エピローグ
〈剣の峠〉は北方とファランティア王国をつなぐ唯一の道として古くから知られている。人の往来は多くないが確実にあって、獲物を取り合う賊たちは山中に居を構えて縄張り争いに明け暮れていた。その名の由来はもちろん物騒な意味だが、実際には襲われた旅人よりも、山賊間の抗争で振るわれた剣と流された血のほうが多いだろう。
「おっせーぞ、ビョルン! のろのろしてんじゃねえ! 獲物が行っちまうだろうがっ!」
「すんません!」
間髪入れずに謝る。ほんの一瞬でも反抗の意思を示せば、せっかく手に入れたこの居場所を追い出されてしまうかもしれない。怒鳴ったのはこの山賊団のリーダーでホルガという中年男だ。黄色い髪も髭も伸び放題の、いかにも山賊というむさくるしい風貌の荒くれ者だが最悪な部類の人間ではない……おそらくは。他の仲間も似たり寄ったりで、ビョルンから見れば父親ほどの年齢だが、略奪品だとしてもまともな服を着ているだけましだった。大人用の剣を抱え直し、山中の道なき道を必死について行く。
つい先ほどまで、ビョルンはこの山賊団のアジトで給仕をしていた。新入りが食事にありつけるのは一番後だ。〈剣の峠〉に近い山中にあり、幅広く奥行きの浅い洞窟は集会場として共用され、外には幹部たちの小屋、下っ端たちが雑魚寝する天幕、山賊稼業だけでは賄えない食事のための畑などがある。裏の小川では毎日魚を獲っているし、罠を仕掛けて狩りもしていた。獣におびえながら森の中を彷徨う暮らしよりずっと人間らしいまともな生活で、仲間に入れてもらった時は、どうしてもっと早くここへ来なかったのかと後悔したほどだった。
ホルガの差し出すファランティア王国製の見事な銀杯にワインを注いでいた時だ。洞窟の入口に仲間の一人が駆け込んで来た。「ホルガ! 誰かが峠道をやって来る!」
「何人だ?」
「二人だ。北方から来る。でかい荷物を背負ってるぞ」
獲物としてはあまり魅力的とは言えないが、ここしばらくご無沙汰だったホルガは手を出すことに決めたらしい。ワインを飲み干し、大切な銀杯を手に立ち上がる。「よし、軽く小遣い稼ぎでもするか。全員で行くこたぁねぇ。えーと……」と、同行者を六人指名して、最後にちらりとビョルンを見た。
「そんな顔すんな、新入り。おめぇも付いて来い。使えるか見てやる」
「はいっ!」
――というわけで、さっそくアジトを出発した山賊たちは、さすがに自分たちの縄張りを良く知っていた。獣道とさえ呼べない険しい山中を抜けて、獲物を先回りする。そこは峠道でも比較的緩やかな場所だった。山賊たちは手慣れたもので、山側に二人の射手が、谷側に剣を持った身軽な仲間が潜み、道沿いの岩陰にホルガともう一人が隠れる。最後にやっと付いてきたビョルンは指示を待たず谷側の仲間に加わった。これ以上どんくさいヤツと思われたくない。
これから起きる出来事とは無関係な小鳥がチュンチュンとさえずり、遠くで鷹が笛の音を鳴らす。二匹のリスが木の幹を上下に行き来した。真夏の暑さも和らぎ始めた長閑な正午過ぎ。緊張はするが、動悸が激しくなるほどではない。しかしビョルンは何となく不吉な予感がしていた。こういうことが前にもあったような気がする。
二人組の足音がビョルンたちの潜んでいる場所を通り過ぎて、立ち止まった。それを合図に仲間たちが道の上に登っていったのでビョルンも後を追う。峠道に飛び出すと、二人組の進路にホルガともう一人の仲間が立ちはだかっていた。背後はビョルンたちが塞いでいるし、二人の射手も姿を見せて弓を引いている。誰かが血を流す前に降伏する状況だろう、普通なら。灰色のローブを被った長身の男は牛馬が担ぐような大きな荷物を背負っていて、たった二人にしてはいい獲物に思える。もう一人もフードを被っているが小柄で、覗くブーツの足首は細い。まるで少女のように。
ホルガは剣の腹で肩を叩きながら凄みのある笑みを浮かべて旅人に近寄った。「おうおうおう、たった二人で俺たちの縄張りを黙って抜けようなんざ、いい度胸じゃねぇか。しかしまぁ、今日の俺様は機嫌がいい。通行料を払えば命だけは助けてやる」
お決まりの文句に、二人組はうんともすんとも返さない。おや、という雰囲気が山賊側に生じる。
「おいこら、聞いてんのかよ。舐めた態度取ってっとぉ、命ごといただいちまうぞ、こら」
ホルガが剣先を小柄なほうに突き付けた瞬間、外套の下からほっそりした腕が現れて剣の腹をぱんと弾き、掌底がホルガの顔面に叩きこまれた。一瞬の早業。ホルガの鼻が上向きに潰され、どぼっと鮮血が溢れ出す。
「ほがぁ!」間抜けにも聞こえる苦痛の声を漏らしてホルガは鼻を押さえた。山賊たちは息巻いて構えた武器を持ち上げ、射手が矢を放つ。狙いは正しく二人組を捉えていたが、長身の男にはスッと身体を斜めにしただけでかわされ、小柄な女――ビョルンはもう確信している――には胸の前で手掴みされた。びぃんと震える矢を見ながら、山賊たちは目を剥く。至近距離で放たれた矢を掴んで止めるなど人間業ではない。しかし、ここでたった二人に返り討ちされたとなれば他の山賊に示しがつかない。舐められる。今のアジトも奪われる。引くに引けない。ホルガは落とした剣を拾って下から斬りつけようとしたが、その前にビョルンは叫んだ。
「ちょっと待ったぁ!」
武器を捨てて駆け出し、ホルガと二人組の間に分け入る。「すみませんでした、姉さん! どうか見逃しておくんなまし!」地面に両手を突いて頭を下げ、「ようやくまともな生活ができてるんですよぉ」ちらと見上げる。
「はぁぁぁ」と盛大にため息を吐いてフードを背中に落としたカティヤは、赤毛をくしゃくしゃと掻き、「あんた、またなの……」と呆れ顔。
ビョルンは愛想笑いを浮かべた。「えへへ。二度ある事は三度ある、って言いますし……」
「ドラゴンの慈悲も三度まで、とも言うね」冷たい目をしてカティヤが言い放つ。
ひとまずホルガは鼻を押さえたままそろりそろりと後退した。「新入り、ほめぇの知り合いなら……まあそのなんだ……い、命だけは助けてやってもいいぞ……」
「あっ、お、お頭……そういう言い方するとこの人マジで殺りに来ますよ……」
慌てて振り向いたビョルンの真剣な忠告に、ホルガは気色ばむ。突然カティヤは目にも留まらぬ速さで剣を抜いて投げた。空気を裂いて、ホルガたちが隠れていた岩に突き刺さり縦に亀裂を走らせる。「ほげっ?」と振り向いたホルガはそれを見てみるみる顔面蒼白になった。
『戻れ、竜剣』
ずりり、と岩から剣が引き抜かれ、カティヤの手に戻る。ビョルンは目を丸くした。「え? い、今の魔法?」
「あれ? あんた気付いてなかったの。そういや名前も言ってなかったか。あたしはカティヤ。こっちはファーンヴァース。ファランティアの白竜騎士って知ってる?」
山賊たちは完全に戦意を喪失した。ビョルンもへなへなと腰を下ろしたまま女竜騎士を見上げる。
「今日は機嫌がいいから許してやる。あー、それとついでに忠告もしてあげる。スケイトルムのエイリーク、アルトレイムのエドヴァルド、エイクリムのアスガル、それからアードリグのヨルゲンが同盟を結んだ。自領内を平定するのがやつらの目的。いつまでもこんな事してると次は四王の軍を相手にするはめになるよ」しっし、とカティヤは手を払った。「わかったら、ほら、さっさと消えな。他の山賊どもにも教えてやんなさい」
「ほ、ほげぇ……ありがほうごぜいます」鼻を押さえたままホルガはへこへこ頭を下げ、手下には勇ましく「おいっ、野郎ども、引き上げっぞ!」と命じた。射手は弓を下し、他の山賊も山中に戻っていく。
「ちょっと待った」カティヤが呼び止めた。「その子は置いていって」しっかりとビョルンを指している。
ビョルンはホルガを見上げた。目が合う。嫌々、と表情で訴えたが山賊の頭領は無慈悲な目でビョルンの背中を押し出した。
「ええっ、ちょっ、お頭!?」
「すまねぇな、新入り……でも、皆さんのために命張りますって言ってたもんな、おまへ」
「いやっ、それはこういうことでは……いやいや、あっ、待って」
去って行く山賊たち。追おうとしたビョルンは背後から襟を掴まれる。振り返ると赤毛の女竜騎士が恐ろしげにニヤリと笑った。「ドラゴンの慈悲も三度まで。こうなったら、意地でもあんたをまともな仕事に就かせてやる」
「あのっ、本当にごめんなさい、姉さん! 今度こそまともな仕事を探しますので……ああっ、やめて、いやぁぁぁ」
〈剣の峠〉に少年の悲鳴が響き渡る。山賊たちはすごすごと退散して山中に消え、カティヤとファーンヴァースはビョルンを引きずって来た道を引き返して行った。
北方へと。
【完】
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