Chapter4 絶壁を越えて
アルセリアの家では二人の会話が続いていた。
「まあ実際には宝は一つあればいいのさ」
「そうなの?」
今回の仕事は宝があるのかを確認するまでだ。証明するための物があればいい。島民に納得してもらって借りられるなら気持ちも随分と楽になる。その後の探索や交渉は政府間で詰めていくだろう。それに20年前に調査隊を出したってことはスペイン政府も島を調べる気はあるはずだ。ん?20年前ってことはまさか……
「十五年前に父親と別れたってことは、君は今……」
「もう二十になったわ」
なんてこった。まだ十五、六の少女だと思っていたら立派なレディ―だったとは。しかし四、五歳の頃に覚えた言葉をまだ話せるとはアルセリアは大したものだ。誰か話し相手でもいるのだろうか。
「同年代と比べたら若く見られるのは慣れているわ。でもあなただって私と大して変わらないでしょう?」
往々にして若く見られがちな日本人であるが、アメリカ人の父を持つリウもそうであった。リウは自分が二十九歳であるとアルセリアに告げた。すると今度はアルセリアは両手で口を覆って驚いた。
「嘘でしょ……私……そのくらいになったら、もっと貫禄がつくものだと思っていたわ」
「……僕もだよ」
何か馬鹿にされているような気もするがまあいい。また微笑んだ?大分打ち解けてくれたんだろうか。
「そろそろ出発しましょ?天気が怪しくなって来たわ」
リウに見つめられてアルセリアは気恥ずかしくなったのか立ち上がった。リウは同意したが少しだけ名残惜しく家を出た。世界各地を旅して来たリウである。歴史の研究者ではないがをアルセリアの家をもっと見たかったのが本心だった。これが老人の家だったらむしろ、ええどうぞ見て下さいと自慢げに言ってくるのではないか。だが若いアルセリアはそんなことはないだろう。
「あ、ごめんなさい。外でちょっと待ってて」
女性の準備には時間がかかる、そんなことには慣れているさ。
だが一分もしないうちにアルセリアは戻ってきた。その手には二つの木製のコップが握られていた。片方をリウに手渡すと、リウは良い匂いが漂ってくるコップを鼻に近づけた。
「これは酒か」
「ええ、そうよ。トウモロコシのお酒。旅の安全を祈りましょう」
乾杯でもするか?だがアルセリアにはそんな習慣ないだろう。言葉は通じても相手のことを理解しているわけではない。余計な波風を立ててしまうかもしれない。やめておこう。
リウは酒を飲もうとしたがアルセリアはコップから少量の酒をこぼしたのを目にした。リウの視線を無視してアルセリアは語り始めた。
「昔はこうしたそうよ。でもなんのためにこんなことをするのか、もう分からないの」
ああ、そういえば神様への感謝の儀式を行う習慣があると聞いた事がある。リウは納得してアルセリアを真似して酒をこぼした。
「分からないけど、私はこういう事を大事にしたい……」
これが時間が流れるってことなのか。それでもこうやって伝統は受け継がれて行くんだな。リウは酒を飲み干すと歩き始めた。
「さあ、行こうか」
「ちょっと待って。ねえ本当に島に宝なんてあるの?今まで聞いたことないわ」
たしか財宝が隠されている洞窟への入口は神殿にあったはずだろ?リウの質問を先回りしてアルセリアから回答がでてきた。
「確かに太陽の像は神殿に祀られていたって母さんが言ってたけど財宝なんて聞いたことない。沢山来たっていう探検家たちはそこで亡くなったって聞いてるけどね」
そうなのか?ひょっとしたら侵入者用の入口なのか……。参ったな。いきなり手詰まりだ。
「そうなのか。それなら君は何か手がかりがあるのか?」
「昔ね、父が出掛けるのを途中まであとをつけたことがあったの。父が何かしたっていうのなら、そっちの道が正しいと思う。神殿の奥にいくよりも随分楽な道だと思うわ。あいつらは神殿に入ったみたいだけど、私たちは山を越えて行くわよ」
詳しいな、これまでに調査したことがあるのか?だが既に先行しているであろう迷彩服の連中の先を行くには、アルセリアの言う通りにしたほうがよさそうだ。
「それじゃあ、ついてきて、リウ」
そういえば名前を呼ばれたのは初めてだな。距離が縮まってきたのを感じたリウは、先をいくアルセリアを追っていった。
二人は山道を早足で進んだ。真上を通り過ぎた太陽の光は顔を出さないし、時々吹く風が心地よい。だが普段からトレーニングしているとはいってもやはり高地での運動となると話が違った。リウは息を切らせているが、アルセリアはまだ元気に歩いている。先を進むアルセリアが岩場に登ると振り向いて待っていた。近づいてくるリウを見てアルセリアは声を弾ませて言った。
「見て、ここからの景色は私のお気に入りなの」
リウの目の前には雄大な大自然が広がっていた。飛び出た岩山からは島の各地がよく見えた。
「すごい……」
リウは思わず息を飲んだ。晴天時も素晴らしいだろうが霧がかかった姿もミステリアスで想像力を掻きたてる。リウの横顔を見てアルセリアも満足そうに頷いた。
「どう?」
「ああ、すごいよ。その……なんていったらいいのか。とてもすごいよ」
リウの言葉にアルセリアは微笑んだ。今度ははっきりとだ。リウは心の中で小さく拳を握ったが、それも一瞬のことだった。
「リウ、まるで子供の感想ね」
スペイン語は得意じゃないんだ!リウは心の中でそう叫んでがっくり肩を落とした。
「さあ、あと少しよ」
アルセリアは再び歩き始めた。だがどこに道があるというのか。リウは辺りを見渡したが見つからなかった。
「アルセリア、どこに道があるんだ。間違ってるんじゃないのか?」
リウは何を言っているのだろうと、アルセリアは不思議なものでも見るようにリウを見つめた。
「ここにあるじゃない。ついてきて」
道がある?アルセリアの前には切り立った崖があるだけじゃないか。いやもしかして……。世の中悪い予感と言うのは当たるもので、アルセリアは崖にもたれながら蟹のように横向きになって進んでいった。
「どこが楽な道だって?」
リウはアルセリアの言葉を思い出して天を見上げた。だがじっとしてても仕方がない。リウはなるべく下を見ないように、自分の足元だけを見つめて進んでいった。僅か一足分ほどの幅しかない道――そう呼べるかはわからないが――を慎重に進むリウ。一方アルセリアは随分と先まで行っていた。
「リウ、気を付けて」
アルセリアからの忠告と同時に地面が揺れた。こんな時に地震?だがこれ以上ないほど慎重になっているリウにできることは何もなかった。地震はすぐにおさまった。助かった、それほど強い地震じゃなかった。だが早くここを越えなければ。そう思っていたリウの頭に小石が降ってきた。リウは思わず上を見た。すると再び小石が落ちてくる。リウは小石の行方を目で追ってしまった。
小石はリウの横を転がると谷底に落ちて行った。ああ、見なきゃよかった。足を取られれば即死だろう。いや、川に落ちればなんとかなるか。あの川は町の近くまでつながってそうだ。だがそんなことを考えても仕方ない。リウは思い直して前を見つめた。
アルセリアが時折こちらを気にして振り向いてくるな。心遣いは嬉しいがそれを喜ぶ余裕はない。だがアルセリアの足元は随分と幅が広くなっているような……。それに小石が敷いてあり整えられていた形跡がある。まさか……!
「本当に道だったのかよ!」
リウはこんな場所に道をつくったインカの末裔の技術力に感嘆し、すこしだけ恨めしく思った。アルセリアは既にこの危険なエリアを抜けている。リウはため息をついた。
「まったく、どっちが探検家なんだか……」