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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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53.ゴルダー河を渡って(2)

 ブナ林を北へ進むと森は徐々に開けていき、低木がぽつぽつとあるだけの草に覆われた斜面を経て川岸へ至る。その手前の小高い場所にエリアスとアウラ、それにドルイドたち総勢一五人は居た。この場所から振り返ってもまだ河は見えないが、木々の合間から降り注ぐ日光は森の終わりを知らせている。


 南の空に目を凝らすと、青空の中を旋回する黒いカラスが見えた。カラスは〈動物共感〉の魔法によってフィニとつながっていて、追ってくる討伐軍の位置を知らせてくれている。ドルイドの射手一〇人とアウラはそのカラスを目印に矢を射るが、普通に放ってもやっと届くかどうかで威力も正確性も足りない。それを風使いのドルイド三人が補うという戦法だ。利点は、敵がこちらの位置を掴むまで一方的に攻撃できるところ、そして射手が敵の姿を――正確には自分の矢で敵が死ぬところを――見なくて済むというところだ。無論、それが誤魔化しに過ぎないことはエリアスもドルイドたちも承知しているが、思い切り矢を放てるようになったのは事実だった。唯一、敵の死を目撃しているのはカラスと共感しているフィニだけだが、彼はゴルダー河へ向かうドルイドの本集団と共にいて、〈風の声〉で状況だけ伝えてくれていた。


 第一射の後、『攻撃は成功している』とフィニから〈風の声〉が届いた。すなわち、何人かの敵を殺したということだ。微かな声の震えは現場を見ているせいだろう。エリアスは結果を伝えず、ただ「第二射の準備を」とだけ指示した。魔法の援護が必要なため、普通に矢を射る要領で連射できないのが欠点だった。第二射、そして第三射と続けたところでカラスの旋回する範囲が楕円を描き始め、円の縁はこちらへ伸びてくる。敵が移動を始めたか……その予想を裏付けるように、フィニから〈風の声〉が届く。


『ばらばらに広がってこっちを探しながら走ってるみたいだ……あっ、何人かそっちに向かってるぞ!』


 一丸となって前進してくれればよかったが、こうなってしまうと、連射できないという欠点が致命的になる。狙えるのは分散した敵集団のうち一つだけ。より広範囲を目標にすれば闇雲に矢を放つのと変わらない。


(一番近い先頭集団にもう一射するか……いや駄目だ。範囲が広がり過ぎてもうカラスの動きでは位置が掴めない。先頭集団にだけ的を絞るようフィニに伝えても今からでは……ここまでか)


 エリアスは撤退を決めた。「十分です。皆と合流します。まだ見つかっていないけれど、敵が向かって来ています。急いで戻りましょう!」ドルイドたちはすぐさま踵を返して走り出し、エリアスもその後を追う。すんでのところで枝を避け、茂みに突っ込んではよろけ、木の幹に肩を打ちつけるも必死に走った。ひどく無様なエリアスと違ってドルイドたちはまるで野生動物のように森を駆け抜けていく。とても追いつける速さではない。かなりの距離が開いてしまって、何人かのドルイドは不安げに振り返ったが、エリアスは〝行け行け〟と手で合図した。ドルイドたちは視線を交わし合い、〈種子〉の指示に従って再び走り出す。


 エリアスは全力で走る以外にない。森は静かで鳥の声も虫の声も聞こえず、ただ自分の荒い呼吸だけが聞こえた。ドルイドたちの影すらもう見えず、近くを走っていたはずのアウラの姿もない。後方に気配を感じて、いつの間にか追い越してしまったのかと肩越しに目をやったが、木々の合間にちらりと見えたのは鈍い鎖帷子の輝き……アウラではなかった。


「こっちだ!」という男の声。アードの戦士だ。あちらこちらに残してしまったエリアスの痕跡を追って来ているようだ。


 慌てて前を向き、全力で走る。背後の気配は確実に追って来ている。追いつかれないかもしれないが、引き離すのも無理そうで、このまま逃げ続ければ敵をドルイドたちの居場所まで案内してしまうだろう。


 つまり、もう逃げられない――そう思うと、心臓は早鐘のようになり、全身に冷たい汗がどっと噴き出た。


 もう一度振り返る。ちらりとだが、見えたのは二人か三人だ。一対一でも勝てる見込みは薄いが、戦うしかない。その覚悟をドルイドたちに求めたのだから、自分もできていなくてはならないはずだろう。エリアスは自分にそう言い聞かせ、太いブナの幹の裏に背中をぴったりと付けて立ち止まった。背負っていた六尺棒(クォータースタッフ)を取り出し、紐を外して縦に抱える。なるべく呼吸を整えようと努力したが無理だった。深呼吸五回分の猶予しかなかった。


 戦士の放つ騒々しい音はどんどん近付いて来る。

「近いぞ!」

「どこだ?」

 声の主は二人。少なくとも二人はいる……。


 敵の気配はついに、エリアスが隠れている木の反対側にまで迫った。足音が慎重になっている。ここにいると気付かれているのかもしれない。エリアスは息を止めた。心臓が張り裂けそうだ。一歩、二歩、三歩と木のこちら側へ進んでくる敵の足音に神経を集中し――敵が姿を見せる瞬間を狙って棒の先端を地面に突き出した。


 自分でも驚くほど見事に決まった。棒は敵の右足と左足の間に入り、その鎖帷子を着た男は見事に転んだ。エリアスは無我夢中で「うおおっ!」という気合の声とともに、六尺棒(クォータースタッフ)を倒れた男の後頭部めがけて振り下ろす。鉄の兜を叩いたゴォンという音がして、男は地面に顔をうずめた。


 〝安心しない!〟


 訓練の時に何度も飛んだアウラの声が脳裏に閃き、エリアスは倒した男を飛び越えて六尺棒(クォータースタッフ)を回転させながら振り向いた。目の前にはもう一人の戦士が斧と盾を構えている。不意打ちの成功に安心して気を抜いていたら、今頃は背中から斬られていたかもしれない。そして、今度の相手とはまともに戦う以外にない。


 エリアスは素早く左右に目を走らせながら、じりじりと後退した。それが敵に口を開く余裕を与えてしまった。「おい! ここに一人いるぞ!」目の前の戦士が叫び、不意打ちに倒れた仲間の肩を蹴る。「いつまでも寝てんじゃねぇ」倒れていた男が呻いた。気絶したわけではなかったのか。すぐにも起き上がってきそうだ。


 エリアスは六尺棒(クォータースタッフ)を握りしめた。夏の昼間だというのに指先がまるで氷の棒を掴んでいるみたいに冷たい。悪寒で全身が震える。目の前の戦士はニヤリと残忍な笑みを浮かべた。エリアスを簡単に料理できる獲物だと判断したのだろう。せめて怒りの炎を燃やせたなら悪寒を振り払えたかもしれないが、そんな怒りは湧いてこなかった。ただ相手の笑みにトーレの面影を見て、立ち向かうボリスの背中を思い出しただけだった。


「おらあっ」と咆哮を上げて男は斧を振り上げる。エリアスの身体はびくりと反応して、六尺棒(クォータースタッフ)で相手の出足を突いた。敵は盾を下げてその攻撃を受け止めようとしたが、これはフェイントだ。エリアスは棒を回転させて突きを引っ込め、反対側で男の頭を力いっぱい殴った。兜がへこむほどの強打に男はぐらりと揺れる。やった、と思った瞬間、相手の男は踏みとどまって兜の下から怒りのこもった目をエリアスに向けた。こめかみの辺りからツツッと血が伝う。「んな棒っきれで俺をやれると思ってんのか、あ?」


 エリアスはもう一度、棒を回転させて渾身の一撃を繰り出したが単純すぎた。盾で防がれ、衝撃に持ち手が痺れる。顔をしかめたエリアスに、男はもう余裕の笑みすら見せず冷酷な表情で斧を振り上げた。


 空気を震わせて光が視界を横切る。縦にではなく、横に。


 息を呑んで目を細めたエリアスの眼前で、斧を持った男の腕に矢が突き立った。続けて二本目の矢が手首を貫き、男はついに武器を取り落とす。二人揃って矢が飛んできた方向を見ると、ブナの木の間に弓を構えたアウラが立っていた。三本目の矢が男の肩に刺さり、体が開いたところで四本目が喉を貫く。「ぬ……ぐ……」アードの戦士は口の端から血の泡を吹き、目をむいてその場に倒れた。


 矢が尽きたらしいアウラは弓でエリアスの足元を指し示しながら駆け寄ってくる。見ると、最初に不意打ちで倒した男が土を吐き出しながら今まさに立ち上がろうとしているところだった。エリアスには迷う余裕も選択肢も無かった。渾身の力を込めて、六尺棒(クォータースタッフ)を男の首の後ろめがけて振り下ろす。体重の乗ったその一撃は確かな手ごたえをエリアスに伝えた。首を守る毛皮越しにポキッという想像より軽い音がして、起き上がろうとしていた男は再び地に伏した。死んだ。間違いなく。手に残る感触と、耳に残る不気味な音がそう確信させる。


 自分が殺した男を見下ろしていると、すぐ近くまで来たアウラがエリアスの上腕を掴んだ。「走って、エリアス!」


 しかしエリアスはその場に立ち尽くしたまま、動こうとせずに首を左右に振った。「駄目だ、アウラ。僕らはほとんど囲まれている。もし抜け出せたとしても、皆のところに敵を連れて行ってしまうよ」


 言われてアウラは周囲を見回した。そしてぐっと唇を噛み、小さくため息をつく。すでに二人の周囲には敵が集まって来ていた。まだ北に逃げることはできるだろうが、振り切れはしないだろう。森を抜ければ身を隠せる場所は少なく、敵の目は多い。アウラは弓を捨てて、すらりと剣を抜いた。森に差し込む光が反射して白刃がキラリと光る。「背中合わせに」アウラの言うとおりにして、エリアスは六尺棒(クォータースタッフ)を構えた。迫り来る敵の姿はざっと見て一〇人ほど。アウラがいかに優れた剣士でもカティヤのような超人ではなく、敵もエリアスのような素人に毛が生えた程度ではない。二人に勝ち目が無いのは明らかだった。


「……わたしね、家を出る時に決めたの」


 肩越しに振り返ると、緊張してくっきりと浮かび上がったアウラの首筋が見えた。頬に光るものは汗か、涙か。


「どんな最後を迎えようと、意地でも、絶対に後悔しないって。それが自分の人生を生きたっていう証だと思うから。あなたもそうして」


 〝意地でも〟という言葉に込められた気持ちが、微かな震えと共に背中から伝わって来た。アウラの死を見るのはつらいが、自分の死をアウラに見せるのはもっとつらい。ほんの一瞬でも彼女をこの世界で独りぼっちにしたくなかった。だから鼓動一回分だけでいい。彼女よりも生きるのだ――そう決心した瞬間、突然すっと心が澄み渡った。これが本当の〝覚悟を決めた〟というやつなのかもしれない。あるいはただ諦めただけかもしれない。しかし、もうどうでも良いことだ。


 敵は圧倒的に有利な状況であるにもかかわらず、一気に攻めて来ず、じりじりと輪を狭めてきた。全員が完全武装で腰には幅広の片手剣(ブロードソード)。その他に盾か斧か槍を持っている。服装を見るにスケイルズ人だ。アウラはもっと早くから気付いていたろうに、その上で先程の言葉なのだとしたら、彼女の意地の何という強さか。


 今や敵は、一気に二人を圧し潰せるほどの距離で完全に包囲している。何を躊躇っているのか、エリアスには分からなかった。揃いも揃った厳めしい表情からは何も読み取れない。そしてついに、一人のスケイルズ人が大きなため息を吐きながら武器を下した。理由がわからず、エリアスは怪訝な表情でその男を見つめる。そういえばどこかで見たような顔だ。他のスケイルズ人たちも続けて武器を下し、アウラは誰にともなく、「いいの?」と問うた。最初に武器を下したスケイルズ人が答える。「お前はスケイルズを捨てた。もう仲間と見做すつもりはない。だが……良くて奴隷、悪ければ処刑されて客人(まれびと)の手に渡されるところだった俺たちを救ってくれた恩は忘れちゃいない。命には命をもって報いるべきだ」


 ここにいるスケイルズ人たちはソールヴの農場でアウラが解放した捕虜たちだった。アウラも剣を鞘に戻す。「あなたたちに貸しがあるとは思っていない。ソールヴの農場からスケロイ島まで戻れたのはあなたたちの協力があったからだ。わたしだけでは大海蛇の歯(サーペントトゥース)を越えられなかっただろうし……だけど、今はありがたく返してもらう。これで貸し借り無しね」


 スケイルズ人の男はうなずいた。「ああ、次に会った時はやるべきことをやる」


 アウラは無言のまま、ただ目で答えてから弓を拾い、「行こう、エリアス」と歩き出した。スケイルズ人たちの囲みを抜けた二人は徐々に足を速めてやがて走り出す。


「追っては来ないようだけど……僕らの行先を話したりしないかな?」


 走りながらエリアスが問うと、アウラは前を向いたまま答えた。


「わからないけど、見逃したなんてエスキルは言わないと思う」


「エスキル?」


「あの男の名前」


 そうして二人は森を抜けた。視界が開け、見渡す先には圧倒的な水量を誇るゴルダー河。川岸へ下る斜面はエリアスの膝上まである草花に覆われ、身を隠せるような低木はまばらにしかない。人間の姿は無く、白と黄色の小さな花と、光を透かして輝く虫たちが夏を謳歌している。


 エリアスは素早く左右を見やり、彼方に霞む対岸の地形を確認して、「こっちだ」とアウラの手を引いた。草を踏み折り、花を落とし、虫たちを払いながら二人は斜面を駆け下りる。草花に隠れた地面のでこぼこに足を取られて転びそうになりながらも、互いの手を引いて助け合った。汗に塗れた髪を振り乱して走る二人は、敵に追われているという事情を知らない者が見れば、子供のようにはしゃぐ若い恋人たちと思ったかもしれない。


 二人はそのまま川岸に飛び出してドルイドたちがいるはずの方向を見やり、その光景に息を弾ませたまま目を見開いた。


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