約束の、破滅の日
「もうひとつは…………わたし、あなたが、あなたが最後に。アルフェルトへの愛を、伝えて死んだでしょう? あれ、意味がわからないって。ずっと馬鹿にしてた。ごめんなさい」
塔の下部でまた大きな爆発が起きて、塔がついに大きく傾ぐ。
けれどもピアはもうそこから動かなかった。
動けなかった、が正しいのかもしれない。
その場でピアにしか見えない誰かに話し掛ける。
「ばかに、してたのに……さいごの、さいごで……愛されたかった、なんて、気付くなんて……ふふっ。くすりで、言うことを聞かせておいて、なにが、よね? ずうずうしいっ、て……怒られる、かしら」
上辺だけ。公式の場でのみ婚約者として扱うばかりで、非公式の私的な時間を決してリタに使う事の無かったアルフェルトを愛したリタ・ゾールと、ゲイル王国を破滅させる為の手駒でしかない筈のアルフェルトの愛を欲したピア・ポラス、いや213。
より滑稽なのは、多分きっと、213の方だ。
すでに壁も床も天井も、大きく波打つように歪み崩れ始めていた。
天井から落ちた瓦礫がピアのすぐ傍で床に当たって砕け、その欠片が跳ねてピアの額に当たる。生じた傷からは赤い血が流れていくが、ピアに気にするそぶりすらない。
「だって。全部、どうにもならなくなってから、気が付いたの。アルさまを、傀儡にして。瞳から光が無くなって。意思も、なにも感じられなくなって。……なんでアルが、わたしをみつめていないのだろうって。そう思って気が付いたの」
それまで、どこか笑みを浮かべながら澱みなく話していたピアが、続く言葉を探す様に唇をはくはくと動かしては閉じるを繰り返した。
そうして、ついに覚悟を決めて告解を始めた。
「『どうしてわたしがフィリアじゃなかったんだろう』って。思っちゃってた、汚い自分に。だって……ねぇ? ヒロインは私でも、よかったと思わない?」
本当は、愛を囁かれる度に。蕩けそうな瞳で見つめられる度に心の隅で思ってた。
予言書にあるフィリア・ノーブルの真似をしているだけの偽者でしかないピア・ポラスに対して愛の言葉を贈る滑稽さに歪んだ嗤いが出そうになった。
物真似でしかないピアの言葉で救われて、心を奪われてしまう軽さに。
あまりに軽く嘘でしかない真実の愛を、告げられる滑稽さに。
嘲る以外にありえない。
なのに。それと同時に。
何故このまま幸せに生きてしまってはいけないのだろうかという願いが、ふわふわと、浮かんでくる。
何度否定しても。頭から振り払っても。
ゲイル王国に来て初めて見た雪のように。
手のひらの上ですぐに解けていく儚い雪が、いつの間にか降り積もっているように。
あの予言書にあるヒロインのフィリアは、本当は213なんじゃないか、と。
アズノルの調査で見つかったとされる少女は、予言書のフィリア本人ではなかったのではないか。
親が誰かもわからない孤児であった213が、その誘拐されたノーブル男爵家のフィリア本人なのかもしれないではないか。
異なる世界の言語で幼い王子が書き遺した予言書を、王子が遺した辞書を使ってこの国の学者が翻訳したというなら、訳し間違えた部分があってもおかしくないのではなかろうか。
馬鹿らしい妄想だと何度否定しても湧き上がる、それ。
そんな想像が頭に浮かぶ度に苦しくて。
なにより、ゲイル王国の血を引いているからこそ受けた傷も忘れられない。
ゲイル王国にいる213の肉親は、彼女を探しに来ることもなかった。
温かな手を差し伸べてくれることもなく、食べる物も黴の生えた硬いパンと冷えた具の無いスープ。それすらも無い日だって沢山あった。
虐げられ続けたウスに十分な量の温かい食事を与えてくれたのは、アズノルの暗部だ。
着るものも、暖かな寝床も、教育も。すべて。
それらが与えられたのが、工作員とする為のものであってとしても。
それすらも、必要とされたのだと、思える事だって、あった。
それなのに。
助けに来なかったのは、自分がアズノルにいると知らなかったからではないのか。
自分はゲイルの血が混ざっているのではなく、ゲイルの子供が、誘拐されてきただけなのではないか。
今も、どこにいるか分からない子供を探して、泣いて暮らしている親が、いるのではないか。
そんな夢物語のようなことが、頭を過る。
あり得ないのに。夢見てしまった。その滑稽さ。
現実として在るのは、ゲイル王国に潜入させる工作員として集められ育てられた自分とカロラインの置かれた境遇。それが事実で現実だ。
幸福を約束されていたのはフィリア・ノーブルという少女であり、ピアはそれを象った偽者。
ピアは、偽者で、幸せな物語を不幸に書き換えた悪者だ。
ウスとしての惨めな記憶。
ゲイルの血を引く下賤な捨て子。
ゲイルの血を引く忌み子とアズノルで虐げられた。
アズノルの命令で、ゲイルを混乱させた。
アズノルで保護されたから。
少女が初めて知った幸福は、空腹ではない、ということだった。
連れ出された馬車の中で貰った硬くないパン。甘い果汁入りの水。
その後、風呂に入れて貰った。石鹸の使い方を教わり洗って貰う。
脂で固まってごわついていた髪が。ひび割れて硬くなっていた指先が。
風になびいてサラサラと音を立てる。指で梳く幸せ。
真新しい服に着替えた。
穴も継ぎ接ぎもない。綺麗で柔らかな木綿の服が垢のない肌にくすぐったかった。
けれども、ゲイルで知った幸せは、そんな基本的な生きる為のものではなくて。
比べることすら馬鹿らしくなるほどの、圧倒的で、心臓が驚いて飛び上がるような、心が浮つく多幸感。
フィリアの親は、誘拐された娘を何年も何年も探し続けたという。
本物のヒロインであるフィリアと、偽ヒロインでしかないピア。
そっくりに准えた筈なのに、これほどまでに違う。
見せつけられ続ける、他人のものである幸福。掠め取った幸せ。
偽者でしかない213には、偽物しか集まらない。屈辱。
馬鹿みたいだと、降り積もるように与えられる幸せを、自分の為にではなく用意された幸せを、赤の他人の偽者へと与え続ける予言書のヒーローを馬鹿にして見下して。
壊してから、気が付いた。
自分には用意されなかった他人の幸福な人生を准えさせられ、差を見せつけられる。その苦痛。苦い。苦しい。悔しい。
嫌い。嫌い。みんなキライ。
胸の奥にいる、幼い213が泣く。
泣きながら訴えてくる。
それが、欲しい、と。
自分の中に育っていた気持ちに気が付く事すら、すべてが取り返しがつかなくなってから。
――けれど、これは。恋などではない。絶対に、そんなものではない。
強いていうならば、独占欲。決して恋などではない。そんな純粋なものではない。
リタ・ゾールの抱いた想いと同じものなどではないと。
アズノルの工作員であるピアには、自分の中に育っていく想いすら、認められない。
だから。
私に不幸を撒き散らす術を、思考を、生き方を、教えた者共に、復讐を。
亡き第十三番目の王子が夢見た国ごと、壊してやる。
お前が運んだ未来図が、私というモンスターを産んだのだ。
なにもできないあの世から、夢見た国が壊されるのを、指を咥えて見ているがいい。
自らが撒いた種=私により、すべて滅ぼされろ。
「わたしの手で、ぜんぶ、こわしてやった、わ。ねぇ、リタ。わたし……やり遂げられたわよね?」
ズズズズゴゴゴゴゴッゴゴゴボゴォッ。
大きな音がして、ついに塔が瓦解する。
ピアが倒れていた床が抜け落ち、その身体が宙に浮く。いや、ピア自身が落ちているのだ。
湧き上がる瓦礫による埃と、火災による炎と煙に包まれて、ピアは今、自分がどうなっているのかすら分からなくなった。
塔から落下していく身体に感じる風を斬る感覚と重力。それとはまったく別の方向からいきなり吹き付けてくる熱気と爆風。
連続して起こった爆発音も、崩落して一緒に落ちている筈の元は尖塔の一部であった天井や床の瓦礫のことも。
もう何も、ピアにはわからない。
落ちているのか、吹き飛ばされているのか。
意識を失いつつあったピアの視界に、ふいに青い空が映る。
「ざまぁみろ」




