第二話
アシュベリー男爵が無表情であり、互いの会話がぎこちなくて重たい空気になることがしばしばでも、それでも私は彼の隣にいられるのは嬉しかった。
無表情でも優しい人なのだもの。
喉が渇いたと思ったそこで彼は私にグラスを差し出しており、ダンスが上手でない私が足を躓きそうになると、彼はふわっと私を持ち上げてくれる。
何て気遣いのある素晴らしい人なんだろう。
そんな素晴らしき人を独り占めの状態にしてしまっているのは、私には彼以外の男性からダンスのお誘いが無いという情けない実際によるものである。
親切で義理堅い彼は、本気の本気で私を哀れに想って、兄以上に親身になってくださったのだろう。
だから私はそれを感謝して、有頂天になるぐらいに嬉しい事でも彼の行為をはき違えないようにしていたのだが、周囲はそれでも私が思い違いで図に乗っているとしか見做していない。
兄が私の前から連れ去られるや、私の兄から親切顔で私を受け取った年配女性から、私は心無い言葉を受ける事になった。
「あなた?思い込みは惨めなものよ。いい加減になさいな。」
またか、と思ったが、それは仕方がない事だろう。
誰もがアシュベリー男爵に好意を寄せており、誰もが彼の隠された恋を応援しているという事だもの。
彼のお荷物になっている私を疎うのは仕方がないことだわ。
「私は男爵さまに対して――。」
男爵にとって恩義がある人の妹、それが私の立ち位置。
それを常に心に留めておりますから。
私はそう言葉を続けようとしたが、中年女性は私の言葉を聞くよりも私に小言を言いたいだけだったようである。
「あからさまに好意を寄せすぎていると有名ね。でも、あの方には心に思う方がいる。そのためにあの方が財を成したってご存じ?いえ、ご存じだからこそ、あなたの今日のドレスはそれなのね。同じドレスまで着て夢を見たいだなんて、なんて、いじらしくて惨めなんでしょう。」
彼女は扇をダンスホールへと向けた。
私は彼女が指し示した相手を眺め、それから自分のドレスを見下ろして惨めどころか情けなさでいっぱいになった。
兄は私にデビュタント用のドレスをちゃんと作ってくれたが、ベアトリスがその実態を知って激怒した。
あまり目立ちたくない私は、ドレスのデザインを出来うる限りシンプルなものにして注文した上に、その時々で飾りを変えて着まわす、という事をしていたのである。
「デビューでドレスを着まわすなんて何を考えているの!そして何なのこのドレス達は!どのデザインもチャレンジ精神がないじゃないの!」
「だって、おばあちゃんになっても着れるようにって。このシーズンだけだなんて勿体無いわ。」
ベアトリスは私の返答を聞くやさらに激高した。
そして、兄から貰ったばかりの真珠をお店に返して来ると叫んだのである。
私と兄はベアトリスを押さえて、ちゃんとお金はあると伝えて謝った。
「お金があるのにどうしてあなた方は!」
だって兄が財を成す前の我が家は、爵位だけの貧乏貴族だったのだ。
世間を知っているはずの両親もこの世にいない。
だからこその失敗と言えるだろう。
「ああ!どうして私は床に臥せていたんでしょう!」
「僕が君を妊娠させたからです!ほら、君が具合が悪くなったら大変だ。今が一番大事な時期なんでしょう?動き回らないで!」
「そうよお姉さま。ちゃんとしたドレスを作りますから安心なさって。」
「そうね、作ればいいのよ!アラステア!マダム・ランターニュを呼んでくださいな。私が大事な妹の為にデザインいたします。」
私はベアトリスの素晴らしさを思い出しながら、もう一度自分のドレスを見下ろしてからダンスホールで男性と踊る艶やかな女性を見つめた。
今夜のドレスはベアトリスがデザインしてくれた最初のドレスのはずだった。
最初に出来上がった今夜のこのドレスは、それはもう素晴らしいものだった。
ローズクオーツで出来た様な色合いのシルクのドレスは、いつものようにシンプルでありながら、胸元を強調するような切り替えがあったり、裾がフイッシュテールのようになっていた。
ドレスなんかに大事なお金を使うなんて勿体ないわ、そんな考えこそ自分の脳みそから追い払ってしまったぐらいだったのだ。
私はドレスを着た自分を美しいなんて初めて思い、子供みたいにベアトリスに抱きついてありがとうと何度も叫んだほどだったのである。
それが、他の女性のものと被った?
くすんだ金髪に青とは言い難い薄い色の目でしかない私に、私の髪色はシルバーゴールドで瞳の色はラベンダーよと褒めてくれるだけでなく、誰にもない透明な肌を際立つデザインにしたわよと、ベアトリスが自らデザインして衣装屋に作らせたドレスであったのに。
どうしてコールドウェル伯爵令嬢のアビゲイルが同じものを着ているのだろうと、私は今知った事実でダンスホールをぼんやりと眺めるしかなかった。