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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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44.ウェルキエール

 カティヤはしっかりと竜騎士の鎧を着込んだ。綿入りの鎧下を着て、同じく頭巾を被り、曲面を多用した独特な形の鎧を一部分ずつ装着する。兜を被って竜剣と籠手を腰に吊るし、竜鞍を担いで家を出た。ギブリム・バン・ドスクスが出入口まで案内してくれる。


「ご武運を」ドワーフは拳を胸の前で合わせた。


 カティヤは不敵に微笑む。「大丈夫。むしろそっちのほうが無理難題でしょう。よろしくね」軽口を叩いて外に出た。


 土中を透過する感覚は二度目でも慣れなかったが、久しぶりの外気は洞窟の中でさえ新鮮に感じられた。大岩の下から山の斜面まで出て、まるで水面下から上がって来たように深呼吸する。甘く新鮮な山の空気。肺が冷気で満たされる。まだ午前中のはずだが外は暗かった。荒れた海のように波打つ山々には低い雨雲がまとわりつき、見上げた空も同様に灰色の雲が流れている。尾根の上に立って同じように空を見上げている純白のドラゴンはどことなく幽玄で、カティヤは不安になった。尾根に登るとドラゴンは訳知りに身を伏せる。籠手をはめてから竜鞍を装着し、カティヤはファーンヴァースの腕に足をかけてひらりとまたがった。


『ファーンヴァース……』


『わかっている』


 固定具を締めて取っ手を掴み、カティヤは努めて元気よく言った。『よし、行こう! ファーンヴァース!』


 掛け声を合図に立ち上がったドラゴンは翼を広げて二足歩行で尾根を駆けた。最後にどんどんどんと地面を蹴って灰色の空に飛び上がる。巨大な翼が力強くはばたいて流れる雲を吹き散らした。尾根はあっという間に灰色のヴェールに包まれて見えなくなる。予想どおり、上空は風が強く気流も乱れていた。雨雲と山頂に挟まれた窮屈な飛行がしばらく続く。鎧の表面はてらてらと濡れて、水滴が生まれては後ろへ流れていくようになり、やがて霧雨にぱちぱちと音を立てるような雨粒が混ざり始めて周囲はさらに暗くなっていった。二人は身体を左に傾けて、さらに高く険しい北の山々から距離を取り、ドワーフに教えられた西の峰を正面に捉える。ほとんど尾根のない尖った山で、先端が低い雨雲を突き抜けていた。


『いるな。こちらに気付いたぞ』


 カティヤはうんとうなずいて、念のため竜語魔法を唱える。『ファーンヴァース、我に力を』ドラゴンの力が全身を駆け巡り、真に竜騎士としての力を彼女に与えた。


 下界は灰色の雲海で、西の峰はそこに浮かぶ小島のようだった。上空まで灰色の霧に満たされたような視界の悪さだが、ドラゴンの目ははっきりと相手の存在を捉えている。隠した動揺に、カティヤの心も揺れた。


(でも、やるしかないよ……ファーンヴァース)


 覚悟を決めて、ドラゴンの視力を頼りにダーガを確認したカティヤは思わず兜の中で呟いた。「え? なにあれ……」


 峰を飛び立ち、こちらへ向かって来る白銀のドラゴン。紫色の瞳は爬虫類のそれで知性は微塵も感じられない。だが、その背には人がいた。カティヤと同じように竜鞍に跨った騎士が。


『ファーンヴァース、人がいる! ダーガにも竜騎士がいるの!?』


『そんなはずはない。ダーガに高度な竜語魔法は使えない。それにウェルキエールが竜騎士を持ったこともない』


『でも……じゃあ、あれはなんなの!?』


『わからない!』


 竜騎士を乗せた白銀のドラゴンはまるで鏡写しのようにまっすぐこちらへ向かってくる。正面衝突寸前、ファーンヴァースが高度を落として両者はすれ違った。カティヤの頭上を白銀の鱗に覆われた腹が通り過ぎ、長い尾が背後に消える。すれ違いざま、カティヤははっきりと竜語を聞いた。『ファーンヴァース、待っていた』と彼女は言った。


『ファーンヴァース、彼女はまだドラゴンなんじゃないの!?』


『そんなはずは……ありえない』


 ファーンヴァースは長い首を上空に向けて垂直に上昇した。旋回して戻ってくるウェルキエールの上を背面飛行で通り過ぎ、くるりと回って背後を取る。速度を増して背後から近付いていくと、ウェルキエールの背にいる竜騎士が鞍の上で立ち上がった。ファーンヴァースの頭が胴体に並んだところで剣を抜き、頭を斬りつけようとする。カティヤは驚きに目を丸くしたまま、竜剣を抜いて投げつけた。短めの幅広な剣(ブロードソード)がくるくる回転しながら飛んで行き、謎の竜騎士の長剣に当たって跳ね上げる。魔法の武器同士がぶつかり合った時の不思議な色の火花が散り、ファーンヴァースは首を仰け反らせてウェルキエールから離れた。カティヤの剣は雲海へと落ちていく。


『攻撃してきた! 戦うしか……』


『行かないで、ファーンヴァース!』ウェルキエールの叫びが稲妻となって口から放たれる。まるですがりつくような電撃がファーンヴァースの尾から角の先まで走った。カティヤの全身にも雷光が這っていったが、竜語魔法による攻撃はドラゴンにも竜騎士にも深刻な影響を与えない。閃光とぴりぴりした感触に驚く程度だ。だが明らかな攻撃にファーンヴァースは動揺した。翼をばたつかせて何とか姿勢を維持する。その隙にウェルキエールは二人の頭上を取った。


 ――くそっ、やばい。

 カティヤは慌てて下半身の固定具を外しながら叫ぶ。『戻れ、竜剣!』


 ウェルキエールが身体を傾ける。その背から竜騎士が剣を頭上に掲げて飛び降りてきた。間一髪、立ち上がったカティヤの手に自分の剣が戻る。ファーンヴァースの背で再び不思議な色の火花が散った。振り下ろされた剣を受け止めて、カティヤはがっくりと膝を付く。そこへ相手の鋭い横蹴り。カティヤは吹っ飛ばされてファーンヴァースの背から落ちた。


 内臓が浮き上がり、心臓が膨らむような落下の恐怖など初めての戦いに比べればたいしたものではない。雲海へと落ちていくカティヤを追い抜いたファーンヴァースが空中でさらい、力強くはばたいて上昇気流を捉まえる。片腕で竜鞍の取っ手に掴まりながら、ぐんぐん垂直上昇するドラゴンの背から足元を見ると、ウェルキエールと竜騎士が追いかけてきている。


『ファーンヴァース、どうすれば……竜騎士と戦うなんて聞いてない』


『知識を共有する。かつての我が騎士ブレナダンは竜騎士と戦った経験がある』


『わかった。さっさとやって!』


 もはや選択の余地なく、カティヤはファーンヴァースを受け入れた。彼の動揺と期待までも流れ込んできて顔をしかめる。自分の身体で再現できるかわからないが、ともかくカティヤはブレナダンの戦いを知っていた(・・・・・)


『ファーンヴァース、このまま雲の上まで。抜けたら旋回しつつ下降』


 ファーンヴァースは言われたとおりにした。カキンカキンと鎧を打ち鳴らす雹の中を突き抜けて雲上へ出ると、そこは別世界のように光に満ちていた。すぐに身体を捻って斜めに傾けながら、しゅーっと風を切って旋回に入る。落差に身体がふわりと浮き上がるのを利用してカティヤは竜鞍に足を付いた。そこへウェルキエールがまっすぐ矢のように飛び出てくる。旋回中のファーンヴァースはほぼ垂直なので、カティヤからは頭上に竜鞍へしがみつく敵の背が見える位置になった。狙い通り。竜鞍を蹴って勢いよく跳躍する。


 カティヤは敵に向かって飛んだ。ウェルキエールの背にいる竜騎士は腰を捻って背後から迫るカティヤの剣を自らの剣で受け止める。だがそれも彼女の思惑どおりだった。がっちりと組み合った剣を支点にして両足をぶんと振り下ろし、伸ばした相手の腕に絡めて手首を捻る。手加減なしにへし折るつもりだったが、さすがに竜騎士の力は強く、鎧は頑丈だった。関節の部品が歪んで弾け飛ぶ。さらに力を加える前に、敵の竜騎士は竜鞍を放棄して空中へ身を投げ出した。カティヤもまた一緒になってドラゴンの背から落ちる。ぐるぐると上も下も関係なく、二人はめちゃくちゃに回転しつつ空中で格闘した。相手の身体を所かまわず殴りつけ、指先から鋭い刃――隠し武器ドラゴンクロウ――を出したほうの手首を掴んで阻止し、膝蹴りを加える。ぐんぐん迫る灰色の雲。日光がさっと謎の竜騎士の面甲に差し込んで、あっ、とカティヤが口を開いた瞬間に二人は雲中に没した。


 氷のつぶてが鎧の表面を打ち、すぐにバチバチと大粒の雨に変わる。灰色の世界では雨水と風の音しか聞こえない。だから敵の籠手がすっぽり外れて離れ離れになった時も、無音のまま雲の中へと吸い込まれて行ったように見えた。落下している感覚すら麻痺しそうな一面灰色の世界の中、ぬっと鋭いカギ爪の付いたドラゴンの手が現われてカティヤを鷲掴みにする。もちろんファーンヴァースだとわかっているので抵抗はしない。


『敵の正体がわかった。たぶん』


 薄い灰色のヴェールが次々に開かれ、二人は再び雲の下へと出た。風雨が強くなっている。雨が涙のようにドラゴンの赤い瞳を流れていく。


『敵はあんた自身だ、ファーンヴァース。これはあんたの夢。〈ドラゴンの夢〉だ。中にいる者にとっては現実と変わらないから、入った自覚が無ければ本人にもわからないんだ』


『いや、そんなことは……ありえん。何故』


『あたしだって知らないよ。でも敵の竜騎士はブレナダンだった。疑うんなら記憶を確認して』


 動揺してフラフラと飛ぶファーンヴァースは西の峰を周回して折り返した。


『私が、まだ彼女がそこにいると信じたかったから……彼女をブレナダンに守らせているのも私、ということか……確かにそれ以外には』


 バサバサと無様にはばたいてファーンヴァースは高度を上げた。東の空に白銀のきらめき。ウェルキエールが雲の下すれすれをこちらへと向かって来ている。その背には竜騎士ブレナダン。旋回するドラゴンと直進するドラゴンが雲の下で交差する。


『君はまだそこにいるのか、ウェルキエール』


『私はまだここにいる。ファーンヴァース』


 それだけ交わして再び離れた。


『なんということだ……』


 どこまでが夢でどこからが現実なのか。彼女に心が残っているなど絶対にあり得ない。けれど、もし、もし、もしかしたら。ファーンヴァースの深くて重い悲しみとあり得ない希望にカティヤは圧倒され、胸が張り裂けそうだった。竜騎士になってドラゴンの力を得れば、誰にも自分を自由にすることはできなくなる。そのはずだったのに、誰あろうドラゴン自身の感情に縛られている。いや、たとえ相手がドラゴンだったとしても――カティヤは奥歯を噛みしめた。そんなのは絶対に許さない。


『もう一度ダーガの上を取って』竜鞍の上でカティヤは中腰になった。剣は鞘に収めて両手で取っ手を掴む。


『どうするつもりだ』


『あんたの夢を終わらせてやる』


 旋回して戻ってくる白銀のドラゴンの上を行く気流に翼を乗せてファーンヴァースは空を滑った。カティヤは鞍の上で立ち上がると両手を握って頭上高く掲げ、ブレナダンの記憶にあった竜語魔法を叫ぶ。


『ファーンヴァース、我が心命を剣と成せ。いでよ、竜殺しの剣!』


 カティヤの結んだ両手から純白の光線が伸びて雲を貫いた。雲上の光が差し込み、二人と眼下のダーガを照らす。純白と白銀。ともに輝いて美しい。ファーンヴァースの感情が溢れてカティヤの頬を涙が伝った。これ以上邪魔をするな、という怒りを込めてカティヤは吠える。


「うあああああっ!」


 たん、と鞍を蹴って空中に飛び出し、竜語魔法の剣を振り下ろした。どこまでも長い純白の光線は雲と空を切り裂いて、音も、振動も、感触さえも無く、ダーガの長い首を通過する。刹那、カティヤの脳裏にまだドラゴンだった頃のウェルキエールが閃いた。


 〝ファーンヴァース、この世界は美しい。私はこの世界の一部になる。やがて自分より強い生き物か、老いによって私は死ぬ。そして私の身体は他の命と大地に溶けて世界と混ざり合うの。あなたに理解できないのはわかっている。だけどせめて、悲しまないで欲しい――〟


 すん、とダーガの頭がズレた。ぷつぷつと湧き出た血の粒は飛沫となって噴き出し、白銀の鱗を赤く染める。そのままダーガはくるくるときりもみ回転しながら落下して山の頂に激突した。土煙を上げて大小さまざまな石が跳ね飛び、どすんと頭部が落ちてその中を転がる。


 光の剣は薄氷が砕けるようにして散った。突然、全身から力が抜けて意識が明滅する。暗くなってゆく視界の中でファーンヴァースが自分を呼ぶ声がした。


 *****


 再び意識が戻った時、カティヤは地面の上に寝かされていた。目の前には白い皮膜の天井。これに助けられるのは二度目だ――そして突然はっきりと、あの夜の記憶が蘇った。


「それで君が仇討ちをして……この男を殺したのか?」ファーンヴァースの声。


 幼い自分の声が答える。「ううん、おうちが殺したの。屋根が落ちてきて押し潰しちゃった。でもその時はまだ生きてて、〝助けて〟って。泣きながら、〝助けて〟って。だから引っかかってる紐とか服とかを切って、引っ張ったんだけど重くて――」そこで時間切れだった。


 思わず笑ってしまった。赤いルビーの瞳が翼の下を覗く。『思い出したのか』


「ははっ、うん、あんたじゃなくても変だと思うわ。目の前で自分の家族を殺した男を助けようとして逃げ遅れたなんてね」


『ああ、本当に不可解だった……だが今は、とても君らしいと思う。ゆえに、君があの忌まわしき竜語魔法を使う可能性を考慮すべきだった。あれは命を削る』


 そして竜騎士にしか使えない。もちろんカティヤは知っていたが、「へぇ、そうなんだ……そういうことは先に言って」と、とぼけた。顔を横に向けると視界の隅に白銀の身体が横たわっているのが見える。


「ねぇ、ファーンヴァース。あの最後の瞬間にさ……」


『いや、あれも私の記憶に過ぎない』


 カティヤは緑の瞳ではっきりと、ファーンヴァースの赤い瞳を見据えた。


「あたしはそうは思わない」


『カティヤ……しかし』


「あたしはそうは思わないよ、ファーンヴァース」


 巨大な瞳は少しの間沈黙し、瞬いた。


『そうか。ありがとう、我が騎士よ』


 ドラゴンの翼が折りたたまれ、現れた空は青さを取り戻しつつある。白い薄雲が灰色の雨雲を東の空へと押しやろうとしていた。


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