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アズノルの秘薬



 先ほどまで瞳が溶けてしまうのではないかと思うほど多量の涙を流し揺らめいていたアルフェルトの瞳が、まるでガラス玉のように動かなくなり光を失っていく。

 その様を、ピアは冷たい視線で観察していた。

 完全にそれが光を失い、目の前で指を動かしても、頬を張っても揺れなくなったことを確認して、笑顔を浮かべた。


 それは可憐な少女が浮かべるには余りにも美しく、美しすぎてぞっとするような笑みだった。


「よかった。お薬はきちんと効いたみたいですね。嬉しいわ、アルフェルト様。ちゃあんと私の役に立ってくださいね?」


 けれども別に、アルフェルトは死んでしまった訳ではない。

 その証拠にアルフェルトの心臓は止まっていなかった。


 なによりも。


「“よかった。お薬はきちんと効いたみたいですね。嬉しいわ、アルフェルト様。ちゃあんと私の役に立ってくださいね?”」


 ピアが耳元で囁いた言葉を、アルフェルトが抑揚もそのままに鸚鵡返ししてくる。その表情も、先ほどのピアのものにそっくりだった。


 アルフェルトは別にピアを揶揄っている訳ではない。

 ただ、アズノル国の秘薬により意志が取り上げられているだけだ。


 傀儡の薬と呼ばれるこの秘薬は、心の臓を止める事なく、その意志を剥奪し、指示された通りの行動のみを行うようにする恐ろしいものだった。


「あら、いやだ。もしかして、操るのって難しいのかしら」

「“あら、いやだ。もしかして、操るのって難しいのかしら”」


 今は、目の前にいるピアの言葉を繰り返すことしかできていない。これでは、ここから先の計画が成り立たないのではないだろうかと不安になる。

 投与に失敗したのだろうかと思案している所へ、声が掛けられた。


「大丈夫だ。まだ薬の効き初めだからだろう。もう少ししたら、鸚鵡返し以外の反応もできるようになる」

 木立の後ろから、アズノルの上役が出てきてピアを労った。


「あの、操り方はそれほど難しいことはないと聞いていたのですが、使い勝手悪すぎませんか?」

「“あの、操り方はそれほど難しいことはないと聞いていたのですが、使い勝手悪すぎませんか?”」

 ピアの疑問をそのまま真似て口にするアルフェルトに眉間が寄る。

 これほどまでに、傍にいる者の言葉を鸚鵡返ししてしまうならば早晩、アルフェルトの様子がおかしい事などゲイル王国側にバレてしまうのではないだろうか。


「その男から手を離せばいい。それで鸚鵡返しはしなくなる」

「え? あぁ。……そうだったのですね」

「“え? あぁ。……」

 手を離した途端、言葉が真似されることが止んだことにホッとして、ピアは息を吐いた。


「ずっと鸚鵡返しされ続けるのかと不安になってしまいました」

「ははは。それはない。もう少し薬が全身に回って馴染んでくれば、手を触れても鸚鵡返しされなくなる。薬を与えた相手にただひたすら従順になるだけだ。指示に従い、背かない。異論も口にせず、疑問も持たない。つまり、そこにこの男はいないということだ」

 出された指示に決して逆らわない、疑問も持たない。

 正に傀儡だ。


「……意志は戻らないのですよね?」

「あぁ、二度と戻らん」

 上役が、力強く頷き答える。


 アズノル国の三代目国王は歴代王の中でも特に好色であり、古今東西から見目麗しい者を男女構わず連れて来て後宮へ囲い込んだ。

 時にはかなり手荒に攫ってくることもあり、言葉も通じないことも多かった為、王自身の身体に多数の傷が生じることも少なくなかった。

 若い頃は歯向かわれるのも愉しみの一つだと吹いていたが、歳を取ってからは「面倒臭い」と言い出して、様々な薬を使うようになる。

 そうして作り出されたのが、この秘薬「傀儡の薬」だった。

 薬を飲ませた相手にとことん従順となるこの薬により、一体何人の美しい者がアズノル王の玩具にされてきたのか。


 この傀儡の薬が生み出される過程において、様々な秘薬が生み出された。

 筋弛緩薬や痺れ薬(このふたつの薬は効果が絶大であったが故に、『反応がまったく愉しくない!』と使用した王が激怒したという逸話が残っている)に止どまらず、性感が止めどなく上昇する薬は他人の吐息を肌に受けただけで失神する身体になったし、異国の難攻不落な城から姫を誘拐する為に死体と見間違うほどの仮死状態とする仮死薬など、様々な薬が作られた。この仮死薬に関しては一定期間内に解除薬を投与しなければそのまま死んでしまうので扱いが非常に難しかったが、葬儀が終わって霊廟に入れられてしまいさえすれば運んでくるのも起きた人間を誘拐して内密に移送してくるよりずっと楽だった。なにより追っ手も掛からない。


 本来ならば、予言書にある通りに悪役令嬢たるリタ・ゾールはこの守り刀に仕込まれた仮死薬を自らの手で受けて、この墓地に埋葬されたところを掘り返され、アズノル国へと運ばれていく手筈だった。


 亡き第十三番目の王子と、同じ世界の記憶を持っていた敵国の侯爵令嬢。

 予言の書の中では、“悪役令嬢”とされていた。

 ヒロインが愛されるべき存在となる為に憎まれ役として生まれた筈の彼女は、自身の未来を知っていたと思われる行動を取っていた。運命に逆らおうと、足掻き藻掻いて、結局は運命に絡めとられるように、定められた相手、婚約者である王太子に惹かれていくその様を、パススは興味深く見ていた。

 そうして、自分のモノにしようと画策したのだ。


 彼女が王宮以外で頼れる者となるべく、第三国でアズノルの息が掛かった某商会長との交流を画策し、コツコツと信用を得ていく。長期的で細やかな工作が、この予言書乗っ取り劇と同時進行で執られていた。


 岸辺の石が水に浸って色を変えていくように、彼女の心に偽の信頼を浸み込ませ、その色だけでなく元の自然で角ばった形すら丸くしていくように。


 ゲイル王国に不審を抱かせ、家族とすら距離を取るように。


 信じられる者など誰もいない。


 商会長とですら金銭を介しての関係でしかなく、だからこそ金さえ積めば信用に値する関係である、と。


 そうしてついにそれを果たした某商会長は、彼女から『もし自分が死ぬような事になった時には、時間を置いて王宮関係者の手に届くようにして欲しい』と依頼された資料を、さっさとパススに届けたのだ。


 その中身を確認したパススはひとり悦に入っていた。


 ――絶対に、リタ・ゾールを手に入れるのだと。


「亡き愛しい弟と同じ知識。この国も、彼女自身も要らぬというならば、この俺が、次代の王となる為の礎として有効に使ってやろう」


 なのに。


 結局は、彼女はパススの手のひらから零れ落ちるように、予言書にある運命に絡めとられて死んでしまった。


 まさか彼女が自ら進んで窓から飛び降りるとは、誰が考えただろう。

 それも、最も自分を蔑み、表面上でしかない婚約者の仮面を被り続けていた、自らに婚約破棄を叫ぶ相手への愛を告げながらなど。


 アズノルで作られた様々な秘薬の中にも、蘇生薬はない。


 彼の令嬢はパススの計略を軽々と飛び越えて、手の届くことのない黄泉の国へと逃げおおせたのだった。



 パススはこの男にしては珍しい事に、この件によりかなり狼狽した。

 そうして、ある程度時間が経つと今度は腹を立て始めた。荒れ狂い、目に付いたありとあらゆる物を壊して回った。


 だが、なによりアズノルの介入によって予言の書とは物事の進み方が違ってきているのだ。予言書通りにいかないことも出て当たり前であり、すべては仕方のないことだったと受け入れることができたようだった。


 だが、パススは急速にゲイル王国破綻計画に興味を失った。

 計画は前倒しにされる事となる。

 


 そして新たに立案されたのが、この王太子の傀儡化である。




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