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思えば最初から変わった男だった――セバスチャンは五年前、ユーレリオ家の門前に倒れているのを助けられた風来坊だった。
当時、ユーリウスはかなり衰弱していた。というのも、回復魔法を常用していると魔法に対して耐性がついてしまう。つまり、より強い回復魔法じゃないと効果がなくなる。ユーリウスの体はすでに、この国いちばんと評判の回復術士の回復魔法すら効かなくなり始めていた。
あとは死を待つばかり――だから彼は太陽を避けて屋敷の一番奥の薄暗い部屋で寝たきりの生活を送っていたのだが、ユーレリオ家に拾われた風来坊は自分ならばユーリウスを助けることができると言った。もちろん、誰もこの言葉を信じはしなかった。
何しろユーリウスの側につけられていたのは『この国いちばんの回復術士』だ。つまりこの風来坊は『この国いちばんの回復術士』よりも強い回復魔術が使えると宣言したも同然。
「まあ、どうせこのままじゃ死を待つだけの体だ、だったらこの風来坊の言う事が本当かどうか試してやっても構わないだろう」
その程度の軽い気持ちで、セバスチャンはユーリウスの部屋に通された。
当のユーリウスだって特に期待なんかしていたわけじゃない。何しろ彼はすでにベッドから身を起こすこともできなくなっていたし、自分は遠くないうちに死ぬだろうと覚悟もできていた。
それに、部屋に入ってきたセバスチャンの見た目は……今でこそ身綺麗にしているセバスチャンだが、この時はまだ、食うものさえなく道端に行き倒れるような風来坊だったのだから、ほとんどこじきみたいな身なりをしていた。
髪はぼうぼうと伸ばしっぱなし、前髪が目元と、美しい鼻梁の半分までをすっかり隠して表情は見えない。それにひどく臭い。
さすがのユーリウスも、顔をしかめた。
「君、風呂は入っていないのかい」
しかしセバスチャンはそれには返事もせず、部屋の中をじろりと見まわして低い声で呻く。
「ひどいな……まるで牢獄だ」
彼が最初にしたことは、部屋の奥にある小さな窓を開け放つことだった。
「風も通さないかび臭い部屋にいるから、そうやって自分が明日にでも死ぬんじゃないかという気になるんだ」
「待ってくれ、私の弱った体には、風や日光でさえ毒になるとお医者様が……」
「そうか、じゃあ今はどうだ、死にそうか?」
そう言われてユーリウスは、ふうっと呼吸を吐いてみる。清涼な風の匂いが肺腑の底まで染み込むようだ。
「いや、むしろ気分がいい」
「そうだろう、風とお日様っていうのは何にも勝る万能薬だ。まあ、よく聞く薬だからこそ、いきなりたっぷり浴びちゃあ、体に良くないがな」
セバスチャンはベッドの中を覗き込み、ユーリウスの顔をじっと見た。
「めちゃくちゃひょろっちい坊ちゃんだな、あんた、本当に『勇者』なのか?」
「そんなもの、名前だけだよ、私の家は勇者の家系だから長子である私がその名を継いだ、それだけだ」
「それでいいのか、あんた」
「良いも悪いもないよ、そういう決まりなんだから」
「俺が聞いているのはそういう事じゃない、あんたの気持ちを聞いているんだ。仮にも勇者の名を継いだのに、こんな厄介ものみたいな扱いを受けてひっそりと死んでいく、そんな人生をあんたは望んだのかって聞いてるんだ」
「だって……だって、しかたないじゃないか! 私はごらんのとおり病弱で、もはやこの国いちばんの回復術士ですら救えぬほどに衰弱しきっている、何を望んでも、もはやかなうわけがない!」
セバスチャンがニヤリと笑った。
「いい返事だ、それってつまり、体さえ丈夫ならばかなえたい夢があるってことだろう?」
セバスチャンはやおら指を広げた手のひらをユーリウスの額に当てて、短く何かを詠唱した。それはごく初歩的な回復呪文の一節だった。
術式は簡単なものであったのに、セバスチャンの体から青白い炎に似た魔力の光が放たれた。それは天井を舐めるほどに高く燃え上がり、彼が並の術士ではなく体内に無尽蔵の魔力を持つ特別な体質であることを示していた。
「いったい、君は……」
「いいから黙って回復されてろ、話はそれからだ」
ユーリウスはそっと目を閉じる。肺腑がほんのりと温かく、さっきよりも奥まで呼吸が行き届くのを感じた。
「ああ……そうか、私はまだ、死にたくない……」
「そうだろうとも、だから俺が来た、お前を簡単に死なせたりはしない」
とめどなく流れ込む回復魔法の波動を感じて、ユーリウスは知らずのうちに涙を流していた。
ユーリウスだって、進んで死を望んでいたわけじゃない。ただもはや自分の命を救えるものはいないだろうと諦観していただけである。
もしもいま、この命を救われることがあるのならば、まだまだあきらめたくない夢は――ある。
「私は、自分の人生を、もっと望んでも良いだろうか」
「ああ、望め、欲張りなぐらい望め、俺が全部かなえてやるからさ」
力強い言葉に安心して、ユーリウスは深く頷いた。これが二人の出会いの物語である。
◇◇◇