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アズノルの王



「ゲイル王国の王配へ納まるとは。そうかあのノートはやはり価値があったか。儂の見立て通りだな」


 アズノルの王は愉快そうに、結婚の挨拶にやってきたパススとピリアを鷹揚に迎え入れた。


 大謁見室へ設えられたふたつの玉座。

 そこに座っているひとりは、アズノル国国王アハドン・ファン・デ・アズノル、もうひとりはピリア・ゲイルその人であった。


 ピリア・ゾールは暫定ではあるがゲイル王国の女王として既に認められている存在だ。

 勿論、国内で生き残ったすべての貴族から承認を受けた訳ではない。

 単なる旗印としてすら認めるつもりは無いと言い切ってきた家もあった。


 だからと言って他に誰かと問うても、名乗り出る者もいなかったのだ。

 そして今、他の誰に承認を受けることなく、敵国アズノルの地へと無許可で執り行った婚姻の挨拶にきたという状況だ。

 王対王とはいえ、格が下の扱いになるのは致し方ない。


 正式な戴冠前ということもあり、ピリアの服装は王としては地味なものである。

 なにより前夫だけでなく、舅、姑、実父、実兄、義父、義母、義姉が続けざまに亡くなっている状態だ。喪服以外を身に着けることができる訳もない。


 黒一色で仕立て上げられたドレスは細っそりとした首の根本から手の甲までを包み込み、黒いレースの手袋に包まれた指先まで、肌の色が判るのはちいさな顔だけだ。

 

 色味が少ないからこそ、赤い唇はふっくらと艶やかに見えたし、透き通るように白い肌に胡桃色の瞳がより蠱惑的に映える。


 ピアは、自分の頭の上を通り越して後ろに立つ夫パススと交わされる会話を、それでも機嫌よく笑顔で聞いていた。



 どうやら、王の中ではあの予言書を、くだらない少女小説以下だと投げ捨てた過去など無かったことになっているようだ。


「しかも、お前が娶ったその者は、あの国の女にしてはなかなかの器量ではないか。うむ。悪くない」


 そしてパススは自身の部下についての報告を詳しく上げていないようだ。

 ピアがアズノルの工作員であることすら理解できていないようだった。

 もしかしたら、アズノル王にとっては、ピアがアズノルの工作員であろうとゲイル国民であろうと関係ないだけなのかもしれない。


 すでに王の中では、今夜の伽に八番目の息子の妻を呼び入れることは決定であるようだ。

 頭の中でピアの服は剥かれているに違いない。好色そうな、卑下た視線が嘗め回す様に向けられる。



「つきましては、アズノルの王アハドン・ファン・デ・アズノル陛下へ、ゲイル王国の女王ピリア・ゲイルより、捧げたきモノがございます」


 捧げモノと聞いて、ようやくアハドン王の視線がピリアに向けられた。


 隠そうともしない好色な表情に、笑顔を向ければ、心得たものだと感心している様子のその弛んだ首へ、ピリアの手がそっと伸びた。


 王の後ろに立つ近衛たちが色めき立ち、腰に佩いた剣へと手を掛けた。


「よい。こんな細い腕で何ができるというのか。儂を臆病者にするでない」

 鷹揚に。そう、アズノルに君臨する王者としての声で、護衛の手を止める。


 実際のところ、ゲイル王国の暫定女王となったピリアの姿は少女といってもいいほどの細い腰と華奢な手をしている。


 過剰反応したことを恥じた様子で下がった近衛に、ピリアは微笑みを浮かべて一瞥を与えると、ゆっくりとアハドン王に向かって、愛らしい表情で感謝の言葉を告げる。


「ありがとうございます。こうしてお近づきになることをお許し頂けて、光栄ですわ」


 シュン。


 それまでのゆったりとした動きとは全く違う、ピリアの振った腕の残像が奔る。


 それから一瞬遅れて、しゅぱっと激しく血飛沫が飛び散った。


 ずるりと、アハドン王の首が、傾げて、血飛沫を上げる首の端にぶら下がる。



「きゃーーーーーーっ!!!!!!」

 文官や侍従たち。男性だらけのこの場所でも、突然の恐怖には黄色い悲鳴が上がるのだとピアは笑いたくなった。


 最高に気分がいい。


 宿願が叶うというのは、これほどまでの心昂るものなのか。


 ずっと、虐げてきたアズノルの人間が、何故、ピアが恭順を示して当然だと思うのか、不思議でならなかった。


 ゲイルの血を引くから憎まれた――それは理解した。

 だが、虐げ蔑み暴力を与えてきたのは、アズノルの人間だ。


 確かに、工作員として育てる一環として、食べる物も寝床も教育も、全てを与えてくれたのも、アズノルだ。


 だからといって、ウスと呼ばれていた頃の記憶が無くなる訳ではないのに。




 生きてきて、今ほど身体が軽く感じたことは無い。心もだ。


 慌てて剣を抜こうとしている近衛の瞳に向けて小型の投げナイフを投擲した。

 三人すべての目に刺さる。上等だ。



「さぁ、パスス。私の夫となった者よ。この国によって長く虐げられ続けてきた、ゲイルの血を引く者の恨みを晴らすべく、私の手足となり、目につく人間の命をすべて奪え。一人でも多く! 男も女も関係ない。身分もだ!」


 ピアの命令に、了と答えることすらしないまま、パススはその身に隠し持っていた暗器を振るった。


「ぐえぇぇ」「うぎゃあ」「ぐはぁ」「うぐっ」

「たす、たす、たすけ、て」

「ぎゃあああ」「ぐふっ」


 ひと振りで、謁見室にいた大臣クラスの命が7つ消えた。

 上がる断末魔の声が、ピアの心を宥める。

 そうだ、自分はこの声を聴きたかったのだと彼女はうっとりと微笑んだ。


 ピアは、ウエストで結んでいた紐をひっぱり外すと、ドレスのスカート部を捨てた。

 黒いレースで覆われた、長くすらりとした足が露わになる。

 そうして死んだ近衛から鞘ごと奪った剣を、ウエスト部分の切り返しへ仕掛けておいた留め具へ吊るして身に着けると、鞘へと毒を流し込み剣を毒へ浸した。


 鞘から抜いた刀身をうっとりと眺め、周囲にいる者の命を狩るべく走り出す。


 踊るように。

 ひとり、ふたりとアズノルの血を濃く引く者の命を狩って行く度に、ピアの心が軽くなっていくのを感じる。

 刃先が鈍る前に、倒れた兵士たちが持つ剣を奪い、鞘に収める。

 亡き王子のお陰か合理性というものが尊ばれるようになったアズノルでは、官給品は基本どれも同じものだ。使用する者の階級により色違いになったり装飾が増えていくだけ。だから近衛の剣が収まる鞘ならば、兵士の剣も収まるのだ。

 新しい剣を奪う度に、鞘の中に入れた毒をたっぷりと含んだ剣とドンドン入れ替える。

 そうしてピアは、次々と獲物を屠り続ける。


 三人、四人と数えていくのも面倒になってきた。

 すれ違いざまに少しでも肌へ刃で傷をつければいいだけだ。

 それだけですぐに彼等は蹲る。


「ゆ、弓を持ってこい! 遠くからでなければ、毒の剣でやら、ぐはっ」


 的確な指示を出そうとした男に、ピアは毒付き投げナイフをプレゼントした。

 その男の横にいた誰かが、男の瞳へ刺さったナイフを抜こうとして自分の指を切ったようだ。そのまま手を押さえて蹲っていて、ちょっと面白い。


「な、なんだこの毒は。効果が出るのが早すぎる!?」


 なかなか鋭い洞察力のある人間がいるらしい。

 そうこれは、聖王国より齎された特別な毒薬だ。


 パスス・デル・アズノル以外に、リタ・ゾールの価値を大いに認めていたのがあの国の王弟だ。聖王国におけるリタ・ゾールの人気は高かった。


 だから、特別にリタ・ゾールと交流の深かったある商会の求めに答えてくれた方がいたのだ。


『リタ・ゾールの敵を討ちたいという令嬢が、非力な自分でも大の大人の男を殺せる方法をお探しなのです』


 裏から情報を求めれば、名前を出さない、顔を合せない事を条件に、それはあっさりと手に入った。

 小瓶というには大き目の器に入れられた薬には一枚のカードが添えられていた。

『貴女の大願の成就を願う』

 ご丁寧にも彼の国では使われることのない大陸共通語であった。


「まさか、リタ嬢を追い詰め婚約者の座を奪った元王太子妃がそのご令嬢だとは夢にも思わなかったでしょうね」


 事実を知った王弟の顔が見たいと、ピアは笑った。


 けれど、ピアは自分がここから生きて帰るつもりはなかった。

 生きて帰るより、ひとりでも多くのアズノルの人間の命を奪いたかった。




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