最終部 前編 田中とサッカー
昨日の出来事から一夜が明けた。そんな中で俺はいつものように目を覚まし、いつものように食事を片付け、いつものように玄関でお気に入りの赤いシューズを履いていた。
そして…
「行ってきます」
それはいつもと同じ言葉だったけれど。
その声はいつも通りではなかったかもしれない。
玄関のドアが閉まり、俺の目の前に青一面の空が広がる。気温は少しジメジメしているが、たまに吹く風が全身に触る時、丁度いい感じの心地よさになる。
いつも通りの通学路をただひたすらに歩いていく。
でもなんでだろうか。いつも通っている道のりなのに、景色なのに何故かその全てに抵抗している自分がいる。
(学校へ行きたくない。)
朝起きて、目を擦った瞬間から密かに思っていた気持ちが唐突に溢れ出した。
ストーカー事件が始まってから約2週間が経ち、
初めは全然気付かなかったけど、だんだんとその全貌が解っていくうちに、いつからか答えにたどり着きたくないと…どこかでそう思い続けていた。
今日、学校の昼休みに全ての点と点が線で繋がる。
これは半信半疑でもなく、たぶんでもなく、確信であった。
そう…俺は…
『俺は全部、わかってしまった……』のである。
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割と朝早くに学校に到着してしまい。1年A組の誰も居ない筈の教室に入ると、そこにはまるで俺を待っていたかのように後ろの窓際で夏芽が空を眺めていた。
横顔はいつも通りの美人であるのに対して、その横目は悲しい瞳をしているのことに対して理由はなんとなくわかる気がした。
夏芽はこの事件で二度、涙を流した。一度目は俺がストーカーをおびき寄せるためにわざとお腹を痛いフリをした時、二度目は俺が全てを田中に話してしまったと伝えた時。この2週間彼女は確かにストーカーに怯えていた、誰にも言わずずっと我慢をして、耐えて、怖くて、辛くて……
でも泣かなかった。
そして俺はそんな彼女を二度も泣かせてしまったのだ。本当の悪は俺なんじゃないかそう思われてしまってもしょうがない。
で……それでなんですが……
なんでここにいるんですかね??
正直昨日のこともあり夏芽に対してかなり負い目を感じていたし、当分は話したくはなかった。いつかは改めて必ず改めて謝ろうとはしていたけど……
今日はちょっと辛いかなぁぁ……
そんな時、彼女がこちらに気づく。
「駿ちゃん!おはよう!」
朝一番に聞いた夏芽の声は昨日のことなどなにも感じさせないようないつも通りのおはようだった。
「お、おはよう…」
対して俺はモジモジしながらまるで、くそモブ童貞を醸し出した様な返事をしてしまった。
しかし、よくよく考えてみたら夏芽はカースト上位にいそうなギャルギャルした女子とはかけ離れているけど、皆んなを包み込むような優しい感じの俺たちみたいなモブキャラをイチコロにしそうな女の子であり、緊張してしまうのは当たり前なのかもしれない。うん。そうに違いない。(※高木駿は楠木夏芽としょう学校からの幼馴染みである。)
「珍しいね。こんなに早く…朝練とか??」
動揺や焦りでわざとらしく聞いてしまった…。
一瞬の間があって、彼女は体をこちらに向き変える。
「結論からいいます。私…まだ怒ってるから!」
ほっぺを膨らませ、本物のリスみたいな顔をしている彼女を見るとこの険しい雰囲気が和らいでクスクスと笑ってしまった。
「ちょっと!なんで笑うの!こっちは本気なんだからね!」
「ごめん、でもなんか夏芽らしいなって」
言ってる意味がわからない様なのか手をブンブンさせながら更に怒っていた。
「もぅ!今ので空気壊れたよぉ〜もう一回!もう一回ね!」
彼女はわざと大きな咳をこみ、そして優しい口調でこう告げた。
「じゃあまず言わせて……」
それは俺が思っても見ないような一言だった。
「昨日は……ごめんなさい。私、気が動転しちゃって感情に身を任せちゃってて、駿ちゃんにひどいことをしちゃったから。」
何故なんだんだろう。何故彼女は一番に謝るのだろう。悪いのは圧倒的に俺なのに、泣かさせてしまったのは俺の方なのに…
その優しさが辛くて俺は挽回しようとしたが、彼女の方が一歩早かった。
「でね…昨日の夜考えたんだ。やっぱり駿ちゃんはなんか考えがあるんでしょ?駿ちゃんはこんな約束の破り方なんて絶対にしないのに……だからさ、ねぇ教えてくれない?どんな作戦があるの?私に…教えてよ……。」
いまの夏芽には優しさの中に明らかな熱を感じる。
やっぱり普段見れないからこそ、怒っている夏芽は本当に恐い……。でも夏芽。俺も本当は言いたいんだよ。夏芽にこの事件の真実を伝えたい。だけど……
だけど…それよりも"今"を失いたくないんだ。
「ごめん……。」
俺はそれだけしか言えなかった。その先を言ったら失いたくない何かが壊れるような気がしたから。
「春ちゃんには言えて、私には言えないんだね…ちょっと残念だなぁ。同じ幼なじみなのに…。」
白々しさと嫌味がこもった言葉に胸を痛めつつ、その言葉にはまだ続きがあった。
「駿ちゃんはいつもそう。困ったときとか悩んだ時があったら誰にも相談しないで1人で抱え込んで…皆んなの迷惑にならないように心配させないように1人で解決する。そして責任を1人で取る。」
「私、駿ちゃんのそういうところ好きじゃないな。」
「今回もそういう理由で隠してるんだったら私…絶対に許さないから。」
俺はやっと彼女の怒りの正体がわかった。
彼女は内緒にしてと言ったのに田中にバラしたことを怒っているのだと思っていた。でも俺の思っていた以上に彼女は優しかった。
それと同時に自分の不甲斐なさと自分への嫌悪が溢れ出してくる。
俺は本当にちっぽけな人間だ。親鳥二羽についていく飛べない雛鳥となんにも変わらない。
「ごめん…でも今回は違うんだ。後でちゃんと伝えるよ。だから今は言えない。」
「わかった。じゃあ後でしっかり教えてもらうからね!」
そう言って彼女は俺の横を通り過ぎるとそのまま教室の外へと出て行った。
なびいた黒髪から柑橘系のいい香りがしたのは心の中に留めておこう。
**********
そんな朝を乗り過ごした俺に昼休みが迎えようとしていた。
(キーン。コーン。カーン。コーン。)
校内にチャイムの音が鳴り響く。
最近のクラスの雰囲気といったら夏休みが近いことによりどうも浮かれている。
それもそうだろう。高校生になってからの初めての夏休み。新しい友達とどういう風に過ごすのかワクワクが止まらないのはなんとなく共感できる。
いつものようにそれぞれのグループに分かれ、学食に行く奴、机を囲んでお弁当を食べる女子たち、はたまた屋上や中庭などの外で飯を食う奴。そしてもちろん……
「駿!今日こそ飯食おうぜ!」
いつものように俺の親友(仮)の田中が昼飯を誘って俺の机まで来た。
「もちろん!今日はなに食べるの?」
「ふっふーん今日は購買で1日20こ限定の超激甘メロンパンを勝ち取ったのだ!!」
そう言いながら右手を上に掲げ神々しい様なメロンパンを見せつけてくる。
「すげぇ……本当に存在したんだ。幻のメロンパン」
まさか本当に存在するとは思わなかった。不定期で、更に1日限定で、個数制限販売される幻のメロンパンがあると噂では聞いており、1年生の間では学校の七不思議の1つとして捉えられていた。
周りのクラスメイトもマジマジとこちらを見つめ、中には写メを取り出す奴も見受けられた。
田中は有名人かの如くメロンパンを掲げながらクラス全体に見せつけていた。
「春、もういいでしょ!早く座って食べようよ!」
だんだん恥ずかしくなった俺はひそひそ声で田中に言った。
「おう!俺も早く食いてーぜ!駿も一口やるからな!」
一仕事を終えた田中が腰をおろすとまたいつものように廊下から声が聞こえてきた。
「居たわね田中!!今日もみっちりデッサンやるわよ!」
本庄の声が廊下から響き渡る。正直クラスの奴らも最初はビビったり迷惑がっていたけど今となってはもう日常イベントの一つとして捉えている人がほとんどだろう。(ほらっ行ってこいよ)、(ピカソガンバ)などと言った茶化しが聞こえるようになっていた。
「もぅ……よくねぇーか?一回ぐらい提出しなくたってなんも起きねーだろ。死ぬわけじゃあるまいし」
そしていつものように机に突っ伏している田中は顔を本庄の方に向け先ず否定から入る。
「なにいってんの!?美術部の存続がかかってるのよ?ただでさえ人数少ない中やってんのにコンクールに出展さえしなければ廃部になるわよ!」
本庄の言ってることは一つも間違っていない。うちの学校はその部活を存続させるかどうかは人数と活動実績で決める。が割合が3.7くらいなのだ。
たとえ人数が少なくても一生懸命活動していれば廃部になる事はないが…人数が多いにもかかわらず大会で実績を残さなかったり、そもそも大会やコンクールに出場してもいないと分かれば廃部になる可能性もある。
美術部には御門先輩、本庄、そして田中に加え2人くらいしか居ないような気がした。そうなるととにかくどんな絵でもいいからコンクールに出さないと生徒会から廃部認定にされてもおかしくない。
「へいへい分かりましたよ。あぁぁあ、俺のメロンパンがぁ〜。」
グダグタ腰を上げ、嫌そうな顔をしながら本庄のところへ向かった。
「絶対に誰も食べるなよ!!食べたら◯す!!」
うわ…あれガチで嫌がってる時の顔だわ…。
このようにしていつもの昼休みを迎えたわけだけど……
「さて、行きますか……」
わざと出したピーナッツバターサンドを鞄の中へしまい、俺は教室を後にした。
廊下に出で階段を降り、一階中央にある下駄箱に向かう。
お気に入りの赤いスニーカーを手に取るとその足で校門に向かった。
「昼休みは…残り45分っと。」
この凡凡高校の昼休みは1時間ほどある。先生に内緒で高校の外に出て近くのコンビニやラーメン屋で飯を食べるのもわりと余裕で行けるとサッカー部の先輩に教えてもらった。
校門を出ると帰り道とは違う道を進んだ。
夏芽とここ最近一緒に帰っていたのでこの景色も割と見慣れてきた。
「この景色ともそろそろお別れだね。」
そして少し歩き進めると……目の前に大きな木が見えた。この真昼間、辺りはとても閑散としていて。風の音が、草がなびく音が良く聞こえる。
そんな中、大きな木の下で何かうごめくものが視界に入った。
こんな時間公園に人が来ることなんてほとんどない。いたとしても親と連れ子が遊びに来たぐらいだろう。
なのに…なのになぜだろう。
昼休み中なのに…高校生がいるなんて……
俺はその場所に向けて一歩一歩足を踏み入れる。気持ちを呼吸を整えて…
するとあちらの高校生も気づいたのだろうかこちらに目を向ける。戸惑いの素振りも見せず真っ直ぐに俺を見つめていた。
俺は…俺は信じたくなかった。分かっていたけどお前じゃないとどこかでそう願ってた。
でもやっぱり君だった。
「よぉ…こんなところでなにしてんの?昼飯は?」
ビックリツリー公園のシンボルの大きな木の下に居る高校生は何事もないかのようにいつも通り話しかけてくる。
「ねぇ…」
俺は覚悟を決めて言葉を発する。今、自分はどんな顔をしているのだろうか。いつも通りの表情なのだろうか。
「そんなところでなにしてるんだよ……。」
一つだけ分かることは……
『………春』
俺は額に涙が流れていた。
お久しぶりですゼンサイです。
本作を読んで頂き誠にありがとうございます。
こんなに遅れてしまっても読んでくださる方が居てくれるのはとても励みなります。
今後ともスローペースですがどうぞ本作をよろしくお願いします。