第一話
口が上手くない不器用なヒーローと、恋に恋するタイプの乙女なヒロインの恋物語です。
最終話を先に仕上げてしまった作品ですので、数話で終わります。
「アビー、あなたは本当にいいの?」
兄嫁のベアトリスは母親がするようにして、私を思いやるように尋ねてきた。
美しき彼女はシロップのように艶めく明るい茶色の髪を中年の既婚女性がするようにゆったりと結い上げてるが、私とは五つほどしか年上でない二十三歳だ。
そんな彼女が私に向ける瞳は、陽光に輝く新緑のような若葉色である。
いつものその瞳は年齢通りに素晴らしい瞳なのに、今は少しどころか不幸ばかりの翳りを見せている。
優しい彼女が私の母代わりと気負ってくれるのは仕方のない話だ。
私達兄妹、グロッサム子爵とその妹となるが、私達は、兄がベアトリスと出会うまで互いしかいなかった。
兄が二十三で私が十二の時に、私達の両親は馬車の事故でこの世から去ってしまっているのである。
だが、そのような事情だからベアトリスを母代りと重用するのではない。
彼女が兄の伴侶になってくれた日から私の人生が喜びだらけとなり、また、彼女と結婚出来た兄こそこの世の春を謳歌しているが如きフワフワしているのだから、私と兄にとって彼女の言葉は女神からの託宣に近いのだ。
しかし、今日の私は彼女の思いやりに鬱陶しいなどと感じていた。
彼女の思いやりを重いどころかありがたいと思うべきであるのに、今日の私は彼女の何度目かの同じ質問にイライラするばかりなのである。
私は私が大事な家族に反抗的になってしまう原因、ティーテーブルの上に乗っている婚約の品を眺めて溜息を吐いた。
その品は真っ赤な宝石が花のように飾られたネックレスと、ネックレスとお揃いのイヤリングである。
地味な私には似合わない、華々しい女性にこそ贈られるべき品だ。
「アビー?」
「ええ、意思は変わらないわ。この品は送り返します。それから婚約破棄も一緒にお伝えします。ごめんなさい。これで一生結婚出来ない妹になってしまうでしょうけれど、どうしてもあの方との結婚は嫌なの。私もお姉様とお兄様のような愛し愛される結婚こそしたいのだもの。」
ベアトリスは何度目かと同じ大きく溜息を吐いたが、口に出した言葉はこの話し合いを始めてから初めてのものだった。
「仕方が無いわね。私からアラステアに伝えましょう。アシュベリー男爵様にはアラステアが取りなしますから、あなたはもう何も心配する事などないのよ。」
「お姉さま!」
「ああ、いいのよ。あなたが幸せなのが一番なの。私が身動き取れなかったばかりに大事な妹が辛い思いをする事になってごめんなさいね。ええ、ええ、わかるわ。醜聞の為の結婚なんて、ええ、女としては一番嫌よね。」
私はここで心の底から優しい義姉に謝罪をしていた、心の中だけで。
実際の私は醜聞だろうと彼と結婚出来るのは嬉しいというのが真実だ。
夢みたいな出来事でしかない。
でも、愛しているからこそ彼からの婚約の申し出を受けいれるべきではない。
私は再び彼からの贈り物を見返した。
私には絶対に似合わない、彼が本当に愛するアビゲイルにこそ似合う、艶やかで美しいこの宝石を見て、彼の本意を私はようやく悟ったのだと。
真っ黒の髪に黒曜石の様な瞳をした悪魔か天使のような美貌の男が、こんなどこにでもいる女に縛り付けてられて良いはずなどない。
ああ、ごめんなさい。
あの場で私が彼の言葉を否定しなかったから、彼は私と結婚しなければいけない身に堕ちたのだ。
私達が婚約せねばならなくなった事件、あれはほんの三日前、ビアーズ子爵家でのパーティでの出来事だった。
パーティ会場に私と兄が足を踏み入れると、アシュベリー男爵の婚約成立が近いという噂で持ちきりだった。
「まあ、お兄様。男爵様はとうとうお気持ちを決められたのね。」
兄は笑いをかみ殺すような、真面目な顔を作ろうとして失敗したような、何とも言えない顔付きを私に見せた。
「お兄様?」
「おお!来たか。グロッサム。君と話がしたいと思っていたんだ。」
「あ、ああ?すまないが妹から私は離れることは。」
「私の妻がここにいる。」
私と兄に割り込んできた恰幅の良い中年男性、その人は隣の女性に微笑み、その女性は了解したという風に優雅に頷いた。
すると兄はその男性によって私から引き剥がされてしまったのである。
「お兄様!」
「よろしいでは無いですか。私もあなたとお話ししたいと思っておりましたの。アシュベリー男爵でいらっしゃる、ヒュー・ノーマン様について。」
彼女が私を兄から受け取ったのは、親切ではなく男爵の話が聞きたいだけ、あるいは男爵にお近づきになりたいだけだったと、私はげんなりした。
アシュベリー男爵は誠実な人柄だけでなく、美貌どころか財産だって唸るほどあるという天が二物以上を与えたもうた人物だ。
よって、社交界の未婚女性においては結婚したい男性ナンバーワンであり、既婚未婚問わず紳士様方には親友になりたい存在なのである。
なぜ私の兄がそんな有名人と親友であるのかは、爵位のない時代の彼が自分への投資を呼びかけた時、それに応えたのが我が兄だけだったからである。
男爵は兄に恩義を感じているらしいが、兄に言わせれば、男爵のお陰で我が家が財を成せて高嶺の花だった愛する人に求婚出来たので、男爵こそ我が家の救世主であるということだ。
そして、そんな素晴らしき男爵は、私の社交界デビューが成功するようにと、あまりお好きではないパーティに顔を出してくださっているのだ。
ほら、ぱっとしない私ですもの。
ダンスする相手が兄だけでは兄こそ可哀想でしょう?
そして男爵こそそう思われているのか、私がデビューした日に初めてお会いして以来、男爵は私のダンスのパートナーになって下さったり、エスコート役を兄の代りにして下さるのである。
本当に申し訳ないと私は思っている。
男爵の心に想い人がいらっしゃるという噂はその通りなのであろう。
彼は私に笑顔を向けるどころか、常に強張った無表情であられるのだ。
それは、彼が想い人に悪いと思ってらっしゃるからよね。