約束の、
尖塔の崩壊はすでに始まっていた。
あまりにも興奮していたせいでピアには気付けなかったが、壁には皹が入り、天井から剥がれ落ちてくる欠片の大きさはみるみる内に大きくなっていく。
どどん、と根元の辺りで大きな音がして、塔が傾いた。
ひしゃげた小窓から見える外の景色も、燃え移った炎と生木が焼ける黒い煙が充満している。
「……私以外にも、反乱を起こしている誰かがいそうね」
城から上がっている炎の位置は、どう考えてもピアが投げ落とした樽が届かないような離れや違う棟にまで及んでいる。
「この国の破滅を願っていたのは、私だけではない、ということね」
居住棟からだけ通じる通路で繋がっている後宮がある方向へ目を凝らした。
煙が酷くて建物が目視しにくくなっているが多分、そこが一番強く火が上がっているように感じる。
後宮には多くの女性が囚われていると聞く。
あれだけ多種多様の強力な薬を創り出してまで強引に世界中から美姫を攫ってきているのだ。
攫った後も、好き勝手に扱いやすくする為に、更なる薬を投与され、意に染まぬ行為を強いられているという。
恨み辛みが溜まっていて当然だ。
「そろそろ幕引きする時間ね」
運び切れなかった樽に松明で一気に火をつけてやろうと、備蓄部屋へと戻ろうとしたピアは、衝撃を受けた。
「かはっ」
ゆるゆると視線を下に移せば、そこに銀色の刃が胸元から生えている。
「ま、魔女め。これで終いだ」
煤と埃で真っ黒に汚れた騎士が、涙を流しながら憎々し気に、ピアを後ろから突き刺した剣を握りしめていた。
女狐呼ばわりの次は魔女呼ばわり。
ピアの評価は、この短時間で一気に昇格したようだ。
知らず片頬で笑う。
「……騎士たる者が、女の背中から剣を揮うなど。恥知らずですね」
ピアは、受けた衝撃の強さを表に出さず嘯いた。
それが余程気に障ったらしい。騎士が激高する。
「うるさい! 死ねぇ!!!」
その瞬間を狙って、ピアは手首まで覆っているレースの残骸を手の中へとたくし上げると、胸元から飛び出している鈍色の刃へと巻き付けた上から両手で握る。
そうして気合を込めて、一気に身体を捩った。
「うわっ」
突然、剣を握った手を振りほどいて振り向いたピアの美しい顔が、目の前に現れ驚いた騎士がバランスを崩す。
ピアは、そのまま身体の回転を利用して騎士の膝を蹴り飛ばすと、騎士は勢いよく後ろへ転んで、足元にあったまだ火をつけていなかった樽爆弾を巻き込んでゴロゴロと勢いよく階段を転がり落ちていった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
遠くなっていく悲鳴に、爆発音が重なり合う。
どうやらわざわざ導火線に火を付けるような真似をしなくとも、ちゃんと爆破できるようだった。
すでに下は爆発による火災で火の海なのだ。
当たり前だといえば当たり前の事だ。
ピアは、随分と自分の頭が働かなくなっていることに気が付いた。
疲れなのか、煙を吸い込み過ぎたのか。
理由はわからない。
「今、この剣を無理に抜くような真似をしたら、私、その場で死ぬ、わね」
胸元に剣を生やした焼死体。
随分と、酷い死に方になりそうだ。
「あら。でもこれから爆発に巻き込まれるのだから、剣はふっ飛ぶかしら。……ねぇ、どうなると思う? リタ」
――そこに、いるんでしょう?
視界が暗くなる。足はガクガクで、腕もパンパンだ。
興奮しているのに全身が冷たくなっていく。
「どう? 私、恰好良かったかしら。あなたに豪語、した、とおりに……破滅を撒き散らす事が、できたかしら」
ピアが、自分の手でそれを成し遂げてみせると、リタに向かって高らかに宣言したのは何時の事だったろう。
「あなたには、かなりの悪態を吐き続けたわね。ふふ。ごめんなさい? 死者に対する礼儀がなっていなかったことは、謝るわ」
霞む視界。
すでに、ピアは自分が自分の足で立っているのか、倒れているのかもわからなかった。
「そうそう。あと、ひとつ……ううん、ふたつほど謝りたいことがあるの」
ゴッ。
天井が抜け、大きな瓦礫が剣で刺されたピアの腹部を直撃する。
ピアの口の端から赤い血が溢れてくるけれど、ピアは中空へ向けて話すことを止めようとはしなかった。
「あなたが、見、届けようとも、しないで、自分の命を断った時、わたし、みっともなく、敗走したんだと思ったわ。でも違ったのね。あの時は、わからないかった。けれど。いまの、わたしならわかる」
「リタ。あなたは、謝られたくなかったの、ねぇ」
聖書で謳われているからだろうか。ゲイル王国で教養の為にと読まされた本や連れて行かれた観劇には、「復讐など虚しいものだ」というお綺麗事が物語の根底にあるものが多かった。
213としては嗤ってしまう程の、人格者サマのお言葉だ。
実際に、思い出すだけで腸が煮えくり返るほどの恨みを感じた事のない人間が頭で考えた綺麗事に違いない。
貴族の令嬢らしい微笑みを貼り付けた表情で、あくまで嫋やかに、婚約者から謝罪を受けたなら、それを了承しなければならなかった――。
けれど、そう教えられて育ったリタ・ゾールにとって、謝罪されたら受け入れて、どんな恨みもつらみも、水に流して仲良くやらねばならなかったのだろう――本当は。
でも。そう教え込まれてきた筈のリタ・ゾールは、これまで自分を虐げ続けた誰の事も許したく無かったのだろう。
愛する人ですらも。
だが、愛するアルフェルトに、心の籠っていない口先だけでも謝罪されたら?
ましてや、心からの謝罪など告げられたら、受け入れてしまうのではないか、と。
「あなたがこわかったのは、そっちよね」
でも、それを、受け入れたくなかった。
完全なる断絶。
それが、あの自死の理由なのだろうと、今のピアには思えるのだ。




