58.奪う者、奪われる者(2)
スケイルズ船は船首を農場内の浜辺へ向けてまっすぐ進んだ。浜辺にいた女と少年が釣り竿や投網など漁の道具を手入れしながら船を指して何事か話していたが、船首が自分たちのほうへ向いたのを見て道具を放り出し農場内へと走って行った。スケイルズ船を実際に見たのは初めてかもしれない。そんな反応の鈍さだった。
熟練した船員たちは適切な速度で浜に突っ込み、船を止めた。五人を残して、ハラルドと一五人の海賊らは次々と船から飛び降りて農場に向かう。逃げ出した女と少年はまだロングハウスまでたどり着いていないが、大声で警告を発している。
「おい、おいおい、ちょっと、ハラルドさんよ!」船の縁から転がり落ちてべったり土に汚れたエリアスが短い脚を回転させて追いかけて来た。「そんなに急がなくてもいいだろ。相手が出てくるのを待ちゃあいい。勘違いされっぞ」
エリアスを無視してずんずん歩いていたハラルドは、立ち止まって振り向いた。「勘違い?」
「ああ、海賊が襲ってきたのかと……思われる」息を切らしてエリアスが言う。ハラルドは一呼吸置いて「そうか」と答え、歩を緩めたが、農場に向かって前進するのは止めなかった。
結局ハラルドは、農場内からぎりぎり弓の射程外という位置で止まった。追いついたエリアスが毛皮から湿った土をこそぎ落とそうと必死になっている間に、農場からも武装した男たちがぞろぞろと出て来て道を塞ぐ。成人したばかりの若者から壮年の男まで、総勢一二人。ハラルドの予想どおりの人数だ。みな血色も良く、豊かな暮らしぶりが窺える。おそらく製鉄炉もあるのだろう。身に着けた武具は長年受け継がれてきた使い古しではなく、新たに製造されたものに見える。先頭に堂々と立つ壮年の男は熊の毛皮を肩に掛け、ぴかぴか光る板金の胴鎧を身に着けて、まるで王のごとき風格であった。両手を毛皮のマントの下に隠し、肩をいからせて腰に吊るした立派な剣をこれ見よがしにしている。アルダー地方の中心をエドヴァルド王のいるアルトレイムとするならばここは辺境だが、スケイルズ王エイリークの従士であるハラルドや、ヨルゲン王の息子であるエリアスのほうがみすぼらしく見えるほどだ。
男はゴルダー河からやってきた一同を見回してハラルドに目を留め、その長身と張り合おうとするかのように顎を上げた。睨み合う両者の緊張が沈黙の中で周囲に伝播していく。どちらかが一声「かかれ」と合図すれば戦いが始まりそうな雰囲気の中、エリアスはお似合いの猪兜とつながった毛皮から湿った土をこそぎ落とそうと奮闘していたが、ついには諦めて兜を脱ぎ、背後のアード人に放り投げると場違いに陽気な声で挨拶した。
「やぁやぁ、はじめまして! 俺はアードリグの主にしてアード地方の王ヨルゲンの息子エリアス。こっちはエイリーク王の従士でハラルド船団長だ」
両手を広げて手のひらを見せながら一歩前に出たエリアスに、農場の人々は武器を持ち上げた。そして再びの沈黙。エリアスは相手が名乗るのを待っていたようだったが、その気配は無く、結局自分から尋ねた。
「えーと……それで、あんたの名前を聞かせてくれねぇか」
ついに相手の男が言葉を発した。「なぜだ?」
「おっと、言葉が通じねぇのかと思ったぜ。あ、別に侮辱してるわけじゃねぇんだ。訛りとか、そういう意味よ。ぶへへ……今や四王の時代、俺たちゃ仲間だ。仲良くしようぜ」
壮年の男はエリアスを見ようともせず、ハラルドと睨み合ったまま「四王? なんだ、それは?」と聞き返す。
待ってましたとばかりにエリアスが、「おっと、まだ知らねぇみてぇだな。四王ってのは――」と、四王の成立からドルイド討伐軍に至るまでの経緯を流暢に説明し始めた。身振り手振りを交えた軽妙な語り口は聞く者の興味を惹いたが、壮年の男だけは変わらずハラルドをじっと見つめていて、ハラルドも相手の瞳を覗き込んでいた。その奥に潜む心の動きさえ見逃すまい、と。
「――と、いうわけで、俺たちドルイド討伐軍に協力してもらいたい。もちろんただで物を寄越せってんじゃねぇ。代価はきっちりエドヴァルド王に請求してくれ」
説明を終えたエリアスは今度こそ相手の出方を待った。緊張感のある沈黙を経て、壮年の男が重々しい口を開く。
「俺はトアキルの息子スヴェレ。この土地と農場は父から継いだ俺のものだ。アルトレイムなど行ったこともないし、エドヴァルドというやつも知らん。そして、突然やって来たアード人とスケイルズ人の戯言を信じるようなバカでもない。立ち去れ、二度と戻って来るな。次は言葉など交わさない」
エリアスは間抜けのようにぽかんと口をあけた。「マジかよ……」と絶句しかけたが、何とか言葉を続ける。「い、いやっ、ならこれはアルトレイムに行ってエドヴァルド王に会う良い機会だ。俺らに協力したとなりゃ覚えもめでてぇし、実際より多めに請求したって誰にもわかりゃしねぇ! 戯言じゃねぇっていう証拠ならあるんだ」エリアスはベルトから革の筒を取り外した。「ほら、これだ! 四王の証文だ。もちろんエドヴァルド王の一筆もある。本物だぞ」
ここで初めてスヴェレの目が動いた。まずエリアス、次に革の筒。そして毛皮の下から左手を伸ばす。ほぼ同時にハラルドも動いた。頭の中で何度も繰り返した動きを完璧になぞる。
前に出ていたエリアスの後ろ襟を掴んで引き倒しながら踏み込み、左手で剣を抜きざま横に一閃。長い腕を鞭のようにしならせて振るった剣は目にも留まらぬ速さで、実際誰一人として反応しなかった。振り抜いて止まった剣先には血の一滴さえ付いておらず、ヒィィンと微かに鳴動する白刃を見て誰かが「あっ」と言っただけだった。スヴェレの喉に赤い線が一筋、つぅと横に伸びる。次の瞬間、ぱっくりと開いて鮮やかな桃色の中身が覗いたかと思うと、噴き出した血が文字通り血の雨となって尻もちをついたエリアスの上に降り注ぐ。それを合図にスケイルズの海賊たちがわっと声を上げて武器を振り上げた。
農場の男たちは一瞬不意を突かれたかに見えたが、すぐに武器と盾を構える。この場にいて戦いを予期していなかった者がいたとしたらエリアスだけだったろう。鮮血をまき散らしながらがっくりと膝をついたスヴェレの、毛皮の下に隠されていた右手から抜身の短剣がすべり落ちる。ほんの一瞬遅ければ、その短剣は今頃エリアスの丸々とした腹に埋まっていたかもしれない。
ハラルドは死にゆくスヴェレの肩を踏み台にして飛び上がり、右手の曲刀を抜きながら敵の中へと飛び込んだ。ぴゅんぴゅんと鞭のような音を立てて左右の剣を振るうと、敵の一人は武器を握っていた手の指を三本飛ばされ、別の一人は盾を持ち上げようとしていた腕の筋を絶たれて、それぞれ得物を落とす。どちらも命を奪うような傷ではないが戦場においては致命的な隙を生んだ。二人の男が武器を構えなおすより早く、ハラルドに続いて飛び出してきた海賊たちにとどめを刺される。
その間にハラルドは三人目と相対していた。怒りに燃えて振り回される斧は、当たれば腕でも脚でも叩き切ってしまうだろう。ハラルドの細い胴体なら輪切りにすることさえできるかもしれない恐るべき一撃だが、ハラルドは足と体捌きだけでその攻撃を避けつつ同時に反撃した。右手の曲刀で脇の下を切り裂き、後ろに回り込みながら左手の曲刀で膝の後ろを突く。怒りに目が眩んだ戦士は痛みなど感じていないかのように歯をむき出しにして唸ったが、身体のほうは怪我を無視して動くわけではない。素早く動くハラルドを追って振り向こうとし、がくっと膝から崩れたところを、海賊の斧に頭を割られて死んだ。
これこそハラルドの戦い方であった。曲刀の絶妙な反りは肉を切り裂く鋭さを持つが、鉄には通用しない。鎧に覆われていない部分を素早く正確に攻撃して敵を崩し、かく乱して、味方を勝利に導く。
ハラルドという楔が敵陣に食い込んだ時点で、この戦いは乱戦のうちに決着するかと思われたがそう上手くはいかなかった。相手側の戦士の一人が素早く戦列を立て直し、農場への後退を指揮する。ハラルドを孤立させないように仲間の海賊が左右を固め、両陣分かれての武器と盾の叩きつけ合いが始まった。後退する敵を追って戦いの場が移動していく中、ハラルドはロングハウスの屋根の上にいる敵の射手に注目した。すでに矢を番えているが、狙いが定まっていない。味方の後退を助けるならハラルドたちを狙うべきだが、接近し過ぎていて味方に当ててしまう可能性もある。それでも矢を放つ自信と度胸があるなら少々厄介だったが、狙いが自分たちから逸れるのを見て脅威にならないと判断した。
射手は、後方でのろのろしているエリアスたちを狙ったらしい。肩越しにちらりと見れば、エリアスは二人のアード人の盾に守られている。しかも、放たれた矢は盾まで届きもせず地面に突き刺さった。続く二射も誰を狙っているのかわからない中途半端な位置に飛んでいく。そんな迷い矢を飛ばしているうちに農場の男たちは一人また一人と、戦い慣れた海賊たちの手にかかって死んでいった。不意打ちから味方を立て直し、後退を指揮してきた戦士が農場内へ続く柵に血塗れの手をかけた時、立っていたのはもう彼一人だった。そして背後から振り下ろされた斧に背骨を折られ、柵にもたれかかって死んだ。
海賊たちは自分のものではない血に塗れて農場内に侵入した。浜から壁のように見えたロングハウスは四棟あるうちの一つで、四角形の一辺を担っている。大きな納屋は見える範囲に二つ。家畜の囲いは見えないが、これだけの農場なら相当数の家畜を持っているはずである。水車小屋に目をやると、ちょうど誰かが扉を閉めた瞬間だった。
手慣れた海賊たちはいつもどおりに行動した。何組かに別れてそれぞれの建物を制圧しに向かう。「ぎゃっ」という声がロングハウスの上で聞こえ、どさりと射手が落ちてきた。胸に矢を受けている。船に残してきた船員たちが襲撃の成功を確信して、その後の仕事を手伝うために追いかけてきたのだろう。ロングハウスの扉が打ち壊され、中から剣を手にした老人が飛び出して来たが返り討ちにあった。納屋に潜んで待ち伏せしていた老婆も同様の運命を辿る。悲鳴を上げて逃げ出した女は背に矢を受けて倒れた。
それらを目の端に捉えながら、ハラルドは大股で水車小屋へと向かう。納屋の陰に隠れていた囲いが見えてきて、中にはたくさんの羊と豚がいた。群がっているニワトリを蹴散らして、ハラルドは水車小屋の前に立つ。扉は修理が必要なほどガタついていた。剣の柄頭を何度か叩きつけるだけでよかった。血に塗れた二本の曲刀を持つハラルドの姿は、中にいる者にとって恐ろしいものだったろう。しかし、水車小屋の中にいた二人は悲鳴一つ漏らさなかった。
ゴトンゴトンと回る水車が主軸を回し、石臼が粉を引いている。一定の間隔で繰り返されるそんな音に満ちた小屋の中には麻袋が山と積まれ、石臼と麻袋の間に大柄な女が一人、背後の少年を庇って立っていた。潤んだ瞳は怒りと憎しみに満ち、右手には短槍、左手には盾を構えている。
「……負けを認める」女は悔しさを滲ませて言った。「この農場も、ここにある何もかも、あんたらにやる……だけどあたしと、この子の命だけは見逃してくれないか? 後生だよ」
ハラルドは無防備に見えるほど両手の曲刀をだらりと下げたまま即答した。「馬鹿を言え。ありえん」
ぎっ、と女は歯ぎしりして短槍を握りなおし、盾を前に出して突進してきた。狭い室内ではほとんど避ける場所がない。左には石臼と短槍、右には壁と盾。右に避ければ女は壁を利用して盾でハラルドを抑えつけ、槍でとどめを刺すだろう。それでもハラルドは右を選んだ。助走をつけて麻袋を踏み台に飛び上がり、壁を蹴って女の頭上を越え、背後に着地する。埃と粉が舞う中、女はハラルドの軽業に目を丸くして踏みとどまろうとし――その前にハラルドは女の背中を思い切り蹴った。大柄な女は勢いそのまま飛ぶように倒れて石臼で額を強打した。音に満ちた水車小屋の中でも聞き取れるほどの鈍い音がして、跳ね返って倒れる。額はぱっくりと割れて赤い皮膚の下から白い頭蓋骨が見えた。溢れる血がすぐに何もかもを真っ赤に染める。
ハラルドはすぐさま踵を返した。七歳前後と思われる少年は脱穀に使う棒を両手で握りしめ、倒れた女をじっと見つめている。その瞳から涙が溢れ出し、きゅう、と泣き声が喉の奥から漏れ出たが、それでも棒を構えてハラルドを睨みつけた。鼓動何回分かの沈黙。
「俺が怖いか」
少年は真っ赤な顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらも、首を横に振った。
「俺が憎いか」
少年は首を縦に振り、嗚咽混じりながら、はっきりと答える。「いつか、必ず、お前を殺す」
「……そうか。それでこそ、北方の男だ。お前の母も見事だった。〈大地の館〉で会えるだろう」
ハラルドは言葉とともに剣先を少年の柔らかい胸に刺し込んだ。剣は肋骨の間を抜けて心臓に達し、その鼓動を妨げ、少年はごふっと血を吐いて倒れる。剣を抜き、びくんと最後の痙攣をする少年を尻目に振り返ると、水車小屋の戸口にエリアスが立っていた。栗色の髪は血に塗れて黒く見える。顔も半分は血化粧で、残り半分は真っ青だ。
「ハラルド……あんた、今……こ、子供を殺したのか?」
唇を震わせるエリアスに、ハラルドは「ああ」と答える。
「戦士でもない……大人でもない……剣すら持ってない……」
「この農場の人間は皆殺しにする。女も子供も老人も関係ない。それに、この少年は俺の目の前で一人前の男になった」ハラルドは女の死を確かめてから体を跨いで水車小屋の戸口に向かう。
「だから殺した? あんたほどの戦士が……こんな子供一人の復讐を恐れたってのか?」
エリアスの目は少年の死体に釘付けで、声には嘲りではなく非難の響きがあった。ハラルドは彼の前に立ち、見下ろして答える。
「そうだ。いずれ成長して、老いた俺を殺しにくるかもしれない。だが、恐れているのはそんなことではない。彼の復讐心が殺すのは俺だけではないかもしれん。俺の妻や子や、仲間、友人、一族郎党にいたるまで皆殺しにするかもしれん。たった一人の人間の復讐心を侮るな」
ハラルドはエリアスの肩に手を置いた。微かに震えている。「今日のことをよく覚えておけ。自分が何者なのか。お前が……ヨルゲンの息子であるならば」
エリアスの脇を抜けて、ハラルドは水車小屋から外に出た。農場内のどこからか悲鳴が聞こえてくる。その足をエリアスの大声が引き止めた。
「俺のためだってか! はっ! 言われなくてもわかってらぁ!」
ハラルドは振り返りもせず歩を進めた。北方において強者とは奪う者であり、その最たる者が王なのだ。お前はその王になるのだろう、と心の中で呼びかける。〝汝欲するなら勝ち取れ〟だ。




