目覚め
「は? いや、ちょっと待ってくれ、状況が……」
「なんだ? まさかここまで来て臆病風に吹かれた、なんてことは言わないでくれよ」
女が悪戯っぽく微笑む。その一挙一動が艶麗で、こんな状況でもなければ見惚れてしまっていたかもしれない。
しかし、だからこそ、彼女の腰の部分から生える墨色の、いかにも悪魔、と言った尻尾が異様だった。
「ああ、これが気になるのか? まあ、これがなければ私の場合は人間と大して見た目が変わらないからな。チャームポイントだと思って赦せよ」
「いや……いや、そうじゃなくて、これは一体どういう状況なんだ? 僕は死んだんじゃないのか?」
やっと、自分の中にある疑問を口にすることができた。
女……の悪魔は一瞬キョトン、とすると、
「ああ、まだ記憶が混乱しているのか」
納得したように手を叩いた。
「悪いが、あの出来事を一から説明してやるほど時間がないんだが・……お前は、最後の死ぬ間際、何を思っていたと思う?」
「何をって……」
それはおかしな質問だった。まるで、僕のことを僕よりも知っており、それを自明だと言わんばかりの雰囲気があった。
「そりゃ……、こんなところでいきなり死ぬとは思わなかったけど……ただ……」
「ただ?」
「……もう同じ地球からの異世界転移者たちを魔族との戦いに送らなくてもいいんだ、って」
この異世界において魔族との戦いは苛烈だ。
特に、亜人と呼ばれる種族は、数が人類の数十倍は多いうえに残忍で欲望に忠実だということは有名だった。戦いの最中、亜人の巣に連れ去られた人間がどんな酷い目に遭うのかはこの国の教科書ですら詳しく記述できないほどだった。
そして、そんな亜人含む魔族と最前線で戦うのが、異世界から転移させられた僕達だった。僕たちは、転生した際に『スキル』と呼ばれる超常の力を与えられ、それを駆使して魔族と戦うのだが、まずこの世界の理すら知らないままでは、ロクに戦うことすらできない。だから、その前に最低限の常識、そして戦闘訓練を行う場所こそ、僕が務めていた勇者育成学校だったのだ。
そして、異世界転移したとき、何故か僕だけは『スキル』の恩恵を授かることができなかった。ここからは僕の勝手な推察だが、おそらく転移者は全て中学生や高校生など学生だったのだが、何の手違いか、当時高校の教員をしていた僕も異世界へと飛ばされ、年齢の制約か何かで『スキル』が発現しなかったのだと思う。
無論、転移直後に役立たずとして殺されてもおかしくないような状況だったのだが、幸い頭脳だけは秀でていたため、勇者育成学校の教員として、今まで三年間務めてきたのだ。
「……その重荷からやっと解放されたんだ。死んだのは残念だが、少し肩の荷が下りた気がするよ」
そう言って僕は息を吐いた。うん、満足だ、未練はない――
「……ふふっ、ふはははは、やはりお前は見込んだ通りの人間だった」
しかし、僕の言葉に悪魔は上機嫌に笑った。
「何がおかしいんですか」
「お前のその態度だよ。異世界へと転生するが、異能が発現せず、生徒には見下され、あまつさえ最後にはあんなあっけない幕切れだったお前が、何を満ち足りた顔で……あははははは!」
「……」
美しい顔で笑う彼女。今の僕にとって、それはただ不快なものでしかなかった。
「――その顔だよ。私の求めるお前の本当の顔は」
「ッ」
いつの間にか、悪魔の美貌が目と鼻の先にあった。
反射的に顔を背けようとするが、彼女の吸い込まれそうな琥珀色の瞳から目が離せない。
「お前は確かに生徒を愛していた・・・・・・いや、今も愛している。こちらの世界にきてから、あれだけ生徒たちから見下され、嘲笑され、それでもお前は生徒を愛し続けた。だが、普通ありえるか? どんな教育者とて人の子だ。だが、お前はその点でいうとすでに人ではなかったのかもしれないな」
なぜだろう。彼女の話に僕は腹を立てるべきはずなのに、思わず聞き入ってしまう。
なぜか、自分が今までずっと探していた答えを持っているような気がしてならないのだ。
「……なにが、言いたいのかな」
「ふん、頭のキレるお前ならもう分かっているだろう。――――お前は既に、人間として生きていたあのときから狂ってたんだよ。苛烈、異常と言えるまでの生徒愛。だからこそ、あのとき私はお前を見つけることができた」
「見つけた?」
「念だよ。それも悪魔である私をも飛び上がるほどに強烈なものだ」
悪魔を自称した彼女は、
「お前は死する前、確かに生徒を死地へ送りこむことがなくなったころに安堵した。だが、直後にこうも思ったはずだ。『いや、俺が死んだところで、これからも転生してくる子どもたちが魔族と戦わされることには変わりない。この悲劇を止める方法はなにかないだろうか』、と」
「…………」
「同時に今の状況を考えた。転移者に反旗を翻し、自分たちこそが前線に立って戦うという愛国主義のテロリスト。そして自分の力を過信し、周りを見下す生徒。ここにどんな要素が加われば、自分の理想通りに事が進むだろう?」
「…………」
「そこで私の出番だというわけだ。いや、正確には私がお前のような人間を待っていたのだがな。まあいい。ここからが本題だ――お前に力と、眷属を与える。無論、この私とてその眷属の一柱となろう……その代わり、契約を果たせ、葉村昂哉」
「契約……」
「こう言い換えるか? 『ここにいる生徒たちをおっ前が思っているとおりに救え』。今、お前の考えている目的とは一致しているだろう」
僕は息を呑んだ。どういうわけか彼女には僕の考えが全て見透かされているようだった。
「……仕方ありませんね」
ならば取り繕う必要もない。認めよう、僕にはまだ未練が残っている。それは――
「その契約、受けましょう」
「ふふっ、それでいい」
いつも心のどこかで燻ぶっていたものに、ようやく火が点いたようだった。
僕の答えに満足そうにうなずいた悪魔に話しかける。
「あなたのお名前は?」
自分の喉から出たのは、聞いたこともないようなほど冷たく、無機質な声音だった。
そうだ、これから行う行為に人間味はいらない、邪魔だ。下手に手心を加えてしまっては、逆に彼らを苦しませることになってしまう。僕は生徒のために、あえて怪物にならなければならないのだ――
「わたしの名前か? そうだな……チセと名乗っておこう」
悪魔――チセの言葉には含みがあったが、彼女の名前を聞いたのは、あくまでこれから行う計画を進めるうえで、名前がなければ指示を出しづらいからというだけだ。他に理由があろうと関係ない。
僕は生徒のことを第一に考えて行動する。その過程で他がどうなろうと知ったことではない。彼らを救う。だって、僕は彼らの教師なのだから。
「それじゃあチセ、始めようか――――救済を」
次回生徒視点に変わります。