乱心
「止めろ! 今すぐ黙れ! 此処を開けろ、アルフェルト! 血迷ったか」
ガンガンと、王は高価な一枚ガラスで出来た、バルコニーへと続く扉を力の限り殴り付けつつ、一人息子の名前を叫ぶ。
本来ならば内側からしか掛けられない筈の鍵が外側に取り付けられており、王の手では開けることが叶わなかった。
どんなに王が呼び掛けても、バルコニーに立ち背中を向けて民へと語りかけているアルフェルトは振り返えろうとしなかった。
『……! ………………!! …………!!!!!』
うわぁぁぁ!
うおぉぉぉぉぉ!!!
扉の内側からは、アルフェルトが声を張り上げて何かを告げる度に怒りを込めた拳を突き上げる民から怒声が上げられていることしかわからない。
「もういい! 割れ。ぶち破って、あ奴をひっ捕らえよ。今すぐ口を塞げ!」
よろめいて扉の前から退いた王が、額に手を当て参り切った様子で、ついにその指示を出した。
屈強な近衛たちが大楯を持ってぐるりと周囲を固め、その背で国王以下国の重鎮たちを守る体勢に入る。
守られている男たちの視線が集まる中、大きな木槌が振り上げられて、美しい一枚硝子が打ち破られた。
ガッシャーン!
うわぁぁぁぁぁぁぁ!
王家くたばれぇ!
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
ふざけるな、貴族共!!
硝子が破られたことで、バルコニーの下に集まった民の怒りの声が割れんばかりの大音声となり耳に鳴り響いた。
その声に込められた憎悪と怒りに、王と重鎮たちのみならず、近衛たちも動きが止まってしまった。
民の怒りを焚きつけるかの如きアルフェルトの声が朗々と響く。
「我が王家のみならず、我が国の貴族たちは皆、この国を治めるに相応しくない行いを沢山してきた! 民から集めた税を賭け事に使い込み、借財までして華美に振舞う。誰かの足を引っ張るべく名を騙り、罪を擦り付ける。どれもこれも唾棄すべき下らぬ所業だ。だが、それを行っている貴族のなんと多い事か! こんなくだらない茶番を終わらせるには、新しい力が必要だ!!」
うわぁぁぁぁぁぁぁ!
王家くたばれぇ!
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
「は、早く取り押さえろ! 口を塞げ!」
ようやく気を持ち直した重鎮たちが激を飛ばす。
その声に背中を押されるように、近衛たちが扉の枠に残った硝子を取り除き、人が通れるほどの大きさにしていく。
後ろから迫った近衛たちであったが、取り押さえようとしている対象である、アルフェルト王太子殿下の姿に、再び動きが止まってしまった。
王と貴族の罪について告解を続けるアルフェルトの身体は、生卵や泥団子や石くれをぶつけられて、泥まみれ、潰れたタマゴ塗れ、血塗れで、それらを全く避けずに顔に直接ぶつけられるままにしていることで、あちこち傷だらけの姿だった。
それでも、その中で背筋をまっすぐに立ち演説を続ける王太子の姿に息を呑んだ。
「で、殿下」
怒りの籠った石が、「ゴッ」と大きな音を立ててアルフェルトのこめかみに直撃した。鮮血が噴き出したが、それでもアルフェルトは背筋を伸ばして、罪を告発し続けている。
その異様な光景に、精鋭たる近衛たちは皆、蹈鞴を踏んでしまったのだ。
「斯く言う私も、かつて元の婚約者へ無実の罪を着せ自殺に追い込みました。そこまでして得た妻の産んだ子供が、まったく自身に似ていなかったことに腹を立てました。そうしてその一点のみを根拠にして、私は妻の不義を怪しみ、処分することを、その場にいた医師たちに課した! そうです。私は、元の婚約者を死に至らしめてまで欲した相手が産んでくれた自分の子供を、その場の思い付きで、殺してしまった!」
アルフェルトのその告白は、近衛のみならず後ろで突然の王太子の乱心に頭を抱えていた重鎮や侍女や侍従といった王城の使用人たちすべての虚を衝いた。
噂はあった。ただし、根も葉もないものだと誰もが思って取り合わずにいた、それ。
公式には、あくまで王太子妃の初産は死産に終わり国中が喪に服している、その真っ最中である。
「更に! 子供の処分を押し付」「やめろ! アルフェルト! 今すぐ黙れ、れ。お前たちも早くやめさせろ!!」
言葉を遮り割って入った王の声に、近衛たちがようやく正気づいた。
「か、確保ぉっ!」
慌てて後ろから、血塗れ泥まみれタマゴ塗れのアルフェルトを取り囲み抱え込んで王城内へ引き摺り込む。
「処分を押し付けた置いた女性医師と産婆の口を封じる為に、私はふたりへ毒は、もがうぐっ」
それでも叫ぶことを止めようとしないアルフェルトへ「失礼致します」と身体を拘束する為の縄が掛けられ、口元には猿轡が施される。
猿轡を嵌められても、聞き取れない声で告解は続けられているようで、もごもごと口を動かす王太子に、周囲は異様なものを感じていた。
「……自室へ、監禁しておけ。絶対に部屋から出すな、よいな?」
縄で縛られながらモゴモゴと口を動かし、先ほどの主張を続けているらしいこの国の王太子を、近衛たちが抱え上げるようにして連れ出していく。
残された王と重鎮たちは、バルコニーの下に詰め寄せている民衆の怒りをどう鎮めればいいのか、事態の収拾をどうつければいいのか、途方に暮れていた。
幼い頃のアルフェルトは、少し気概が足りず、僻みっぽい所はあっても、王たる資質に欠けるという程の事もなく、及第点という評価に納まっていた。
そう。あくまで及第点だ。
優秀という程もなく。落第でもない。
だが、学園で唯一の最愛だと主張するピア・ポラス子爵令嬢と出会ってからは、なにかと失策続きだ。
『あの女は疫病神だ』と眉を顰める者も多い。
しかし、ピリアと改名してゾール侯爵家の二女の地位を得て、王太子妃となった彼女は、それなりに優秀だった。
比較対象が、リタ・ゾール嬢でさえなければ、元の家の爵位が低いという以外に文句のつけようがないほどだ。
実家の爵位も男爵位ではどうにもならない所だったが、ポラス子爵家といえばそれなりに歴史ある古い家柄であり、家業においても一時は没落寸前と噂されていたものの、十年ほど前にその家業も盛り返して、現在はむしろ羽振りが良いとされる。今のゲイル王国内では最も勢いのある家のひとつだ。その家からゾール侯爵家へ養子に入ってからの輿入れとなった事で、こちらについても表立って文句を言える者はこの国にはおるまい。
ましてや、婚姻してすぐに懐妊したとあっては、もう誰にも文句のつけようが無いように思われたのだが。
初産ということもあり、長く掛かった出産の末の死産となり、一度は浮きだった分だけ、国は沈み込んだ。
その衝撃が落ち着く前に、王太子妃の後ろ盾となる筈であったゾール侯爵家を襲った恐ろしい馬車の事故で、ゾール侯爵夫妻は亡くなり、その報告を受けた嫡男は気を失った際に、頭の打ちどころが悪く今も意識不明となっている。
ゾール侯爵家と王家を次々と襲う、試練。
『やはり、リタ嬢の呪いが……』
口さがない不快な噂を、どのように払拭していけばいいのか、王と重鎮たちが頭を悩ませている所だったというのに。
まさか、アルフェルト自身が、その下賤な噂を塗り替えるほどのスキャンダラスな話題をぶちまけるなど。一体誰が想像しただろう。




