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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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59.奪う者、奪われる者(3)

 オコナーは半分夢の中ながら、身体に掛けられたぼろ布の下から腕を出してその上を覆っている葉や蔓をゆっくりと払った。音を立てて近くにいる家族――父、母、祖父――を起こしてしまわないよう慎重に。地面に敷いた毛皮の上で上半身を持ち上げ、ぼろ布からゆっくり這い出る。夏の間は白夜のせいで分かり難いが、寝ぼけ眼でもまだ深夜なのは明らかだった。森の奥は青い薄闇に溶け、朝靄が地を這っている。木々は天を支える黒い柱のよう。どこかでホーとフクロウが鳴き、カサカサと生き物の足音がした。夜行性の小動物か何かだろう。


 オコナーは裸足のままふらつく足取りで歩き出した。足の裏に感じる地面の感触が頭まで伝われば意識もはっきりするに違いないが、まだ七歳の少年には睡眠が必要だった。だから早く用を済ませて寝床に戻らなければならない。


 オコナーの家族が〈芽吹きの地〉を目指すドルイドの行列に加わったのは五日前で、それまで聖地にすら行ったことの無かった少年は一度に一〇人以上の人間を初めて見た。彼が目を真ん丸にしたのを両親も祖父も「驚いてる」と笑ったが、目をむいたのは怖かったからだ。だから行列の中にいとこのライアンとその家族を見つけた時は嬉しかった。しかし、今では見つけなければ良かったと思っている。


 ぶるるっ、と身体が勝手に震えた。尿意のためだ。その翌日に起こった出来事を思い出したからではない。きっと、たぶん。


 適当な場所を見つけて木の根元を足で探った。もし誰かが寝床にしていたら大変だ。誰もいないのを確認して膝下まである裾をまくり上げ、下着の横から引っ張り出して用を足す。自分の足にひっかけないようにと下を向いていたオコナーだったが、聞きなれたメェという羊の声を聞いた気がして顔を上げた。朝靄の中、同じように白い羊はまるで亡霊のようだ。それを手で追い立てながら靄の中へ消えてゆくライアンの後ろ姿――いいや、そんなはずはない、見間違いだ。なぜならライアンはもう死んだ。四日前にオコナーの目の前で盗賊に殺された。


 〝逃げろ! ちび!〟

 それがライアンの最後の言葉だった。


 小便はいつの間にか止まっている。目をごしごしと擦って朝靄に目を凝らすと、遠ざかって行く人の背中がはっきり見えた。背格好は七つ年上だったライアンに似ているが別人だ。夢でも幻でもない。しかしそうなると、事態はより深刻になる。あれは誰で、どうしてうちの羊たちを連れて行こうとしているんだ?


 呼び止めようと一歩踏み出し、口を丸く開いたところで突然大きな手が顔の下半分を覆った。同時に太くて毛深い腕がオコナーの身体を締め上げる。つま先が地面から離れた。


「動くな。わめくな」


 耳元で囁かれる大人の男の声。生暖かい息が耳を湿らせる。命じられるまでもなく、恐怖で身動き一つできない。


「いいぞ、いいかよく聞け。耳を塞いで目を瞑り、ここでじっとしていろ。ゆっくり一〇を一〇回数えたらこっそり寝床に戻って全部忘れるんだ。お前は何も見ていないし、誰にもこの事は言わない。それが一番賢いやり方だ」


 背後から自分を捕まえている男は何者なのか。羊を盗もうとしている男の仲間なのは間違いない。


 〝逃げろ! ちび!〟


 最後にライアンはそう叫んだ。しかし身体は全く動かない。怖くて怖くて。


 〝真の敵は己が恐怖心だ。勇気を振り絞って戦うのだ〟


 祖父から毎日のように聞かされているドルイドの教えが脳裏に閃く。今こそ戦う時なのだろう。脱糞してしまうほどの恐怖に直面している今こそ。


「このガキ、クソを漏らし……ぐっ!?」


 オコナーは自分にできる最大限の攻撃をした。口を塞いでいる男の手に思いきり噛み付いてやった。男は痛みの声を飲み込んだが、手は緩んだ。するりと毛深い腕の間を抜けて地面に下りると、噛み千切った肉片をぺっと吐き出して全速力で駆け出す。後頭部の毛先を男の指先がかすめた。家族が寝ている場所はすぐそこだ。大きなイチイの木を二本過ぎた先。捕まらないよう左右に木を避ける。こんもり盛り上がった地面が三つ見えた。父さんと母さん。少し離れたところにお爺ちゃん。悪い奴がいるって知らせなきゃ。


「父さん、かあさ――ッ!」


 脳天に激しい衝撃を受け、目の前で火花が散った。頭を真っ二つに割られたかのような激痛。自分が立っているのかも、最後まで警告の声を上げられたのかも、オコナーには分からなくなった。


「……お前のせいで……」その声は耳元で囁かれているようでもあり、遠く地の底から響いてくるようでもあった。「お前のせいで、おやじとおふくろ……ジジイもか……殺らなきゃならなくなった……馬鹿が」


 赤く染まる視界、傾いた地面、古いブーツのかかと、目を覚ます父さんと母さん、禿頭の男、鈍く光る短剣――そして後悔は、血の味よりも苦かった。


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