Chapter6 遭遇
リウとアルセリアは遺跡を慎重に進んでいた。初めは遺跡のことを話していたが、次第に話すことがなくなり黙々と遺跡を観察するようになった。探検家のリウはその大事さを身に染みて理解しているが、アルセリアはそうではないだろう。
二人が付き合ったばかりの恋人ならば、いちゃついたり、時には喧嘩して駆け引きを楽しんだことだろう。だがリウとアルセリアはそうではない。アルセリアは居心地の悪さを感じたのかリウに話しかけた。
「ねえ、リウ。あなたのこと聞かせて?」
そういえばアルセリアの話を聞いてばかりだったな。女性は話したがりと言うが、これではあまりにアンフェアだ。
「そうだな。でも一体何から話したらいいのか」
「そうね、あなたの家族のことを聞かせて」
まあそうだろうな。それに日常のことを話しても生活が違いすぎて伝わりにくいか。
「僕は一人っ子でね。父と母と三人で暮らしていたんだ。三人でよく出かけたよ。父は探検家だったんだ」
「あなたと同じね」
リウはひとつ頷いて話を続けた。
「その頃は楽しかったよ。初めて見るものばかりだったし、世界には色々な人がいるんだって知った。でも一番は誰も行った事のないような未知の場所に行くことだった。まあ実際には他の人が先に行っていたんだけど……。あの頃はまだ子供だったしね」
リウはそういうとリュックからお守り代わりの懐中時計を取りだした。リウは説明しようとしたが嬉しそうなアルセリアに遮られた。
「知ってるわ、それトケイって言うんでしょ。父も似たようなものを持っていたの」
「ああ、そうさ。これは旅先で買った……ものでね。高価なものではないんだけど。まあ一番楽しかった頃の思い出さ」
「でも母が病気になって入院……家でゆっくりと休まなければならなくなって旅ができなくなってしまったんだ。父は旅を続けたけど、僕は母が心配になって一緒にいたんだ。ママのおっぱいが恋しかったのかもな」
まあ青臭い餓鬼だったしな。リウは苦笑いしながら話を続けた。
「その頃から父の事がわからなくなっていったんだ。どうして母についていてやらないんだって。結局二人は数年後に離婚さ。母は随分と寂しそうだったから父を憎んだよ」
もしかしたら寂しかったのは自分だったのかもしれないけどな。
「でも今、リウはお父さんと同じ探検家なのよね」
「ああ、そうなんだよ。困ったことに体が求めてるみたいなんだ」
三つ子の魂百までってやつさ。アルセリアが暗い顔になってしまったな。自分の父のことを思い出したのだろうか。失敗したな。また笑った顔が見たかったんだが。
「その後母は再婚したんだけど一年前に亡くなってね。その直前に聞いたんだ。病気になってからも父に旅を続けてくれって言ったって。でもどうしようもなく寂しくなってしまったって。人の気持ちはままならないよな」
アルセリアがポツリと呟いた。
「もしかしたら私の母さんもそうだったのかもしれない。今思えば母さんはずっと後悔していたような気がする……」
「……アルセリアがそう思うんなら、そうかもしれないな。話は終わりだ。さあ、次のステージの始まりだ」
二人は下水道のような通路を抜けて広い部屋にたどり着いた。リウは光を当てて部屋を確認する。左右の壁には壁画が彫られている。ここまで保存状態の良い物はまだ発見されたことはないだろう。正面の壁の一部は綺麗にくり抜かれていて、そのスペースには左右に石像があり、それに挟まれるように台座ような、棺桶のようなものがある。高さは1mくらいか。その上の天井からは沢山の紐が吊るされている。リウは台座に近づいて行った。だがアルセリアの気配がない。
「アルセリア?」
アルセリアはぼーっとしているのか、考え込んでいるのか、心ここにあらずといった様子で暗い部屋を見つめていた。リウの呼びかけにアルセリアはドキッと驚いて思わずに壁に手をついた。その拍子にアルセリアの足元の床がパカッと二つに割れた。アルセリアは隠れていた穴に落ちてしまった。中は滑り台のように滑らかに磨かれていてアルセリアは滑り落ちていく。アルセリアはもがいているが焦りからか、上がって来れない。
「リウ!」
リウはアルセリアの叫びと同時に素早く駆け寄って手を伸ばすとアルセリアの手を掴んだ。だが勢いのついたアルセリアに引っ張られて、逆にリウは頭から引きずり込まれてしまった。二人は暗闇の中を滑り落ちて行く。リウはアルセリアの手を握ったままなんとか姿勢を前向きに――滑り台を滑る時の様に――変えることができた。だがその最中に懐中電灯の光が消えてしまった。
くそっ!これじゃジェットコースター……いやこんなジェットコースターがあってたまるか。これじゃまるでダストシュートだ。
リウはそう考えながらも冷静に別の事も考えていた。今は勢いに乗ってしまったから止まらないがゆっくりと進めば意外と登れるのではないかと。
「リウ、光よ。助かるわ!」
だがリウの考えは違った。山の中の遺跡に光なんてあるはずない。光があるとしたら、それは外に出るってことだ。こんな勢い付けていったらどうなるか分からない。いやいや、死ぬだけだ。リウは必死に靴を立ててブレーキを掛けようとするも二人分の体重がのったスピードは落ちない。出口が近づいて徐々にだが傾斜がなだらかになってきた。これなら止まれるか?いや間に合わない!光が近づいてくる。先程まではあんなに恋しかった光のことをこんな風に思うなんて。
リウは出口の寸前に握っていたアルセリア持ちあげて、なんとかアルセリアだけでも助けようとした。その甲斐あってアルセリアはすんでの所で出口の壁に両手をかけてぶら下がることができた。一方リウは勢いそのままに飛び出してしまった。ここが本当に外壁だったらこのまま死んでしまう。リウはその目を見開いた。
リウが見たのは巨大な歯車、いくつもの歯車が組み合わさった巨大な装置だった。そうか、ここで遺跡の仕掛けで罠が作動していたんだ。だがおかしい。なぜこんなに明るいんだ?
その答えはすぐに分かった。リウの下には迷彩服の、そうグレゴリオたち武装した調査隊がいたのだ。外壁ではなくてほっとしたリウであったが、下に落ちてゆく状況に変わりはない。下には硬い地面があるのだ。リウは衝撃を覚悟した。
しかしそれは想像していたよりもわずかなものだった。なんとリウは調査隊の一人の背中に落ちたのだ。
「すまない。君大丈夫か?」
良かった。いや良くはないが、意識はなくても呼吸はしっかりしている。リウが安心したのも束の間、倒れた男の悲鳴で迷彩服の男たちが皆リウの方を一斉に振り向いていた。
「リウ!」
アルセリアの叫び声を聞いて男たちの視線が移る。
「早く中に戻るんだ!」
アルセリアはこれまでになかったリウの剣幕に押されて素直に従った。リウは男たちに視線を戻した。これで注意がこっちに向いたな。そういえばアルセリアは町には十人以上来たって言っていたけど随分減っている。あと五、六人ってところか。長くて険しい道ってのは本当だったんだな。よし、これなら。リウは手を当てながら軽く頭を下げた。
「その、すぐに帰りますのでお構いなく……」
先程の剣幕はどこに行ってしまったのか。まるで友人の家で茶菓子を断るように、すっかり借りてきた猫になったリウを見てグレゴリオは部下たちに命じた。
「奴には聞きたいこともある。生かして捕えろ」
その言葉を合図にリウに襲い掛かった。リウは部屋中に所狭しと設置してある歯車を利用して逃げ続けた。だが逃げながらもリウは冷静に逃げ道を確認していた。巨大な歯車は上の方までつながっている。アルセリアのいる場所からはすこし離れているが跳べば何とかなる距離だろう。そこにたどり着くまでには自分の胸のあたりまである歯車を何度もよじ登らなければならないが、それをこいつらが見逃してくれるはずもない。リウはその機会を待った。
だがリウは男の一人に追い込まれてしまった。後ろでは巨大な歯車が回っている。リウの額に冷や汗が流れる。リウに逃げ場がなくなったことを理解した男はにやついて飛びかかってきた。リウは思わず後ずさる。するとバランスを崩して後ろ向きに倒れ込んだ。飛びかかってきた男は丁度転んだリウの足の裏に、まるで赤ちゃんが飛行機ごっごをされるように乗ってしまい、そのまま歯車に頭から激突して倒れ込んだ。男たちはリウをにらみつけた。
「倒れてる?いったい何があったんだ」
倒れる際に軽く頭を打ったリウは状況を理解していなかった。それが男たちを逆なでした。一人の男がナイフを取り出すと他の男たちもそれに続く。リウはがっかりしながらため息をついた。
「君たちはもっと個性というものを理解したほうがいい」
余計なお世話だと言わんばかりに先頭の男が振りかぶりながらリウに迫ってきた。リウは後ろをちらりと見て距離を測りながら後退すると半身になってひらりと躱す。振り下ろしたナイフは歯車に当たった。リウは内角をえぐられたバッターのように腕がしびれている男を蹴り飛ばす。こいつらただのチンピラみたいだ。傭兵じゃなくて助かった。
だがいくら素人でも数を頼りにされてはたまらない。リウだって軍人でも格闘家でもないのだ。リウの前に別の男が現れた。ナイフを前に差し出して突進してくる。だがその後方からもう一人がものすごい形相でせまってきた。
「兄貴の敵ィィ!」
その男は興奮してまるで周りが見えていない。叫びながらリウに向かうと、リウに突進していた味方の前に突如として現れた。その結果、ナイフに刺されることはなかったものの味方に押されてしまい、二つの歯車の間に吸い込まれて行った。歯車からはおびただしい量の血が流れ落ちていた。
皆がその様子を呆然と見つめる中、いち早く動きだしたのはリウであった。倒れている男のヘッドライトをつかみ取ると、男が挟まったことで止まった歯車の上によじ登りさらに上に向かっていった。
「何をしている!さっさと追わんか!」
グレゴリオの号令でリウを追っていく迷彩服の男たち。だがリウは間もなく最上段まで達しようとしていた。それを見て慌てた迷彩服の一人が拳銃を取りだして撃ちはじめた。仕掛け部屋に銃声が鳴り響く。リウは思わず歯車の上で小さくかがんだ。だが拳銃を撃ったことはグレゴリオにとっても予定外の行動であった。
「こんな狭い場所で撃つ馬鹿がいるか!」
グレゴリオは拳銃を撃った男を殴り飛ばした。その間にも男たちが歯車に乗ってきたが、歯車は頑丈に出来ており壊れる事はなかった。
リウは遂に最上段までたどり着いた。だがアルセリアのいる横穴までは距離がある。勢いを付けて飛ぶために巨大な歯車の上を走りだした。だが走っても走ってもアルセリアに近づかなかった。それもそのはずである。多くの男たちが乗った衝撃か、挟まれた男が小さく砕かれてしまったのか、歯車が再び回り始めていたのだ。銃声を聞いて焦っていたリウはそれに気づかず、まるでルームランナーの上を走るようにその場で足を回転させていた。
「リウ!逆よ、逆向きに走って!」
アルセリアの助言を聞いて、リウは冷静さを失っていたことを自覚した。しかしスピードを緩めてしまった事で今度は足を取られてうつ伏せに倒れこんだ。アルセリアはなにやってるのよと頭を抱えた。リウはゆっくりと立ち上がると再び走り出し、アルセリアが待つ横穴目がけてジャンプした。
だが回り続けて感覚がおかしくなった事と、歯車が回っている影響で方向がずれてしまった。
「リウーー!」
アルセリアが叫びながら必死に手を伸ばしてリウの右手を掴んだ。リウの左手が横穴にかかる。アルセリアは渾身の力をこめてリウを引っ張りあげた。横穴の内部は高さがそれほどないために立つ事が出来ない。後ろにのけぞる様に引っ張ったためアルセリアはそのまま仰向けになって倒れ、その上からリウが覆いかぶさるように引き上げられた。
二人はお互いの鼓動を感じる距離で、すこしの間荒くしていた息を整えていた。アルセリアは自分の胸に顔をうずめるリウを見て頬を赤く染めると握ってきたままの手を離し、横を向いてリウに言った。
「リウ、重いわ」
「済まない、助かったよ」
そういってリウは手をついて起き上がった。薄暗さのせいで恥ずかしそうにしているアルセリアにリウは気づかなかった。
リウとアルセリアは元いた場所に戻るために滑りやすい坂道を登っていた。何かあっても受け止められるようにアルセリアが前を進み、リウはその後ろをついていった。敵から奪ったヘッドライトのおかげで両手を使えるようになったリウは余裕を持って進んでいった。だがアルセリアはそうではなかった。何かを考え込んでいるのか時折、リウの方を振り向いては首を左右に振っていた。
アルセリアは集中していないみたいだな。やはり疲れが溜まっているだろう。リウがそう感じていると、アルセリアは急勾配になった通路で滑ってしまった。
「リウ!受け止めて!」
アルセリアは徐々に加速して滑り落ちている。
「ああ、任せてくれ」
リウは受け止めようと構えた。だがリウは勢いのついたアルセリアを受け止める事が出来ずに足を払われてしまった。リウはとっさに態勢を横にすると、左半身の摩擦熱に耐えながらアルセリアの背中を見つめて滑り落ちて行った。
「すまない、アルセリア」
「それより手を離して」
リウの右手はアルセリアを受け止めようとして胸を鷲掴みにしていた。アルセリアはリウの腰を力なく叩いた。
「不可抗力だ!」
リウはアルセリアに反論した。だが考えているのは別のことだった。やけにとげとげしくなったな。でもまあ年を考えれば可愛いものだ。だがそんなことを考えている場合じゃない。
「ああ、もう出口よ!どうするの」
リウが振り向くと先程の部屋の明かりが差し込んでいた。どうやら奴らはまだ留まっているようだ。リウは摩擦熱に耐えながら必死にこらえた。その時突如として光が遮られた。なんと迷彩服の男が歯車を登ってきて通路に飛び移って登ってきたところだったのだ。
「おい、来るな、来るなー!」
登ってきた敵が叫ぶ。敵は滑り落ちるリウの足にぶつかるとふっ飛ばされて落ちて行った。リウも体ごと通路から飛び出たが なんとか横穴を掴んでぶら下がった。敵とぶつかったおかげで助かったのだ。
リウは通路内で何とか踏ん張っていたアルセリアに手を掴まれた。下を見るリウとグレゴリオの目が合う。すると突然グレゴリオは怒りだし味方から銃を奪った。あいつ、自分で言った事は守れよな。
「アルセリア!急いでくれ」
「やってるわ!リウが重いのよ」
グレゴリオが銃を撃つ。だが既にリウは引き上げられていた。
「助かったよ、アルセリア。君のおかげだ」
「そんなことないわ。お互い助け合いでしょ?さあまた登りましょ。今度は慎重にやるわ」
元はと言えばアルセリアが滑ってしまったことが原因であったが、結果として背後から襲われる事を未然に防いだのだ。リウはアルセリアに感謝して後ろをついて行った。
一方、歯車の部屋に取り残されたグレゴリオとその部下は悔しさをにじませていた。再び登って追跡しようとも、同じ目に遭わされたらたまらない。残り少なくなった部下を見つめてグレゴリオは先を急いだ。