プロローグ
その日、ひとりの貴族令嬢が死んだ。
美しい、とても美しいその令嬢は、この国の王太子の婚約者だった。
だがその令嬢は、美しい見た目とは裏腹……いや、冷たく見える美貌通りなのかもしれないが、とても冷酷で悪逆非道な行いばかりをしていた。
使用人たちへは気まぐれで加虐を与え、自身はより豪華なドレスや宝飾品を止めどなく求め続ける。
貴族の子息令嬢が通う学園内では、自分こそが未来の王妃なのだと我が物顔で振舞い、目に入っただけの罪なき令嬢たちを虐げる。美しい貌を歪ませて嫌がらせに興じる姿は醜悪で、王太子に訴えてくる生徒は日に日に増えていくばかり。
とてもではないが、未来の国母としてあまりにも相応しくないとしか言いようがなく、また自らを未来の国母だと言い張っておきながら、婚約者であり次代の王たる王太子を支えるような殊勝な態度も見せない。
諫めようにもすぐに姿をくらます婚約者に、王太子は悩みを募らせていくばかりだった。
そんな王太子に、ついに心安らぐ唯一の存在ができると、怒髪天を衝く勢いでその令嬢を追い落としに掛かる。
いつも笑顔であったその可憐な令嬢が、陰に隠れるようにして泣いている姿を見つけた王太子は、怒りに震えた。
とうとう王太子から悪行を追及され婚約の破棄を告げられた令嬢は、もう逃げられないと悟ると、その場で笑いながら窓の外へとその身を投げ出したのだった。
***
あの日、食堂にいたすべての目撃者に対して、事件の真相として上記の内容が説明されると共に、緘口令が布かれた。
誰にも言うなとしながらも口裏合わせの内容が示されたのは、彼の元婚約者の令嬢が虐めなどしていなかったと知る者が多いせいだ。
なにより王宮自体が彼の令嬢の無実を理解していた。
近隣諸国のあらゆる言語に精通している未来の王太子妃として外交の場に立たせていたのは王自身の指示によるものだったのだから。
その他にも、今回の令嬢の自死により調査をし直せば、実際に令嬢たちによる虐め自体はあったものの、それを指示したのも実行したのも、彼の元婚約者といがみ合っていた令嬢であることが判明している。その令嬢は、元婚約者に対して逆恨みにも似た感情を抱き、彼女の名前を使って虐めを繰り返していたらしい。
『王太子殿下との婚約が破棄されてしまえばいいと思った』
そう供述した令嬢は、婚約者の座が空白になれば自分がそこに座れると思っていたらしい。実際に元婚約者の令嬢が死亡したことを知ったその令嬢は、自分の婚約を破棄したいと父親に申告していたのだという。
ここまで酷いものではなくとも、他にも元婚約者に対して罪を擦り付けることは日常茶飯事だったようで、花瓶を割ってしまう等のちょっとした事件が起こる度に、その場に居もしない彼の元婚約者の令嬢の名前を出して彼女のせいだと笑う風潮があったという。
『冗談のつもりだった』
軽い気持ちで名前を出して笑っていた子息令嬢たちは震えあがって親に告白し、彼の令嬢を失った家には、親が内密に送った謝罪の手紙と付け届けが山を成したという。
つまり、アルフェルト王太子の告発に関して、元婚約者は無実であったということに他ならない。
けれど。
王族が、間違った告発をして令嬢の命を奪うような真似をしてしまったのだということを事実にする訳にはいかないのだ。
自らの罪を知る者も、王家からの通達を事実とするように、という暗黙の指示を受け止め、全員が頭を下げて受け入れた。