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王城にて



「諸兄等だけでも、この場に迎え入れられて良かった」


 当然の様に上座に陣取った男から、にこやかに杯を持ち上げて話し掛けられてレット・ワートは怒りに身体を硬直させた。


「駄目ですよ、レット。押さえて下さい」

 隣に座る副官から肘で小突かれ小声で諭されたことで、なんとか癇癪で返すことを押さえて同じように杯を掲げた。


「……す、ばらしき歓待を、受け、こう栄に、ござ、います」


 普段の快活さをみじんも思わせないもごもごとした口調で応える。


 そんな騎士団長レット・ワートのあからさまな態度に対して、上座に座った男パスス・デル・アズノルは鷹揚に頷いてみせた。


「大分お疲れのご様子だ。晩餐……というには余りにもささやかだったな。だが、この食事を終えられたら、共にこれからのこの国の在り方について語り合おうと思っていたが、貴殿等に於かれては、まずは心と身体を休められるがよい」


 ――主君を亡くされたことを知ったばかりなのだから。


 口に出されていない言葉の続きが、レットのみならず、この場についた栄えあるゲイル王国王国騎士団一同の胸に堪えた。


 命に替えても守るつもりで剣を捧げた存在があった。

 だが、その方の命が風前の灯となっていた事すら気が付かず、こうして味方然として暴動を鎮圧してくれた者から逃げ惑い、時間を空虚に使ってしまった事に虚しさが募る。


 だがあくまでこの城は、ゲイル王国のもの。

 場所はゲイル王国王都。中央大陸の華と言われたゲイル王国の中枢である。

 その王城の中でも、王族のみに許されたプライベートスペースにある豪奢な晩餐室の上座。

 そこに据わっていいのは、ゲイル王国国王陛下のみ。

 レット・ワートが忠誠を捧げるただ一人の御方の筈なのだ。


 そう思わない者はゲイル王国王国騎士団に誰一人いない。


 にも関わらず、今ここで同じ食卓を囲んでいるレット以下騎士団員は皆押し黙り、ひたすら目の前に饗される食事を摂っていた。


 用意されているのは、その食材こそゲイル王国が誇る近隣諸国から集められた種類豊富なものであったが、調理法や使われている香辛料などが如何にもアズノル風のものばかりだ。辛みとその向こうにある甘さ。そこに加味された少し癖のある香りが調度いいアクセントとなり食が進む。


 レットも、悔しさに憤死するかと思いながらもフォークを口元へ運ぶ手を止められなかった。


 茹で解した肉にスパイシーな豆を使ったソースが掛けられたもの。

 色とりどりの野菜を焼いてピリリとする香辛料と酢を混ぜたソースを絡めたもの。

 焼いただけに見える肉の微妙な塩加減と食欲をそそる香辛料の芳しい香り。

 肉に付けて食べる甘い果物を使ったソースの一滴すら残さず、添えられていた平パンで拭って口へ放り込まずにはいられなかった。


 硬すぎるパンや、火で焙っただけの古い干し肉。

 国境から逃げ延びる為に隠れて移動していたこの一週間というもの、飢えを満たすだけの、食事とも言えないものばかり口にしてきたからだろうか。

 どれもこれもが旨くて仕方がない。


 だが、これほどの美食を平らげながらも、どうしてもレットは気に入らなかった。


 すべてが。


 杯に注がれていた酒を一気に飲み干す。

 酒精の強いその酒は、現ゲイル王国国王ザクセン陛下のご生誕記念ボトルから注がれたもので、今となってはこの王城内でも残り少なく貴重なものであった。

 丁寧に注げば旨くて当然だ。だが、この酒がこの食事に合っている事すら腹立たしい。

 そもそもこの酒は、こんなに気軽に、雑に飲んでいい酒ではない。


 かつて、レットがそれを味わったのは、御嫡男アルフェルト殿下の生誕記念パーティーの席であった。

 伯爵家の二男として、その末席に呼ばれたレットと兄はまだ成人前であったが、ふたりで母へ強請り、ついには「舐めるだけよ」と母に配られた玩具の様にちいさな杯の中に注がれていたその味を許されたのだ。

 悲願とさえ言われ、側室を設けるよう進言が為される中での、男児出産という祝い事に、国中が湧いたのだ。

 あの日の興奮をレットは忘れていなかった。

 何時の日か、王子を守れる騎士となることを夢見る程度には。


「おぉ! 騎士団長殿はイケる口か。どんどん呑まれるがいい。酒蔵にはまだ沢山あったからな」


 くいっ、と指先で合図を出すだけで、給仕が音もなく近づいてレットが飲み干したばかりの盃に酒を満たそうと頭を下げた。


 レットは徐に立ち上がると、その給仕が手にしていた記念ボトルを奪い取り、直接口を当てて一気に飲む。所謂ラッパ呑みだ。

 口の中に、せっかく瓶の底へと慎重に沈められていた滓の塊が入ってきたが、そんなことはどうでも良かった。

 ただただ苦く渋い滓の味。今のレットにはそれこそがこの晩餐に相応しくある気がした。


 赤い酒が口元から零れ落ち、せっかく着替えたばかりの服を赤く染めていく。


「ぷはーっ。もう、これで十分です。おれはっ、これでっ、しつれいしますっ」


 不作法にもそのまま勝手に席を離れて晩餐室から出て行こうとした。


 末席とはいえ、王国貴族としてあるまじき行為であるとは分かっていた。けれどもどうしてもこれ以上ここに座っていたくなかった。

 後ろから、まだ食べている途中であった副官以下、ここまで共に過ごしてきた側近たちが慌てて後を追おうとして、無様な音を立てているのが耳に届く。

「れ、レット。待てって」

 副官から名前を呼ばれている事にも気が付いたが、返事をする気も、振り返る気にもならなかった。


 国境からの逃走劇のその最中、仲間たちと砂を食むような気持ちで旅を続けた。


 守らねばならぬ村人から、その生活の基盤ともいえる馬を無理を言って借り受け、食料を徴収した。

 その情けなさと悔しさと虚しさを胸に、しかしどれだけ汚辱に塗れようとも、王都に情報を持って帰ることだけを考えてひたすら隠れ進んだ日々。


 けれども、あれほどの忸怩たる思いをしてまで情報を持ち帰ったというのに、すべてが遅きに失していたのだ。



 王城前の広場に積み重ねられた貴族たちの遺骸。

 上位である者は、磔にされ、首を落とされ横に並べられていた。



 そして、一番目立つ場所に建てられた杭に磔られていた、主君と仰いだ御方の変わり果てた御姿、遺骸の前で、レットはどれだけ涙を流しただろう。




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