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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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46.約束の時

 大樹の根に包まれた(ほら)の中で、コランは約束の時が来たのを知った。ターナリエンをすぐ近くに感じる。まるで彼女がまだ肉体を持っていた頃のように。目を閉じていてもわかる。暖かな光がすぐ目の前にあり、手を差し伸べるようにして待っている。


 三〇〇年も待ち望んだ瞬間のはずなのに、コランは一瞬ためらった。彼女に導かれて肉体を離れる瞬間、心に浮かんだのはフィニのことだ――。


 ドルイドの木の(ほら)でスヤスヤと寝ていた赤ん坊。すぐ近くにはその子を運んできたらしい女が死んでいた。背中の切り傷はすぐに治療して、安静にしていれば助かったかもしれないが、自分よりも赤ん坊をここまで連れて来るほうを優先したらしい。血を失い過ぎていた。着ている服は立派でも、旅人のように薄汚れている。血と鉄の気配がして、コランは赤子を抱きあげて木の裏に姿を隠した。直後に二人の戦士が血の跡を辿って現われ、女の死体や周囲を探る。


「くそっ、赤ん坊はどこにいった?」


「ソーヴィ様が逃げ出した時には確かに抱えていた。手放すとは考えられんが……」


「ソーヴィ〝様〟だと? お前まさか、わざと見逃したんじゃあるまいな」


「呼び方が癖になっているだけだ。俺はもうエドヴァルド王の従士だぞ」


 睨み合う二人の背後から、ぞろぞろと数人の男たちがやって来て周囲はますます騒がしくなる。


「大丈夫か?」


「ああ、一緒にいた爺どもは片付けた。そっちは?」


「見ての通りだが、王子がいない」


「なんだって?」


 男たちは周辺を乱暴に探し回った。剣で茂みを払い、槍で土を剥がして、腹いせに枝を折る。コランはふと腕の中の赤子を見た。眠っていたはずの赤ん坊は目を開いて、泣きもせず老ドルイドを見つめている。コランは微笑みで応えたが、長い眉毛と髭が隠してしまったかもしれない。


「ゴルダー河を越えられちまうとはな。そのうえアード地方のこんなところまで……どこに逃げるつもりだったのやら」


「あまり長居するとアードの連中と出くわすかもしれん。確かこの辺はソールヴとかいう豪族の土地だったはずだ」


 赤ん坊の小さな手が白くて長い髭をぐいっと引っ張った。コランはその柔らかな手を優しく解く。


 男たちの一人が最後にぐるりと木の周りを回ってコランの目の前を通り過ぎた。「狼か野犬にでも持って行かれたんだろう。いずれにせよ森の中で赤ん坊が生き延びられるはずがない。この女と連中の死体を始末してしまえば出自を示すものも無いはずだ」


 その言葉に納得して、男たちは女の死体を担いで来た方へ戻って行った。再び髭を引っ張られ、見ると赤ん坊の小さな手がまた掴んでいた。今度は諦めてそのままにする。血と鉄の気配が遠くに消えてから、コランは赤子を胸に大樹へと歩き出した。その時にはもう赤子の名をフィニアスと決めていた。


 ――フィニは瞬く間に成長して、旅立って行った。今は〈乙女の湖〉だろうか。


 気が付くと、コランは〈乙女の湖〉を見下ろす針葉樹の上にいた。ターナリエンは隣にいる。つないだ手はもはやどこからどこまで彼で、どこからどこまでが彼女か分からなくなっている。湖の周囲には鉄を身に纏い、血の臭いがする刃を手にした男たちが大勢いた。一〇〇人以上はいるだろう。かつて赤子のフィニを追っていた男たちと同じように周辺を探し回っている。そこここにドルイドたちがいた痕跡はあるものの、当人たちは一人もいない。湖の中心にある小島には花が散らかったまま。石組みの炉や生活道具も一部は放置されている。


「くそっ、一人もいねぇ!」怒声を上げて彼らがいた痕跡を蹴散らす男たち。「こいつ、俺たちを騙したんだ!」縄で縛られた一人のドルイドに斧の刃を近づけると、ころころした玉のような若者が「やめろ」と制した。「そいつを傷付けても意味ねぇし、俺を騙したりもしねぇ。だよなァ?」


「も、もちろんだ。嘘は言っていない。ここは聖地だし、大夏(アウレアル)の儀式は今日のはずだ。でもあ、あれを見てくれ」ドルイドは斧の刃から逃れるように仰け反りながら、目で湖中央の小島を示す。「あそこの様子を見るに、儀式はもう終わっている。理由はわからないが、今年は早く儀式をやったんだ。こんなことは今まで無かった。信じてくれ……」


 縛られた男に冷や汗をかかせるには一瞬の沈黙で十分だった。「……もちろん、信じるぜ?」太った男はにやりと笑う。「俺とあんたの信頼関係が続く限り、あんたのお宝は生き続ける。あんたも俺を信じろ」


 太った男は斧を引っ込ませると、その持ち主と周囲の戦士たちに命じた。「周囲を徹底的に調べろ。ここから連中が逃げたなら何日前に発ったのか、どこに向かったのか。痕跡くれぇはあるはずだ」


 命令を受けて男たちは散らばり、太った男は一人ぶらぶらと湖に向かって歩いた。岸辺に残された花びらを拾い、においを嗅いでから興味無さそうに指で弾いて捨てる。珍しい形の剣を二本吊るした細長い男もやってきた。褐色の肌と黒髪は、異国の血が混じっている証し。「足跡を見つけた。ドルイドたちは集団でここを発った。三日前というところか」


 太った男は湖を眺めたままで、二人はお互いの顔を見ずに会話を続ける。「そうか。海賊は陸でも仕事が早ぇ。だけどそれ、黙っててくれねぇか」


「なぜだ。早く出発すればそのぶん早く追いつく。ドルイドには女子供、老人もいるはずだ。二日とかからんだろう」


「ここはアード地方で、陸は俺たちの領分だ。水の上が専門の海賊に先を越されちまうと立つ瀬が無ぇ。それに、俺の手下どもを褒めてやりてぇんだ」


 二人はしばらく沈黙した。細い男がぼそりと言う。「……好きにしろ」


 細い男は踵を返し、その背中に向けて太った男が言った。「心配すんな。悪いようにはしねぇよ」細い男はそれを無視して歩き去った。


 ――フィニはここにいない。〈風の大岩〉か。


 意識する必要もなく、コランとターナリエンは峡谷のような谷間の道の上にいた。耳の鋭い人間か、動物にしか聞こえない笛のような音が響いている。谷間の反対側には、鶏卵を逆さまにしたような巨石が立っていた。人間なら何十人分かというほどの大きさだが、接地面は人の頭くらいしかない。ぐいと一押しすれば倒れそうなのに、何百年も微動だにせずそこにあり続けている。表面には砂混じりの風によって刻まれた幾筋もの線が不思議な紋様を描いていて、谷間を吹く風が当たると笛のような音を鳴らした。〈風の大岩〉と呼ばれるドルイドの聖地である。


 大岩が立つ崖の上は平らで三〇人程度なら集まれる。そこに集まっていたと思しきドルイドたちはぞろぞろと谷底へ下る道を歩いていて、〈風の大岩〉の前に残っているのは守護者のセンナとエリアスだけだ。


「センナ老」エリアスに呼ばれて、〈風の大岩〉の守護者センナは谷間を見下ろすのを止めて振り向いた。エリアスの表情を見て、「そんな顔をしないで」と小さく優しげに微笑む。他の守護者と同じく白髪で皺だらけになってしまったが、そうした仕草にはまだ女性らしさが残っていた。しわがれたその声にも。


「もうすぐ私も約束の時を迎える。むしろ祝福して欲しい気分なの。若い貴方には理解できないでしょうけれど、私は人生の半分以上、〝どう最後を迎えるか〟ということばかり考えてきた。もう覚悟ができているなんていう言葉では言い表せないくらいにね。最後に〈種子〉と〈導き手〉、そしてドルイドたちの役に立てるならこれ以上はない」


「約束の時とは何なのですか? キアン老も時々その言葉を口にします」


「そうねぇ……」センナは少し考えてから、「ロマンチックな言い方をすれば、再会を約束した恋人が迎えに来てくれるという感じかしら」と年甲斐も無く言った。どう反応していいか困っているエリアスにセンナは話を続ける。「私たちは戦いに関して素人も同然。追手を足止めするには待ち伏せ攻撃が有効だと貴方が言うのならきっと正しいのでしょう。けれどもここに残る私と五人の弟子たちが、貴方たちのために犠牲になるとは考えないで欲しい。ここに残るのは自分のためで、だからこそ命を賭けられるのよ」


「それでも……」エリアスは口を開いた。「それでも言わせて下さい。センナ老……ありがとうございます。皆さんの犠牲は決して無駄にはしません」


 コランの意識は二人から離れて、谷底へ下るドルイドたちに引きつけられた。その最後尾にフィニとアウラの姿を見つけて思わず呼びかける。


 ――フィニ。


「えっ?」フィニは振り向いた。しかし目の焦点はコランを捉えていない。見えていないはずなのに、彼は悲しそうにくしゃっと眉間に皺を寄せた。


 ――悲しむことはない。わしとターナリエンは一つになり、この世界と溶け合うのだ。わしらは世界の隅々まで広がっていく。これからはどこにいても、ずっと一緒なんだよ。


「……フィニ? どうしたの?」


 あらぬ方向を見て立ち止まったままのフィニにアウラが声をかけた。フィニはぐっと口を結び、前を向く。


「いや。なんでもない。行こう」


 ――そうだ。前を向いて。

 歩け、フィニ。世界の果ての向こうまで。いずれ再び出会うその日まで――。


 *****


 アードの戦士たちが〈大樹〉までやって来た時、そこは普通の森となんら変わりなかった。さざめく葉、動物たちの気配、蛙の鳴き声、鳥の羽ばたき、鬱陶しい羽虫たち。人間の気配は全く無い。それでも戦士たちは命令に従って周囲を探索した。


「誰もいないみたいだが、本当に火を――」と一人が言いかけた時、別の戦士が声を上げる。


「おい、一人いるぞ」


 戦士たちは大樹の根元に集まった。ぽっかり空いた(ほら)を覗くと、暗闇の奥に小さな人影が見える。「お前。出て来い。素直に出てくれば苦しまないように死なせてやる」


 (ほら)の中から返事はない。松明を手にした戦士が、仲間を押しのけた。「痛い目をみなきゃ分からんようだな」戦士は中に入って行き、そしてすぐに一人で戻ってきた。仲間たちの怪訝な表情を見て説明する。「爺だ。もう死んでる。死体に木の根が絡みついて……気味が悪い。さっさと言われたとおりに燃やしちまおう」


 戦士たちは周囲に油をまき、干し草の束に火を付けて回った。そして最後に松明を(ほら)へと放り込む。大樹の根元はあっという間に燃え上がり、(ほら)は炎に包まれて、かつてコランだったものを灰にした。


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