10
日もだいぶ西に傾いたころ、セバスチャンは小さな革袋を持って帰ってきた。どこをどう走ったのか馬はすっかり疲弊していて、セバスチャン自身も体中どろだらけだった。
最初にセバスチャンに声をかけたのは、あのイジワルな老御者だ。彼はセバスチャンが持つ皮袋に捺された焼き印を見て声を荒げた。
「おい、それ! それって魔族領でよく使われる印じゃないのか?」
セバスチャンは攻められても顔色一つ変えない。
「博識だな。そう、魔族の薬師が好んで使う病気快癒のまじないの紋だ」
「そんなものをどこで!」
「たまたま森を抜けようとする行商人に会って、譲ってもらった」
「そんなはずがあるか! 魔族領の近くまでいくような隊商がこんな辺鄙な森の中を通るもんかよ!」
「通ったんだよ。だから俺はこうやって、薬を買うことができた、そうでなきゃ、俺がこの薬を持ってこれるわけがないだろ?」
「ぐぬぬー」
老御者はまだ何か言い足りない様子だが、セバスチャンの方はすでにこの問答に飽きたようで、彼にくるりと背を向けた。
「さて、もういいか? 俺はこれをユーリウス様に飲ませなきゃならんのでな」
この一連のやりとりを見ていた真由は、ネロリに小声で聞く。
「ねえ、あの薬、そんなヤバいものなの?」
ネロリは純真無垢無垢、素直にその質問に答える。
「あの薬自体はヤバくないと思いますよ。しかし、魔族領の印がついているってのはちょっとヤバいんじゃないですかね」
「どうして?」
「魔族領っていうのはすごく遠いんです。セバスチャンさんがちょっと馬で走ったくらいじゃつかないくらい、めちゃくちゃ遠いんです」
「でも、あれは行商の人から買ったって言ってたじゃん」
「それなんですけどね……こんな辺鄙な森の中を通るような小さな行商では、魔族領までいけるわけがないんですよ。行くんならそうとう長期の旅を覚悟して、キャラバンを組む、そのくらい魔族領は遠いんです」
「ふうん、つまり、セバスチャンさんがあれを簡単に手に入れてきたのがおかしいってことね」
老御者が怪訝の目をセバスチャンに向けている理由はわかった。しかし異世界人である真由には、それは些細なことのように思えた。
「まあ、なんでも良いんじゃない? だって、薬は手に入ったんだし」
そしてネロリも、純真無垢無垢であるが故にあまり深く考えない方だった。
「そうですね、これでユーリウス様のご病気が治るなら!」
「あ、そういえば、セバスチャンさんは薬を飲ませるって言ってたよね」
「はい、言ってましたね」
「これは、こうしちゃいられない!」
「な、なんですか、こうしちゃいられないんですか?」
「それはそうよ! だって、あの二人が『薬くらい自分で飲めないんですか』『飲ませてくれよ、セバスチャン』『仕方ないですねえ』とか、口移し……」
言いかけて、真由は目の前にいるのが、まだ少年と呼ぶような年頃の子供であることに気付いた。そんな幼い美少年にR-18妄想を垂れ流すのは、さすがに大人としてどうなのよ。
というわけで、真由はすんでのところで踏みとどまった。
「と、ともかく、私はユーリウスさんの回復術士なんだから、二人の様子を見に行く権利があるわね、うん」
「ええっ、僕も連れて行ってくださいよ」
「子供はダメよ」
「ええっ、僕、子供じゃないですよぉ」
そこへ老御者が口を挟む。
「おう、ネロリ、遊んでるんじゃねえ! 戻ってきた馬を洗ってやれ!」
ネロリは老御者に連れられて行ってしまった。ここからは真由の独壇場である。
「んっふっふ~、さ~て、推し様たちはどうしているのかな~」
足音を忍ばせて、そろりとユーリウスのテントに歩み寄る。もちろん、二人のイチャイチャを期待して。
果たして、テントの中から聞こえてきたのは……真由の甘い期待を裏切る罵り合いの声だった。