嵐の夜に・2
長くなったので2話に分けました。
同日公開しております。
読む順番にお気を付けください。
そう言って手を伸ばしたアルフェルトに、何故か産婆は躊躇っていた。
その反応が不思議で、アルフェルトはその腕の中にいる赤児に注視する。
初めて目の前にしたその赤児は、顔つきも瞳の色も髪の色も何もかも、全てがまるで私にも、ピアにも似ついていなかった。
抱き上げてもまったく愛着が湧かない。吾子であるという思いに欠けた。
「……これは。この児が? 本当に、私とピアの子供なのか?」
初めての子を抱き上げたら感動するものだと思っていたアルフェルトは、それだけでも恐怖を感じた。
『産まれたばかりの赤児は、どこまでも柔らかくて小さくて軽くて。まるで人の子には思えないものなの。けれどもとっても可愛いものなのよ』
母である王妃に聞かされていたとおりだとは思わなかったけれど、腕の中でぐにぐに蠢く柔らかで頼りない小さな身体が、アルフェルトの腕の中でどんどん重く感じられていく。
それは、医師から聞かされる言葉が重なっていくほど重みを増していく気がした。
「産声自体は小さくありましたが、とても元気な御子様です。しかし、問題が。吾子の父親は、この国の人間ではないように思われることです」
そう。赤児の肌は浅黒かった。頭頂部に生えている柔らかな毛は紅い。
なにより、抱き上げているアルフェルトを見上げる瞳の色は、燃えるような紅い光彩をしていた。
それらはすべて、積年の敵国の人間の特徴でもある。
「しかし。ピアを、抱いたのは私のみのはずだ」
震える声で、そう告白する。
そうだ。忌まわしき婚約の儀のあの夜、暴力的行為により無理やり身体を繋ぐようなことをしてしまったアルフェルトは、ピアと所謂初夜を行わなかった。
行えなかった、というのが正しい。
行為に及ぼうとすると、真っ青な顔で震えて出してしまうピアにそれを強要する気になれなかったのだ。
『申し訳ございません。アルを、愛しています。でも、どうしても、この身体が震えてしまうことを止められないのです』
そうさめざめと泣くピアの背中を毛布越しに一晩中撫で宥めて過ごした。
すでにピアのお腹にはふたりの愛の証である子が宿っている。
夫婦としての営みはなくとも、出産を無事に終えてからでいいのではないかと思ったのだ。
それなのに。
「しかし、そうなりますと……恐れながら、殿下の御血筋に疑問が生じることになりますれば」
滅多なことは口に出さない方がよろしいかと存じますと平伏し震えながら老女性医師が申し出た。
詳しく聞けば、隔世遺伝といって両親には現れなかった祖先の特徴が子に突然現れることがあるそうだ。
生まれた吾子の父母が確かにアルフェルトとピアならば、そのどちらかに敵国であるあの国の血筋が流れているに相違ないということになる。
ピアがそうであれば、アルフェルトは知らぬ内に敵国の血筋を王家に迎え入れたウツケ者と哂われるだろうし、もしそれがアルフェルト自身であるとなれば……母親である王妃の、不貞の可能性が疑われる。
「なんということだ。どうすればいいのだ」
あまりのことにアルフェルトの目の前が昏くなる。
しかし、悩んでいられる時間はそれほどない。
何故なら、初孫の誕生を、王も王妃も、そしてこの国の民総てが待ち望んでいたからだ。
「アルフェルト殿下。こうなってしまっては、取れる手段は一つだけでございます。『死産であった』と公表されることです」
老女性医師が苦し気に進言した。ポラス子爵家から連れてこられたこの老女性医師は、ピアを幼い頃からずっと見てきたひとりだ。
アルフェルトの仕出かしてしまった事により傷ついたピアを献身的にフォローし、この出産までずっと心身共に支えてくれていた。
それでも、今は国の為を思って、辛い提案をしてくれているのだろう、そう思うとアルフェルトは胸が詰まる。
「しかし……」
アルフェルトは躊躇った。確かにそれが国を混乱させない為には最も正しい判断なのかもしれない。
けれども、今、この腕の中にある吾子の存在を、死産とするなどできるのだろうか。
「王城内の防音性の高さはご存じのことでしょう。部屋の中でどんなに騒ごうとも、廊下へその音が外に洩れているという心配はご無用です」
そう。だからこそ、婚約の儀の夜の凶行は為されてしまったのだ。
「そうするとしても、ではこの子は、一体どうなってしまうんだ?」
まさか殺したりはしないだろうな、との疑問をアルフェルトは最後まで口にする勇気はなかった。
この、ちいさくも温かい身体を、命を?
……無理だ。ありえない。
あまりの恐ろしさに、アルフェルトは何度も首を横に振る。
「本来ならば、後顧の憂いを無くす為にも、この御命はお諦め戴くのが一番でしょう。しかし、初めての御子にそれはあまりにも惨い。丁度、長年子が出来ず生まれたばかりの子を欲している夫婦に心当たりがございます。内密にその夫婦の下で実の子として育てて貰えるよう手配を致しましょう」
赤児を抱いた産婆が、口添えを申し出た。
望まれて、実の子として育つことが出来る。
それは、迫りくる激流のような人生から、この子を守れるたった一つの希望の光。最後の手段にも思えた。
「王太子妃も、今なら出産の痛みと疲れで朦朧とされております。起きられてからでは決断は更に難しくなるでしょう。どうか、御子の幸せの為にも、今すぐ御決断を」
──この子の、幸せの為に。
その言葉を免罪符に、王家の威信を守る為に取られたその決断は、たった数分で決めさせられたのだった。
***
国民の期待を一身に背負った新しい世継ぎが生まれ出る事を国中が期待していたその思いの分だけ、死産の知らせは国民の心を重くした。
夫婦ふたりで送り出したいと、ひっそりと空っぽの棺を燃やした。
ピアは自分も一緒に燃やしてくれと泣き縋ってていた。
昇りゆく煙に、あの子の幸せを祈る。
遠くからでも見えたというその煙に、国中が喪に服しその痛みに泣き暮れた。




