61.別れ道(2)
ドルイドたちはそれから半日ほど北上を続け、夕食と睡眠のために停止した。アウラは志願者を募って見張りの立ち位置と交代順を定め、自身もその一人として立った。決められた範囲内に集められて夕食をとるドルイドたちはいつにも増して静かで、どこか落ち着かない雰囲気を漂わせている。ファードルたち離脱者の話が広まったためか、家族以外の大勢と食事することに慣れていないためか。
アウラの記憶には家族だけの食事風景などほとんどない。食事の席には船長や農場主などの有力者や従士、時には旅の商人やら吟遊詩人やらが招かれていた。客はそのまま宿泊していくから、家の中はいつも他人がいて当たり前で、家も食事も他人と共有するものだと思っていた。だからといって、家族だけでつつましく食事するドルイドが変だと言う気はない。むしろそれは望んでも得られないものだったから、大切にしたい気持ちはよくわかる。いつかまた、そんな時間を作ってやりたいと思うが、今はそのような状況ではない。
夕食が終わり、薄暗い森の中にぼんやりとした魔法の明かりが灯る頃、アウラは役目を終えてエリアスのもとに戻った。彼は木に背を預けて六尺棒を抱え、ドルイドの集団を眺めていたがアウラに気付くと立ち上がり、目配せで誘う。少し離れた大きなマツの木の下で、アウラは彼に追いついた。手を引かれて軽い口づけを交わし、痩せた胸に額を当てて命の鼓動を感じていると、彼はぽつりと言った。
「……僕も明日、彼らと一緒に行く」
驚いて胸から顔を離し、すぐに冗談だと気付いて肩を揺らす。「ふふっ、あなたもそんなこと言うんだ」
「アウラ、僕は真剣に話している」
薄暗い森の中でも白夜ならわかる。彼は深刻な表情をしていた。冗談ではない……としたら、何だというのだろう。アウラの笑顔は困惑して凍り付いた。
「極北には行かないってこと?」
「そうじゃない」
「キアン老やセンナ老みたいに、今度は自分が犠牲になろうと思ってるの?」
「思ってないよ」
意味がわからず、混乱して、アウラは頭を左右に振った。
「わたしとは一緒にいられないってこと?」
「違うよ」
「じゃあ! 何だってのよ!」
堆積していた鬱憤が爆発して、エリアスの襟元を掴んだアウラは力任せに引っ張った。そのまま太いマツの幹に叩きつけてやろうとしたが、エリアスが手首を掴んで抵抗したために体勢を崩して倒れ込む。とっさにエリアスがアウラを抱きかかえ、二人は地面の上をごろごろと転がり、二本のマツの間にできた窪みへどさりと落ちた。最後にもう一回転して、彼が上になって止まる。
予想外の出来事に驚いてアウラは目をぱちくりさせた。落ち着くにつれて、身体の数ヵ所がじんわりと痛みだしたが深刻なものではない。落ちた場所の土が柔らかかったおかげだ。薄暗い森の中でも窪地の底は闇が溜まっているかのように暗く、エリアスの表情も見えなかった。息づかいと真剣な声だけが聞こえる。
「聞いてくれ、アウラ。ファードルが言った理由は本当だと思う。でも彼はもう一つの理由を言わなかった。君が〝群れから脱落した獲物は狙われる〟って言った時、彼は〝覚悟のうえだ〟と答えた。たぶん、囮になるつもりなんだ。犠牲になろうとしているのは彼らだよ。〝守護者がそうしたように〟とも言っていただろう」
「……売り言葉に買い言葉ってやつじゃないの?」
「ファードルの性格からしてそれは無い。わかるだろ?」
ファードルは初めて会った時から真実を――自分にとっての真実を――口にしてきた。駆け引きや回りくどい言い方はしない。癪だが、その点では真摯な人間と言わざるを得ない。
「でも、だから何なの。どうしてあなたが一緒に行くってなるわけ?」
「極北には君と一緒に行くつもりだ。何があっても。だけど、キアン老やセンナ老たちのことがずっと頭から離れなくて……正直言って後悔してるんだ。もっと別の方法があったんじゃないかって。今になって思い付くことがたくさんあるんだよ。君は以前に言ったよね、〝最後の瞬間まで後悔しない、意地でも〟って。あの言葉は今でもずっと僕の胸の中にあって勇気づけてくれる。僕も意地を通したいんだ、今度は」
「なら、計画があるんだね?」
「……残念ながらまだ何も。だけど説得は諦めない。説得し続けて一人でも多く……たとえ一人だけでも、連れ戻すつもりだ」
無駄と知りつつ、アウラは言った。「じゃあ……わたしも一緒に行く」
「駄目だよ。フィニだけでこの集団を率いていくのは無理だ。僕だけでも。けど、君にならできる。君は皆が先へ進むために必要な――」
「そんな理屈! わたしの気持ちは!? わたしには――」
――あなたしかいないのに。
――あなたが必要なのに。
たくさんの想いが溢れて喉に詰まり、言葉にならない。
――わたしを一人にするつもりなの。それで平気なの。
――わたしを、本当は、愛してないの。
暗闇の中でもエリアスの温もりは確かに感じられる。なのに、ひどく孤独だった。裏切られた気分だった。以前は父様が、今度はエリアスが。当たり前のように自分を最優先してくれると無邪気に信じていたせいで、無防備な心は簡単に傷つく。期待し過ぎた自分が愚かなのか。愛する人が、自分と同じように愛してくれると期待してはいけないのか。
――わたしは、あの頃のままだ。
悔しさにアウラは唇をわなわなと震わせた。怒りの矛先は彼と自分とを行ったり来たり、堂々巡りを繰り返す。
「……不安、なんだ」ふいにエリアスが囁いた。「僕はまた、ただ担がれているだけなんじゃないかって。父も、ソールヴも、ブルンドおじさんも、トーレも、皆がそうしようとした。今度もまたドルイドやら予言やらに利用されているだけだったら、僕は……極北の地へ行けても駄目なんじゃないかって気がして……」
わたしなら決して愛する者を一人にはしない。けれど、エリアスは一人で行くことを望んでいる。自分自身を試し、何かを証明したいと思っている。ならば答えは一つしかない。問題はそれを受け入れられるかどうかだ――。
どれだけの間そうしていたかわからないが、やがてアウラは「……分かった」と呟いた。エリアスの口から漏れたのは感謝の言葉ではなく、謝罪だった。「ごめん」
「これが最後の夜になるかもしれないね」
嫌味を込めて意地悪く言う。それに気付けないエリアスではないと思うが、彼はいつものように真面目なのか鈍感なのか分からない返事をした。
「今晩だけが特別じゃない。いつだってそうさ。僕らにはいつだって今この瞬間しかないから、だから後悔しないよう精一杯生きなくちゃ……」
エリアスは愛を証明しようとするかのように唇を重ね、アウラは年頃の娘の情熱でもって彼を受け入れた。彼を愛している。疑いようのない、その気持ちだけを信じて。
翌朝、不吉な曇り空の下では離脱する一団と行列に残るドルイドとが別れを惜しんでいた。しかし離脱していく彼らを強く引き留めようとする者は、泣き喚く子供以外に一人もいない。まるで生まれてから死ぬまで自分は孤独だと知っていて、たまたま一緒にいただけの人が離れて行くみたいに。
(でも、それが当たり前だなんて寂しすぎる。いつかの別れを想定した愛情なんて悲しすぎる。そんなのは間違っている)
「アウラ、エリアスと話さなくていいのか?」フィニが近くにきて声をかけてきた。
離脱する集団の中にいるエリアスは、頭を包帯でぐるぐる巻きにしたオコナー少年を背負っていた。高齢者ばかりの集団なので若い二人はやたらと目立つ。そして、そんな二人を苦々しく睨んでいるファードル。その表情だけが、ほんのわずかにアウラを慰める。
アウラは彼らに視線を向けたまま答えた。「いいよ。昨日たっぷり喧嘩したし」
「それなら、なおさら今のうちに話しておいたほうがいいんじゃ……」
「もう決めた事だから」
アウラはきっぱりと言い切った。たとえ自らの心を切り刻んででも前に進む……今はそういう強さが必要な時だから。たとえ彼を失っても先に進む強さを、わたしが持っていると彼は信じているから。




