失くしてしまったモノ、欲しかったモノ・2
でも。
『お前は、リタ嬢が国の為に諸外国との交渉の場で通訳や特使として務めてくれていたことに、本当に気が付いていなかったというのか?』
あの日の夜、王命に背いて婚約破棄を告げた結果、元婚約者を自死へと向かわせてしまったという衝撃の冷めやらぬまま、父王に詰られた事実が今も心に重かった。
『本来ならお前が務められればそれが何よりの事だったのだが、通訳をこなすほどのリタ嬢の横で、王太子であるお前が通訳を要するなど恥を掻くだけだろうと呼ばなかった。しかし、お前の成長のためには一度位その恥を掻かせておくべきであったな』
冷たい目で見つめられて愕然とした。
彼女が、リタがほとんど学園に来ていなかったとは知らなかった。
元々、学園で教わる程度の内容などリタには就学前に習得済だったのだろう。だから王宮からの要請を優先しても何も問題はなかったのだ。
そんな彼女が入学する態をとったのは王太子である自分との兼ね合いだったのだと言われて恥辱に全身へと朱が奔った。
貴族の子息令嬢としてクラスは男女別である。ついでに言えば、王族を含む上位貴族と下位貴族とで分けられている。
だから一日中、彼女と顔を合せない事が多いのだと思っていたし、下位貴族の令嬢クラスで頻繁に行われていたという陰湿な虐めを目にする機会がないのだと納得していた。
見かけないだけ。
だって、彼女についての悪行は毎日のように耳に届いていたから。
「お前の言っていた虐めに関しては、それを主導した令嬢がいることが判明している。リタ嬢の名前を使っていたそうだ。あっさり騙された気分はどうだ?」
「……ね、捏造?」
わざわざ違うクラスや違う学年まで赴いて悪事を働く婚約者。
それにイラつくばかりで事実がどうなのか確かめるつもりもなかった。
まさか、彼女の名前を使って学園内で悪行を行い、その罪を擦り付けるような真似をする者がいるなど想像しなかった。
いや。本当は、どこかでそれが嘘であると知っていたのかもしれない。
知っていて、そんな噂を立てられる彼女を哂っていたかったのかもしれないと、思いついた傍から顔を横に何度も振ってその思いを振りほどく。
『国境付近まで外交官と交渉に赴いて貰っていたこともある。その報告書を纏め、前後には閣議への参加もあった。さて、リタ嬢に学園でくだらない虐めなどをする時間が、本当にあったとお前は思うのか?』
あったとしても国に対する貢献を捧げていた彼女がその程度の罪に問われる筈もないであろう、言外にそう言われている気がした。
国の為の仕事をしている令嬢の邪魔になるのなら、排除されるのはその邪魔とされた令嬢子息であるだろう。子供の遊びではないのだ。
個人の好悪など二の次だ。
確かに、ピアが欲しいばかりが先行して、婚約者であったリタ・ゾールへの配慮に欠いた。王太子として相応しくない判断を下してしまった。
けれど。
そのどれもこれも。
全てが、ピア・ポラス嬢との未来を手にする為だったのに。
心が切り裂かれるように痛くて、辛くて。
身体の奥底が、きりきりと痛む。
もう、アルフェルトの手の中には何も無かった。
唯一と信じた最愛も。夢にまで見た、ふたりの愛の証である子供も。
次代の王となるのだという、気概も。
すべて失くした。
もう、鬱屈した気持ちを晴らしてくれる、唯一の最愛の、笑顔も、心も。
すべてがアルフェルトの手の届かない場所に行ってしまった。
だって、もう、アルフェルトは最愛の事すら信じられない。
彼女が妊娠した子供は、アルフェルト以外の男のものではないのか。
彼女がアルフェルト以外と情交を結んでいたのではないか。
彼女はもうアルフェルトの事など愛していないのではないか。
彼女は元々アルフェルトの事など愛していなかったのではないか。
考えれば考えるほど、悍ましい妄想が湧きあがり、心を黒く染めていく。
『アルフェルト・ゲルト王太子殿下。ずっとお慕いしておりました。あなたさまにだけは、私を信じて戴きたかった』
黒髪の、うつくしい人。
切なげにアルフェルトを見つめながら、『信じて欲しかった』と、その愛を証明する為に、自死を選んだ。
他の誰が嘘に塗れていようとも、彼女だけは、最後の一瞬まで、アルフェルトへの愛を貫いて、死んでいった。
その言葉だけが、真っ黒に塗りつぶされそうなアルフェルトの心の奥底で、ちいさな光を齎す。
「そうだ。リタに会いに、墓参りへ行こう」
アルフェルトはこれまで一度も彼女の墓へ行ったことがなかった。
場所は知っている。というか、つい先日、ゾール侯爵夫妻の埋葬に参列した時に、すぐ隣にあるリタの墓を背に立っていたばかりだ。
それでも、真摯な気持ちで彼女の墓に向かい合う気持ちに、なれなかったのだ。
だから一瞥すら与えず、足早に墓地を後にした。
寝たきりになってしまった義兄であるエストを見舞うということを理由にして。
『アルフェルト・ゲルト王太子殿下。ずっとお慕いしておりました。あなたさまにだけは、私を信じて戴きたかった』
そうだ。彼女だけは、アルフェルトを愛している。
死ぬまで。
死ぬほど。




