カオナシ 下
教室から顔を覗かせると、そこには横腹から伸びる太い腕で男をがっちりと捕まえたカオナシが、自身の髪の毛をまさに突き刺したときだった。動かなくなった男から養分を吸い取る姿は、最初に見た時のような嬲るように殺す気配は一切ない。他にも獲物がいるために急いでいるのか?
「下がってろ!」
「うわっ」
教室から転がって廊下に出た藤堂が、手にした狙撃銃でカオナシを狙う。
断続的に放たれた銃弾は、そのどれもが悠には想像もつかないような効力を秘めたものだったのだろうが、それらは効力を発揮する前にカオナシの手前で弾かれる。
「チッ、やっぱりだめか……!」
やはりカオナシにスキルが通じない。そう判断した藤堂は、
「来い! 逃げるぞ!」
カオナシに背を向けて走り出した。
悠も一目散に駆け出すが、すぐに前を走っていた藤堂が足を止めた。
「ッ、そういうことか……」
「これって……!」
カオナシと反対方向の廊下の先には濃霧が広がっていた。この霧はつい先ほど遭遇したものと同じだ。つまり、職員室を襲い、鬼神の如き強さを誇った先生たちを次々と葬った怪物がこの先にいる――
「~~~~♪」
霧の中からは相変わらず鼻唄が聞こえる。身を震わせるような美声だ――
悠たちの横を悲鳴を上げながら女子生徒府二人が通り過ぎ、濃霧の中へ消えるが、すぐに悲鳴が途切れた。霧に消音能力があるのだと祈らずにはいられなかった。
「あっぼ、あんちょ、お、おがっ、おがって」
後ろからは新たな獲物を求め、カオナシが突進してくる。悠たち以外の生き残りの生徒も、逃げ出したいが、目の前に広がる濃霧を前に二の足を踏んでいる。
このままでは全滅は時間の問題だ。悠は、
「先生、スキルを使うので、その瞬間に――」
「ああ、みなまで言うな。分かっている」
片膝立ちになり霧の先に狙いを定める藤堂に頷くと、悠は腰から拳銃を取り出した。
それを霧へと向けると、
「『遮断』!」
放たれた弾丸が霧に触れた直後、吹き飛ぶように霧が払われた。
「~~~~!?」
千切れた霧の残滓の中で、鼻唄の主の驚く気配が伝わった。
「ッ!」
それと同時に藤堂が引き金を引く。弾速を上げる操作をしたのか、銃撃は音さえも置き去りにして着弾する。
「とんだ逃げ足だな……!」
遅れて銃声音が聞こえたときには、そこにはもう霧も怪物もいなかった。
ただ、壁には一筋の新しい血痕だけが残っていた。
「今のうちだ、行け!」
藤堂が言葉とともに、天井に向けてもう一度引き金を引いた。
短い破裂音の後、悠と他の生徒たちはあることに気づく。
音が、一切聞こえなくなったのだ。
何事かと顔を見合わせる生徒たちの中で、藤堂がジェスチャーで廊下を走れと促す。それでこの無音の空間の正体が藤堂の魔弾によるものだと合点がいった。
促されるまま、悠たりは廊下を走り出した。隣を走る生徒の息遣いも、足音さえも聞こえない。その中で悠は一度だけ後ろを振り返ると――
「……!」
廊下の真ん中で立ち尽くすカオナシの姿があった。石像のように身じろぎ一つせず、先ほどまでの暴れっぷりが嘘のようだ。それで、ここまでのカオナシの行動からその理由に合点がいった。
奴は、音に反応して襲っていたんだ。
初めに奴を見た時に襲われていた女子生徒、そして先ほど襲われた男子生徒、そのどちらも大声を出していたことが特徴だった。だからそれを理解した藤堂は、魔弾によって音の届かない空間を作ったのだ。
やっぱり藤堂先生はすごい。単純な戦闘能力だけでなく、どんな窮地でも冷静さを失わずに行動している。
悠は前に向き直ると、そのまま二階へと続く階段を下っていった。
Side 昂哉
「一筋縄にはいかないものだね」
チセを通じて彼らが逃れる光景を目視した僕は言った。
それを不思議そうにチセが見てくる。
「あまり驚いていないようだな」
「そりゃ、相手は強力なスキルを持った生徒たち、魔法師のテロリスト、おまけに歴戦の猛者である教員たちだからね。そう簡単に上手く事が運ぶとは思っていなかったけど……彼は少し、厄介かもしれないな」
「彼、とは“ジャック”の『霧の殺戮』を破った生徒か?」
「佐藤悠。回数制限はあるが、着弾した対象のスキル・魔法を無効にする『遮断の魔弾』を生成する能力を持つ生徒だ。“アルミラージ”を使って押しつぶすのが手っ取り早いのだけれど、向こうものこのこ外に出てくるはずもないし……」
彼の魔弾は他者も使えるため、学校では、主に後方支援としての認識が強かったため、“あのとき”も悠ではなくクトリを優先的に殺すようマーガレットに命令していたのだ。早速自分の詰めの甘さが露呈して嫌になるな。
「まあ泣き言も言ってられないか。彼らが逃げた二階の状況は?」
「ジャックが一暴れした後だからな。生徒自体も三階から逃げ延びた者以外はほとんど残っていないだろう。ジャックの受けた傷は小さいし、カオナシももう動ける状態だが、あの女教師がいてはほぼ役に立たんぞ?」
「まあハマれば無敵だが、その分癖の強い駒だからな」
もとより、カオナシで校舎内を掃討するのは無理があると分かっている。だからこそ、初見で藤堂を倒せなかったのは痛手だったのだが、過去を悔やんでいてもしょうがない。
「しかし、そうなると余計有効打がないのではないか? 使える駒は実質ジャックだけ。しかも、スキル『霧の殺戮』は封じられているのだぞ? いくら戦闘能力の高いジャックでも、一人であの量を相手にするのは」
「なら戦力を増やせばいいだけだよ」
「増やすって……、言っておくが、外にいるアルミラージは使えな……まさか」
立ち上がった僕を見て、チセは目を見開いた。
「僕も今はその眷属、とやらなんだろ?」
「“お前自身が”出るのか。盤上の、駒として」
将棋には入玉、というものがある。
相手の陣地の最奥まで敵の玉が到達すれば、その玉はほぼ詰むことはない。
なにもキングが攻めに転じるケースだって少なからず存在するのだ。ましてや、これでキングが相応の戦闘能力を有しているなら……。
「チセ。最後にもう一度僕の能力を確認してもいいかな――」
読んでいただきありがとうございます。