57.奪う者、奪われる者(1)
ドルイドたちが逃げおおせてから三日後の夜、ドルイド討伐軍はやっとゴルダー河の対岸へと上陸した。
「あーあ、こんなことになっちまうとはな」
上陸するなりエリアスはぼやいて、栗色の髪をガシガシと掻く。白いフケが肩に落ち、その中にノミやシラミを見たような気がしてハラルドは眉間に皺を寄せた。アードの連中に貸した毛布や天幕は煙で燻したほうが良さそうだ。
「これからどうする。一度アードリグまで戻るか?」ハラルドは少々の皮肉を込めて尋ねた。それでは何のために大河を渡ったのか分からないし、〝ドルイドに逃げられました〟と報告することになるので選択肢としてあり得ない。しかしエリアスは頭を掻きながら、「ま、それもありだな」と呟いた。
「……本気か?」驚いて聞き返すと、エリアスは真顔で返した。「俺はいつだってマジだぜ」それが逆に冗談のようでもあり、付き合っているのが馬鹿らしくなったハラルドは立ち止まって周囲に目を向けた。
空は灰色の雲に覆われ、白夜であっても薄暗い。生暖かく湿った風が雨の気配を運んできている。北に広がる森の闇は深くて不気味だが、日没から日出までのごく短い時間を除けばドルイドたちの痕跡を見つけることは可能だろう。しかしそうしたところで、スケイルズ人とアード人からなるドルイド討伐軍はこの付近の地理に詳しくなく、闇雲に追跡はできない。そもそもこんなところまで来る想定は無かった。
ドルイド討伐軍の主たる目的は実のところ、ドルイドの処刑ではない。アード地方の農場を回りながら四王成立の話を広め、ドルイド討伐という目的に協力させることで体制を確立させる。そのための先触れ役なのだ。家族単位で広大な北方の森に隠れ住むドルイドを狩り出すのは簡単ではなく、各地の協力を得ても、数年かかるだろうと容易に想像できる。しかしドルイドたちがまとまって逃げ出すという事態を想像できた者はいなかった。ドルイド討伐軍はその名目上追わざるを得なくなり、そうして、ついにはアルダー地方にまで来てしまった。
ドルイドたちの痕跡を見つけるためだけでなく、周囲の状況を把握するためにも、いくつか偵察隊を出す必要がある。その後でなければドルイド討伐軍は動けない。ハラルドは振り向いて船の係留作業をしている仲間たちに野営の準備を指示した。背後ではエリアスも同様の指示を出している。さらにもう一つ、重大な問題があった。ドルイドたちは農場や人のいる場所を通らなかったので、ドルイド討伐軍には最初に用意してきた手持ちの食糧しかない。行軍しながらの狩りや採集では焼け石に水で、本格的に補給しなければならない状況に陥っていたのだった。
「アルトレイムに使者を送れば、エドヴァルドは物資の提供を断りゃしねぇだろう。アードとスケイルズは兵を出し、アルダーは物を出すって約束だ。そもそも四王の発起人はヤツなんだしよ。ただ問題は――」
その晩、降りだした雨がパタパタと天幕を叩くその下で、エリアスはそう話を切り出した。明かりは木箱の上に立てたロウソク一本きりで、周囲にいる男たちの顔をぼんやり照らしている。酒臭い息と獣じみた体臭が充満する中、ハラルドはなるべく端に寄って地面に直接尻を付けないよう腰を下ろしていた。天幕の隅から雨水が染み出してきていたからだ。尻を濡らすのは良くない。
「問題は、ここからアルトレイムまでの道を知ってるヤツがいねぇってことだ。あんたのほうはどうだ、ハラルド?」
暗がりの中に屈んだままハラルドは肩をすくめた。「だいたいの位置は分かるが……ここからでは道を探しながらになってしまうな」
「ぶへへっ、そりゃ大冒険になるぞ。吟遊詩人を同行させねぇとな!」
エリアスがニヤリとして、何人かのアード人は喉の奥で笑った。ハラルドはそれらを無視して話を進める。「それで、どうする?」
「すんなりアルトレイムまで行けたとしても補給を待ってたら何日もここで足止めを食っちまう。そうなりゃさすがにもう追えねぇ。だから偵察隊にはドルイドどもの痕跡だけじゃなく、この近くに農場がないか探させる。んで、そこのヤツと交渉して食い物その他を手に入れる。当然、代価はエドヴァルド持ちだ。豪族と揉めた時のためとか何とかで持たされた四王の証文が役に立つってわけさ。ケツ拭きに使わなくて良かった」
ハラルドは足元に視線を落とした。川岸の柔らかい土を雨水が浸食していくのを見つめながら、頭の中で計画を理解する。「……そうか。なら、俺の船を出そう。川沿いには農場があるものだ。上流に向かいながら探す」
「なるほど、あんたの言うとおりだ。そうしてくれ……あ、念のため言っとくが、俺も一緒に行くぞ」
細い雨水の流れが蛇のようにゆっくりと伸びていく様は、流れる血を連想させた。「構わん。もう少し明るくなったら出る。同行者は五人までだ」
立ち上がって幕をくぐり、ハラルドは外に出た。雨除けにフードを目深に被って、自分たちの船へとぬかるんだ地面を歩いて戻る。それから出航まで身体を冷やさないよう雨宿りして過ごしたかったがそうもいかず、自分が不在の間の指示や、偵察隊の編成などに時間を費やした。
翌朝、森が吐き出す霧の中をハラルドの船は二〇人の仲間と、エリアス含む三人のアード人を乗せて野営地の岸を離れた。白く煙る河の上をスケイルズ船は滑るように漕走する。一定の拍子で繰り返される櫂の音は、まるで母親の心音を聞いているかのように眠りを誘った。何度か目を閉じているうちに弱まっていた雨も完全に止み、船上の人々は濡れたマントや服を広げて乾かし始める。見上げれば相変わらずの曇り空だが、雲は薄くなってきていた。対してゴルダー河北岸の景色は全く変わらない。延々と森が続き、寄ったり離れたりする程度だ。
しばらくすると突然、明るい森が現れた。まばらな木々の合間には切り株が残り、自然なままの暗い森は内陸へと追いやられている。川岸から離れた場所に木の壁が見えた。囲いの向こうにはロングハウスの屋根があり、排煙孔からは細い薄煙が立ち昇っている。一際高い建物は納屋だろう。切り開いた森には家畜を離すのかもしれないが、まだ外に出してはいない。速度を落として船上から農場の様子を眺めていると、エリアスが天幕から出てきて「さっそく見つかったなぁ!」と嬉しそうに声を上げた。だが船はハラルドが命じないかぎり岸へは寄らないし、そのつもりもない。
「いや、あれは駄目だ」漕ぎ手に合図して、船の速度を戻させる。
エリアスは口をぽかんとあけて馬鹿みたいな顔をした。「へ? なんでだよ?」
「小さすぎる。あの規模の農場で得られる程度のものでは一時しのぎにしかならない」
「いくつか回ればいいじゃねぇか」
「もっと上流に行って、大きな農場が見つからなかったらそうする。どうせ帰りにまた通る」
「まぁ……そうだな。ここはあんたに任せるか」エリアスはのそのそと天幕の中へ戻って行った。
次に見つけた農場も条件が悪く、スケイルズ船はそれから半日以上も上流へ進んだ。河幅はますます広がり、流れに逆らって進む船の船首は北東へと向きを変えていく。ゴルダー河がその巨体を北へと曲げ始めていた。北岸に見える森は遠くなり、長い砂浜と干潟が続いている。水辺で暮らす者にとって悪くない場所だ。これなら、目的にかなう規模の農場があるはず――そんなハラルドの期待どおりに木の壁が見えてきた。先程までとは比べものにならない大きさ。水辺近くから、奥の森まで続いている。
ハラルドの合図で船は速度を落とした。
かなり立派な農場だった。壁は水辺まで自分たちの土地だといわんばかりに浜から農場をぐるりと囲っている。この辺りでは、河から来る脅威は少なく、得る物のほうが多いのだろう。壁は森側を警戒するよう造られており、奥にある農場と砂浜の間には横たわるロングハウスと低い柵しかない。壁のすぐ外側を流れる小川が水車をゆっくりと回していた。粉にして蓄えるだけの収穫があるなら期待できる。建物の数から推測するに住民は五、六家族といったところ。森から見れば砦のようかもしれないが、河から見ればほとんど無防備である。
「上陸準備だ!」
ハラルドが声を張ると、船員たちは「おう」と応えて船の向きを変えた。エリアスも天幕からのっそりと出てくる。「おお、すげぇな。これだけの農場なら、エドヴァルドの従士かもしれねぇ」




