話しやすいが、いつでも世間話をしてくるところが少し苦手だった。
その世間話の中で、つい、彼氏がいないと漏らしてしまった。
そこからは展開が速かった。彼女の知り合いを紹介され、断りもできず、初めて会ってから1ヶ月後には、光里の彼氏として光里の隣に立っていた。
第一印象は大きい人。柔道家だからか、礼儀正しく、何より誠実だった。
「好きです。付き合ってください。大切にします」
初めて1日デートをした夜の品川駅。顔を真っ赤にしてそう告げる彼に、
この人を好きになれたら楽だろうな。
と、どこか客観的に考える自分がいた。
正直、好みの顔ではなかったが、自分が求めている安定した恋愛ができそうだった。
マッチングアプリで安定的な恋愛を求めて早数年。
散々迷走して、途中は男遊びにも興じたりして寄り道もしたが結果は得られず。ちょっと焦りを感じ始めていた。
だから、特に好みでもない柔道家は、光里の求める幸せへの近道に思えた。
「はい。よろしくお願いします」
にこ、と笑い返すと、剛はとても嬉しそうに笑った。それをどこか冷めた目で見る自分も、光里は自覚していた。
そんな経緯で始まった交際も3ヶ月目。
「んー、まあ、どうなんですかね」
正直、限界を感じていた。
彼は確かに見た目通り真面目で誠実だった。
真面目で、誠実で、つまらない。
会話のテンポがとにかく合わなかった。仕事の愚痴を軽く言えば、求めてもいないアドバイスが返ってくる。意味のない軽口を言えば、その意味をひたすら考える。
1日デートをすれば、終わる頃には見えない疲労でぐったりだった。
加えて、自分たちの付き合いを採点するように時々進展を訪ねてくる先輩。
安定的な恋愛ができるはずだった。好きになれそうだと思った。
けれど、この人ではない。
まだキスだってしていないけど、体の相性はいいかもしれない。
それでも、告白をされた時に自分を見ていた自分が、この人ではないと言ってくる。どんなに時が経っても好きになれそうにない。
付き合って3ヶ月。光里はもう先輩に対しても剛に対しても、義理は果たしたと思っていた。このタイミングだったら、双方と揉めることなく円満に別れられるだろう。
剛も私が自分を好きじゃないことくらい気づいているはずだし、未来のない交際を続けるのはあまりにも不誠実だ。
実際に、続いていた剛とのLINEのやり取りは1週間前から途絶えていた。
剛には適当に別れの理由を言えばいいし、先輩にも価値観が合わなかったなどと言えばいい。ただ、それを言うのは今ではない。
適当に誤魔化そうとしたところで、先輩のスマートフォンから通知音が聞こえた。
ごめんね、と先輩が携帯を開く。
すると、彼女の黒目がちな大きな目がさらに大きくなった。
「ねえ、光里ちゃんたち、別れたの?」
「え、私たちって別れたんですか?」
予想外の展開に2人は顔を見合わせる。
「え、待ってなにその反応。なんで光里ちゃんが知らないの?」
携帯を近くの机に乱暴に置き、両手を肩の高さで広げてわかりやすく驚く先輩。
「いや、知らないですって。確かに、正直別れようとは思ってましたけど、まだ私たちの中でそんな話してませんよ!」
「だって、LINEに光里ちゃんと別れましたって書いてあるよ!自然消滅みたいになってって書いてある!」
「嘘でしょ!確かにLINEは返ってこないですけど、来週会う約束してますよ!」
予想外の終止符にまだ言うタイミングではなかった言葉が溢れでる。
「そこで別れ話をするつもりだったんですから!」
「ええ?じゃあ光里ちゃんとちゃんと話した?って確認してみる?」
「ああ、いらないです。剛くんがもう別れたと認識している以上、話すことなんかないので」
「でも...」
心配そうに自分を見つめる視線を遮るように光里は掌を突き出す。
「正直、価値観が合わないから別れるつもりだったんです。まめな剛くんからLINEが来なくなって、私のメッセージにも返事がないから彼もそういうつもりだったと思います」
話しながら光里は段々と自分の中で驚きが怒りに変わっていくのを感じた。その怒りはそのまま声色に移っていく。
「だけど、紹介して頂いた人だし、終わりはしっかりするべきだと思って電話でもなく来週2人で話そうと思っていたんですが、自然消滅という楽な道に逃げたんですね」
敵前逃亡かよ、と光里は無意識に舌打ちをした。イライラしている時の癖だ。
しっかり終止符を打たないとは、なんて不誠実な男だ。柔道家が聞いて呆れる。
好きだったわけではない。思い出なんか今すぐゴミ箱に捨てられる。
ただ、自然消滅に逃げた剛に対する怒りだけが光里の中に渦巻いていた。
「せっかく紹介してもらったのにこんな形になってすみません。でももうこんなことをする剛くんには会いたくないのでこのまま別れます」
光里はまだ心配そうにしている先輩に頭を下げた。
「いや、私こそこんなことをする男を紹介してごめんね」
「先輩が謝ることじゃないです!」
光里は慌てて言う。
「付き合ってる時は確かに楽しかったので...」
苦し紛れの嘘。ばれているような気もしたが、そういうしかなかった。
気まずい空気が流れたとき、光里の休憩時間終了を知らせるアラームが鳴った。
救いのメロディー!
そう思いながらも隠して「あ、時間...」とアラームを止める。
「びっくりしたけど、もう私にはできることはないのできっぱり前に進みます。本当にありがとうございました。じゃあお疲れ様です」
一息に言い切ると、光里は一つお辞儀をして仕事に戻った。
まだまだ怒りは収まらないが、今日はちょうど桜と飲む日。
剛の話をつまみに酒を飲もう。
そう考えて、苛立ちを今夜の楽しみで沈めた。