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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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72.灯火

 カティヤの祈りが届いたか、いや、彼ら自身の選択と意志と努力の結果だろう。ドルイドたちは追手よりも先にカティヤとファーンヴァース、そしてドワーフのギブリムが待つ三叉路へ辿り着いた。胸の中に抑え込んでいた気持ちが涙となって溢れてきそうになり、カティヤはぐっとこらえる。先頭で手を振る笑顔のフィニに涙など見せられない。


「なんだかずいぶん久しぶりのような気がするな」目の前まで来てフィニは手を差し出した。カティヤはその手を掴んで引き寄せ、軽く抱擁する。「そう? あたしはそうでもない」その強がりをファーンヴァースは当然としてフィニは勘付いただろうか。「アウラとエリアスは?」


「最後尾にいるよ」


 ドルイドの行列はざっと見て三〇〇人近い。ドルイドらしくない服装の騎馬も三〇頭いる。そんな長い行列の先にアウラとエリアスの姿があった。すぐさま駆けつけて抱きしめたいが、たぶん今はその時ではない。


「フィニ、あの人たちは何者?」


「歩きながら話そう。連中が迫ってる。君のほうも……うまく行ったみたいだしな」フィニはカティヤの隣にむっつりと立つドワーフを見て言った。


 ドワーフは胸を張って赤銅色の髭を引っ張り、ふんと鼻を鳴らす。「ギブリム・バン・ドスクスだ。ギブリムと呼んで欲しい。フレスミルへ入る前に諸君らドルイドの正確な人数と男女比、年齢層、家畜の種類と数を教えていただきたい」


 フィニは面食らってあんぐりと口を開け、カティヤは肩をすくめた。「ギブリムさん、たぶん彼らはそういうのちゃんと数えてないよ。歩きながら確認できない?」


「なんと、記録をつけていない? うむむ、よろしい。何とかしましょう。では、私に付いてきてくだされ」


 ドワーフの後ろをフィニとカティヤは並んで歩いた。さらにぞろぞろとドルイドたちが続き、山道を上って行く。その行列はエイクリムからでも見えただろう。このまま道沿いに進めば北方に侵入を企てるオークとの主戦場、〈黒の門〉と呼ばれる峠に辿り着くが、その手前で山中に入るとカティヤは知っている。


「実はエリアスが人数を数えて記録を付けたほうがいいって言ったことあるんだ」とフィニ。


「そうなの? ドワーフと気が合うかもね」


「いや、アルダー地方に入ってから合流したドルイドの中に盗賊が紛れててさ。それで……」


 歩きながら二人は別れて以降のそれぞれを語り合った。愉快な出来事ばかりではなかったが、会話は弾んだ。それは単に逃げ切れたという安心感だけでなく、目前に迫った最後の別れとその後の困難を少しの間考えないようにしていたかったからだった。


 山道を外れて本格的な山登りになってくるとさすがに強行軍はできず、休憩を入れて疲労を誤魔化しながら先へ進んだ。討伐軍が追って来ている様子はないが、山中は安全とは言えない。白く雪を被った〈世界の果て山脈〉へと向かって行くのは精神的にも厳しかっただろう。あと少し、あと少し、というカティヤの声に引っ張られて、ついにドルイドたちはフレスミルに到達したのだった。


 ドルイドたちは入口の洞窟に一時待機させられ、土を潜ってフレスミル内部に入ってもそこで留め置かれた。待機期間は三日。このホールから出てはならぬとギブリム・バン・ドスクスは言ったが、見知らぬドワーフの地下都市を探検しようなどという余裕のある者は誰一人いなかった。次の旅に向けて、骨まで染みついた疲労を少しでも回復させる必要があったからだ。ドワーフたちは身体を洗うための道具――滑らかな金属製の先端の垢すり棒――や水や石鹸、飲食までも提供し、ホールの隅で用を足そうとしたドルイドを見つけて慌てて便所の使い方も教えた。


 この三日間をカティヤは主にアウラと過ごした。再会してからこれまで思い出話をする余裕なんてほとんど無かったなと今さらながら思う。時にはフィニやエリアスも交えて子供の頃の話ばかりして笑った。当時は人生最大の問題だったつまらない喧嘩や、間抜けな失敗や、今でも絶対に自分たちは間違っていないと主張できる理不尽な大人の説教やら。そういうのは育った環境の全く違うフィニやエリアスにもあるのだった。


 エリアスは元〈灰色狼〉のトリスタンやギブリム・バン・ドスクス、ファーンヴァースともよく話した。そういう時の彼は、自分のなすべきことを見つけた大人の顔をしている。少しでも役に立つ知識を吸収しようとしているのだろう。もし彼を手元に置いていれば立派な跡継ぎになったかもしれないのに、ヨルゲンは馬鹿だ、とカティヤは思った。しかし運命がどのように人生を翻弄するかなんて誰にもわからない。どんな嵐が来ても大丈夫だと思っていた竜騎士にも、ドラゴンにだって、それは起こり得るのだから。


 きっちり三日後にギブリム・バン・ドスクスは人間たちを率いて出発した。継ぎ目のない不自然な石壁と地下通路はそれだけでも珍しいものだが、長い螺旋階段を下りた先の、ドワーフが第一区画中層と呼ぶ場所はけた違いに驚異的だった。半マイルにも及ぶ暗黒の地溝にかかる大アーチ橋。広大な地下空間に作られた石造りの街と、その中を巡る歩道橋。そこかしこに立つ立像はまるで生きているかのようで、特に天井まで到達しようかという巨大なドワーフ像は圧巻。光を通すガラスの管やごうごうと回り続ける風車にどんな意味があるのか想像するだけでも楽しめる。働くドワーフたちも手を止めて、自分たちの街を歩く人間の行列を眺めた。彫像のようにじっと見つめるドワーフは不気味だが実際のところ彼らはどう感じているのだろう。必死だったからあまり考えなかったけれど、こちらの都合を押し付ける形になってしまったなとカティヤは申し訳なく思った。この犠牲がもたらす次の一〇年、自分に何ができるのか。


 第一区画中層の町はずれでドワーフは人間たちに防寒具の着用を指示した。真冬の寒さだと言われても、地下都市は暑くもなく寒くもなかったので実感がわかない。去年の冬を思い出してみても、それはもう想像の域を出なかった。作業場の上を渡る最後の歩道橋を越えると石造りの道は暗闇に消えている。その先に行く者はドワーフでさえほとんどいないのだ。空気はしんと冷えて、床や壁は触れると冷たく、冬の日のスケロイ島の岩山を思い起こさせる。松明や魔法の明かりを頼りに静謐なる暗闇を進んでいくと、通路の先に、ぽっ、と明かりが生まれた。ドワーフが二人、松明を手にして待っている。その灯りが照らす壁にはきっと素晴らしいに違いない彫刻が施されていたが、全体が見えるほどの光量はなかった。


「到着しました」ギブリム・バン・ドスクスが宣言する。


 そこは行き止まりの壁ではなく、巨大な石の門だった。二〇人分くらいの幅があって、松明の光が届かないほどの高さがある。二人のドワーフにこの門が開けられるとは到底思えないが、彼の言葉を疑う必要もない。


 〈極北の地〉へと続く門を見上げていると、アウラが手を握ってきた。「カティヤ」松明に照らされた彼女の髪は黄金の川のように流れ、瞳は夜明け前の海の色をしている。「ありがとう、わたし……ううん、わたしたち、離れてもずっと一緒だよね」アウラは首飾りを持ち上げて桃色の可愛らしい貝殻を揺らした。別れの言葉は何度も頭の中で繰り返したのに、ここに至って大した言葉は出て来ず、「うん」とうなずいて貝殻を優しく手に取ったのみだった。カティヤは自分の貝殻を合わせて両手でやさしく包み、祈る。


「どうか、『この首飾りが永遠にわたしたちを繋いでくれますように』」


 心の中でファーンヴァースが竜語を重ねた。それは魔法となってカティヤを介し、二つの貝殻に影響する。驚いてカティヤが振り向くと、ファーンヴァースはいつもの無表情で、しかし微かにうなずいた。


「カティヤ?」


「……ううん、なんでもない。さ、あまり皆を待たせても悪いから。上着を着て」


「そうだね。もう行かなくちゃ」


 最後にもう一度だけと抱擁を交わしながら、カティヤは後ろに控えているエリアスに向けて言った。「アウラのこと、大事にしてね」


「もちろん。二度と離したりしない。本当にありがとう、カティヤ。あなたがいなかったら僕たちはここまで来られなかった」


「そうかもね。だけどほとんどは自分の力だってことを忘れないでいて」


「うん。忘れないよ」


 カティヤはアウラと離れた。彼女はうなずき、エリアスから上着を受け取って袖を通す。その間にすっかり冬支度の済んだフィニへ、カティヤは手を差し出した。「フィニも。頼んだよ?」


 彼はがっちりと握り返す。「任せておけよ」それから珍しく、少し言いにくそうに言葉を継いだ。「あのさ、カティヤ。その……初めて会った時から何だかぎくしゃくしてたけど俺、君のこと結構気に入ってたんだ」


 カティヤは微笑んだ。「実を言うと、あたしも。結構あんたのこと気に入ってたよ」


 フィニの瞳が揺らめく。彼は本当のことを言っているが、思ったまま全てを話しているわけではないとカティヤにもわかった。ひどく控えめな表現だと。しかしこれが彼の選んだ別れの言葉で、彼は最後まで涙をこぼさなかった。


 四人で過ごした短い夏の日々、あの穏やかな旅が思い出される。四人一緒ならどこまでも行けそうな気がした。たとえ何も無い極寒の地であっても進んでいけるだろう、と。しかしカティヤはもう、己の心だけに従って生きられるような子供ではなくなってしまった。だから彼女にできたのはただ、万感の思いを込めて、フィニの手を強く握り返すことだけだった。


 ギブリム・バン・ドスクスの合図で二人のドワーフは丸い輪を掴んで回す。ごんごん、と壁の中で音が響き、ごごん、ごごん、と巨大な扉が開き始めた。差し込んでくるのは真っ白な光。真冬の冷気が吹き込んできて吐く息がきらきらと輝く。ひさしぶりの外光で目が眩んだかと思いきや、〈極北の地〉は本当にただ白いだけの平らで何もない大地だった。それでもドルイドたちは、カティヤとファーンヴァースに礼を言いながら外へ出て行った。その中には手を繋いだアウラとエリアスもいて、最後に手を振る二人へ、カティヤも手を振り返す。これが最後だなんて――そう思うと涙が出そうになった。やはり一緒に行くべきだと強く思う。しかしファーンヴァースには自分が必要だし、こんな運命を知っていたわけではなかったけれど、竜騎士になると決めたのは自分なのだ。


 去り際にフィニが振り返った。「あ、カティヤ。最後にもう一ついいかな」


「うん。なに?」


「後で〈大樹〉に寄って、ドラゴンの炎で焼き尽くして欲しいんだ」


「え、でも……」


「だいじょうぶだよ。もうそこにコランはいない……いないんだ」


「そっか……わかった。うん」


 フィニは前を向いて歩き出した。ドルイドの最後の集団と一緒に外へ出る。低音を響かせて門が閉まっていき、〈極北の地〉が細い一筋の白線になって、ついに消えた。ドワーフの門は閉ざされた。開くことはもう二度とないかのように。


 翌日、フレスミルの入口がある尾根から純白のドラゴンは空へと舞い上がった。風に乗ってしゅーっと山を下る。はばたいて高度を維持し、エイクリム上空を通り過ぎた。眼下の山道入口には大きな野営地が出来ていて、そこにいる討伐軍の男たちはドラゴンを見上げて動揺している。その様に少しの満足感を得てカティヤとファーンヴァースは南へ飛んだ。


 ゴルダー河の中州で休息をして、森の上を飛び、川原で寝て、また森を飛ぶ。緑の海原に浮かぶ島のように大樹の頭が見えてきたが、地上に降りて調べるまでもなく、その根元は黒く焼け焦げて幹も枝葉もゆるゆると死にゆくのがわかった。カティヤとファーンヴァースは慈悲を示して大樹を完全に焼き尽くした。


 そして、純白のドラゴンと竜騎士はさらに南へと飛んで行った。


 *****


「自分の目で見ないと、本当のことは何もわからないものだな……」と、隣でエリアスが呟いた。ドワーフの門の先は〈世界の果て山脈〉北側の山裾で、少し高い位置にあるから〈極北の地〉が一望できる。そこには本当に何も無かった。まるで天地を創造した神々が手を加え忘れたかのようだった。白く凍った大地が地平の果てまで続き、のっぺりと平坦で森も山も何も無い。唯一、左前方に飛び出た部分があるが、それが数フィート程度のでっぱりなのか大きな石なのか、それとも岩山なのかは比較対象が無くて把握できない。空の青と大地の白。たった二色の世界。


 地下都市で温まっていた身体もすぐに冷えてきた。呼吸のたびに冷気が体内から暖気を追い出していくようだ。繋いだ手と寄せ合う身体から伝わるエリアスの温かさに、アウラはひどく救われていた。自分一人ではあっという間に凍り付いてしまいそうな、こんな世界があるなんて。


 〈極北の地〉に目を奪われたまま、エリアスの吐息が白くたなびく。「僕らにとって、ここからが本当の始まりだ。きっと今までの苦労なんて全然大したものじゃなかったって思えるほど大変だろうけど、でもこれが――」


「僕の選んだ人生だから」

「わたしの選んだ人生だから」


 意図せず二人の声は合わさった。エリアスは少し驚いたような顔をして、それから素敵に微笑んだ。まるで暗闇の中で見つけた灯火のよう。だからアウラも彼にとってそうであるようにと微笑みを返し、二人はさらに北へと、かつてドルイドと呼ばれた民とともに山裾を下って行った。


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