7
翌朝は嘘のような快晴――それでも明け方近くまで雨が降っていた証拠に木々の葉や足元の草には小さなレンズのような水玉がびっしりと止まっている。それが朝焼けの太陽に照らされてキラキラと輝いている様子はまさにファンタジー。
しかしそのファンタジックな光景のなか、真由たちは大きなトラブルに見舞われていた。ユーリウスの花咲病が悪化したのである。
「ごほっ、ごほっ、私は……ごほっ、ごほっ、大丈夫ですから……」
ユーリウスは強がるけれど、一つ咳き込むたびに一つずつ、花が咲く。しかも彼の皮膚の上にとどまりきれずにはらり、はらりと床に落ちる花もあって、すでにテントの中は花畑状態だ。
「ごほっ、ごほっ、とりあえず出発しようじゃないか、馬車の中で寝ていれば、きっと良くなるだろうさ」
ユーリウスはそう言ったが、セバスチャンがそれを許すわけがなかった。
「ダメです。馬車の中で、花におぼれて死ぬ気ですか」
「大げさだよ、花咲病ぐらいで」
「その花咲病『ぐらい』が命取りになりかねない、そういうお体でしょう、あなたは!」
「そうなんだけど……ね」
どうやらユーリウスは、あの意地悪い老御者のことを気にしているらしい。
彼は朝一番にテントの中をのぞき込んで無数の花が咲き乱れているのを見たときも、冷たい声で「まったく、テントもたためやしない」と吐き捨てた。今頃はきっとバカ丁寧に馬の手入れをしているはずだ。
もちろんこの状況では馬車を進めるわけにはいかないのだから、彼のバカ丁寧な手入れは無駄になることだろう。そうしたらきっと顔をしかめて自分の労力が無駄になったことに文句を言う、そのための手入れなのだ。
「なんとしても、出発を……」
起き上がろうとするユーリウス。しかしセバスチャンはその体を押さえつけて、低い声を出した。
「いいから、寝てろってンだ」
「しかし、セバス……」
「御者のおっさんは俺が黙らせてやる、もっと俺を頼れ」
「……すまない、君には甘えてばかりだ」
「それが執事の仕事ってやつだ、気にすんな」
セバスチャンはユーリウスの肩をポンポンと叩いて立ち上がった。彼には今、やるべきことがある。
「マユさま」
すぐ外で聞き耳を立てていた真由をテントの中へ呼び込んで、セバスチャンは言った。
「マユさま、お願いがあります」
「なに?」
「今から半日、片時もユーリウス様のおそばを離れず、回復魔術をかけてください」
「それはかまわないけど……あなたはどうするの?」
「私は馬を借りて、近くに医者がないか探してきます。馬車を引いてポクポク歩くよりも、単騎で動いた方が機動力はあがりますから」
「いくら機動力があったって、こんな森の中でお医者さんなんて見つかるの?」
「はい、一つだけあてがあるのです」
「ふうん、でも……」
さらに質問をしようとする真由を、ユーリウスが止めた。
「真由さん、セバスチャンに万事任せておけば、大丈夫ですよ」
「そうなの?」
「はい、セバスチャンはいつだって私を必ず助けてくれる、私のヒーローなのです。ですから今回も、彼に任せておけばきっと大丈夫ですよ」
じつに篤い信頼だ。腐女子傾向のある真由にとって、これ以上に信頼できるものなどないもないという勢いの男同士の友情……。
「わ、わかった、私はここでユーリウスさんの回復役を務めるわ」
「ありがたい、それでは私は、安心して自分の務めを果たしてまいります」
セバスチャンはテントから飛び出していった。きっとこの後彼はまず老御者に今日は出発できないことを伝えるのだろう。そしてユーリウスに対する嫌味をたっぷりと、それをユーリウスに代わって浴びせられるのだろう。
そのあと、一番速そうな馬を選んで馬車のくびきから外し、どこか医者のいるところを探して森の中を走り回るはずだ。
ユーリウスはそんなセバスチャンの行動に全幅の信頼を寄せているらしく、花だらけになった体を床に横たえて笑った。
「もう大丈夫、セバスチャンが戻ってくるのを待ちましょう」
その笑顔があまりに一点の曇りもない晴れやかなものであることを、真由は訝しんだ。
「ずいぶんとセバスチャンさんを信頼しているんですね」
少しとげとげしい言い方になってしまったのは『同坦』なのにセバスチャンばかりがひいきされているような気がしたから――つまり推しが自分の方にはちっとも顔を向けてくれずに他の子たちにばかりファンサしているのを見たときのような――つまり嫉妬である。
ユーリウスはこれに対してゆるぎない笑顔で応えた。
「セバスチャンは、私のために何度も『奇跡』を起こしてくれたんです」
「奇跡?」
「ええ、聞きたいですか?」
「いえ、別に」
「そんなこと言わずに聞いてくださいよ、ダメですか?」
ユーリウスは顔に咲いた大輪の花をかき分けて、上目遣いで真由を見る。どうやらセバスチャンのことをどうしても語りたいらしい。
「そうね……」
真由は思った。
病弱なユーリウスは屋敷の奥深くにこもって、ろくに話し相手もなく過ごしたのだろう。セバスチャンだけは常に隣にいてくれたようだが、まさか本人に『セバスチャン語り』をするわけにはいかないだろう。
つまり今、ユーリウスは自分の推しについて語りたくて仕方がないわけだ。
「そうね、私も聞きたいかな、セバスチャンさんの話」
ユーリウスの表情がぱあっと明るくなった。
「そうですか、聞いてください! あれは五年前のことでした……」