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213



 ピアと言う呼び名を与えられる以前、彼女は番号で呼ばれていたが、その前はウスと呼ばれていた。

 親から貰った名前ではない。救貧院で働いていた頃、便宜上付けられた綽名のようなものだった。


 彼女は隣の国境近くにある小さな村で生まれた。

 生まれた、というのは正しくないかもしれない。小さな村の外れに産み捨てられていたのを、その村の村長が見つけただけだからだ。この国のほとんどのものが赤い髪と浅黒い肌を持つというのに、粗末な布に包まれていた赤子はやわらかな胡桃色の髪と瞳の色と白い肌を持っていた。

 その色合いは、敵国である隣国ではよくある色合いだ。

 つまりは、合意か不合意かは判らないが、とにかく父か母のどちらかは、敵国の人間と情を通じて生まれてきた子である、ということだった。


 敵国の色を持った捨て子の扱いなど、最下層に決まっている。


 むしろ、貧しい小さな村にはそんな実の親にも見捨てられた余所者を養う余裕などある筈もなく、その日、たまたま村へと訪れた行商人に売られていった。売られたのとも違うのかもしれない。小さな酒樽1個と交換され、その酒も、その夜には村人に振舞われて終わりだったのだから。

 


 酒樽1個だった赤子の価値は、人の手を介す度に上がったり下がったりしていった。


 養女として迎えられこともあったが、すぐに実の子ができたのだとお払い箱になった。ただし、まだ赤子であった彼女には明るい未来が目の前に差し出されたことがあったことすら理解できていなかったし、そんな未来はあっという間に取り上げられて不用品として捨てられたのだと理解することもなかったが。


 赤子は幼児となり少女となっていく。


 変態な金持ちに愛玩されることにもなった。馬鹿馬鹿しい兎の耳やら尻尾といった余計なモノがついている癖に身体を覆う面積の少ない衣装を身に着けさせられた沢山の少女や少年たちと共に怪しげな地下室の一角に繋がれたり、ぶら下げられたりして閉じ込められた。しかし、幸運(?)にも彼女にその魔手が伸びる前に、奥方に見咎められた衝撃ショックでその男の命は費えた。


 とうとう救貧院へ引き取られた少女は、けれどやっぱり碌な食事も与えられないままだった。

 垢塗れの身体はガリガリに痩せており、胡桃色の瞳ばかりが大きくて、けれどその瞳にもまったく力はなく、ただ言われるままに働いていた。少女はこの頃、ウスノロもしくは薄汚いを縮めてウスと呼ばれ、洗濯女の仕事をさせられていた。


「ホラ。今日の分だよ。今日は天気がいいからね、早く干してきな」

 まだ星の残る暗い朝、女が垢が染み付いたシーツや肌着を山の様に洗濯小屋の入り口に汚れ物を置いていく。その横に、パンと昨夜の残りのスープの入ったカップも置いていく。飢え死にされたら誰か違う女が洗濯係を勤めなくてはいけなくなる。だから食事はさせるが、「ウスを食堂に近づけるのは嫌だ」と拒否されて、いつしか洗濯物と一緒に運ばれてくるようになっていた。


 発酵させた尿を桶に入れ、そこに垢塗れの洗濯物を浸けて足で踏んで汚れを落としていく。尿を発酵させてアルカリ度を上げているので、いつだって少女の足や手はあかぎれだらけだった。


 饐えた垢の臭いすら消し去る悪臭漂う洗濯小屋での作業を喜んで手伝う者も、近寄る者もいない。

 だから、憎っくき敵国の血を引く少女だろうと、その作業を続ける限り石をもって追い払われることはなかったし、彼女自身と洗濯小屋から漂うあまりの悪臭の酷さに、彼女の分の食事を奪いに来る飢えた子供もいなかった。


 辛い仕事だろうと、どれだけ貧相な食事だろうと、毎日朝晩の食事は与えられたし眠る場所にも困らない。寝ている所に石を投げつけられて目を覚ますこともない。


 だが、ただそれだけの日々が続いた。


 誰とも会話をしない日々。前回、声を出したのが何時の事だったかすら分からなくなっていた。ウスは命令を受けるだけだ。肯定の返答すら疎ましがられている内に、「はい」と応えることすら怖くて出来なくなった。



 そうして、その日もただひたすらに悪臭の立ち込める作業小屋で日が昇る前から洗濯を続けていた彼女を迎えに来たのは、王国の影ともいえる組織の一人だった。



「敵国の血を引いている少女が欲しかったのだ」

 そうひと言いうと、どうしようもなく臭くて汚い少女ウスを抱き上げそこから連れ出したのだった。


 その日から、少女はウスと呼ばれることはなくなり番号で呼ばれるようになった。

 男から「お前の名前を取り上げることになる。今日からお前は213だ」と言われたが、少女はそれに大人しく頷いた。

 元々ウスという呼び名に愛着がある訳でもない。数字であろうと関係なかった。むしろ、いつの間にかついていたウスという呼び名よりも、少女自身に与えられた「213」という数字の方が嬉しいと感じたほどだった。



 風呂にいれられ清潔で綺麗な服を与えられる。服は、平民の着るような簡素なものも裾の長いドレスの形をしたものを与えられる時もあり、服によって着る方法も、着た時の動きも違うことを合わせて教わった。

 上流階級用のテーブルマナーと一緒に串焼きの齧り方を教えられ、自分でお金を払って買う方法と、商人を呼んで持ってこさせた商品の中から選ぶ買い物の仕方を教えられた。

 文字を教えられ、貴族としてのマナーと平民としての振舞いを教えられる。

 ありとあらゆる教育を詰め込まれていく213は、いつしか上流階級の娘にも、店に勤める幼い奉公人にも見えるまでになっていた。

 それと同時に体術や薬の扱いなどの多岐にわたって指導が付けられていく。

 大変ではあるが、充実している日々。なにより奴隷として物扱いされるよりずっとマシだった。

 そんな訓練に励む日々が続いていくものだと思っていた。

 いつか自分が、それを人間に対して揮う日が来るとは思わずにいた。

 


 ある日、213は自分と似た年頃の仲間と一緒に別室へと連れて行かれた。

 並んで立たされ、教官が手に持った紙に書かれたチェック項目に合わせて髪の色や瞳の色、声の高さなどを記入していく。

 そうして8名の仲間が選ばれてその場に残された。その内の1人に、ピアは入った。


 そこからは、これまでとは少し違う教育が始まった。

 これまで教わってきたアズノル語ではない異国の言葉と文字を教えられる。発音は特に厳しく教えられた。そこで3人が弾かれた。どうしても発音にアズノルの音が残ってしまったのだ。


 5人だけになった私たちに与えられた課題は、次の段階へと進む。

 会話における言葉の選び方だけでなく、指の揃え方から首の傾げ方まで、厳しく決められていて、一日中のどんな時でもそこからズレのない行動ができるようにするのだ。完全に違う人間丸々一人分の行動を丸ごと覚えなくてはならないのだ。4人が並んで同じ行動をしても誰かがズレる。けれどもズレた一人だけが合格することもあって横目で真似をしたとて正解とはならない。

 なにしろマナーについては、これまで教わったものとまったく違うのだ。一度これが正解だと思うものを骨の髄まで教え込まれた後だからこそ、それを上書きすることは難しかった。

 まさか、そこで教わっている作法や言葉が隣国ゲイル王国における貴族令嬢として相応しい礼儀作法や知識を詰め込まれているとは知らなかったが、「覚えろ」と言われたことは素直に取り組んだ。

 どれだけ厳しい訓練であろうとも、一年を通して襤褸切れのような服を身に纏い、黴臭いパンの欠片を恵んで貰う為に一日中休みなく臭くてキツイ肉体労働を続ける事に比べたら天国だ。何があろうと戻りたくなかった。



 

 そして。ある日、アズノル国の離宮にいるパスス王子の前へと呼び出された日から、213は“ゲイル王国のピア・ポラス子爵令嬢”という新たな名前を与えられ、アズノル国十三番目の王子が夢見た物語、ゲイル王国に燦然と現れた悲劇のヒロインとしてのフィリア・ノーブルの役どころを奪い、美しく残忍なリタ・ゾール侯爵令嬢を蹴落とすよう指示を受ける。


 だからピアは誰よりも訓練に真面目に取り組んだ。



 そうしてついに――


 王太子アルフェルトの婚約者の地位に立つと共にゾール侯爵家へと迎えられピリアと改名し、そうしてついに今日、ゲイル王国の王太子妃ピリア・ゲイルとなったのだ。



 213がヒロインを務めるこの壮大なる喜劇は、アズノル国の十三番目の王子の夢物語を基にして八番目の王子が描いたシナリオ通りに進んでいる。




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