43.ドラゴンの秘密
フレスミルの入口はそう遠くなかった。尾根に沿ってさらに山中へと進み、半ば埋もれるようにして突き出している大岩の下へ回り込むと隙間がある。ドワーフには十分な高さかもしれないが、カティヤにはぎりぎりで、ファーンヴァースは人間の姿になって頭を下げなければ通れなかった。内部はどう見ても天然自然の洞窟だがドワーフたちはずんずん歩いてゆき、一番奥の壁の中へと潜っていく。
もし知識を共有していなければ驚いて大騒ぎしただろうし、他の人間がこれを見たら仰天するのは確かだ。ドワーフが地中を移動したり岩の中に住んでいたりする物語は、この現場を目撃した誰かの話が元になっているのかもしれない。知識はあっても体験するのは初めてなので、カティヤはまず、土の壁を手で確かめた。泥の塊のような、わずかな抵抗感があるだけでずぶずぶと手が土の中へ沈んでいく。この壁は幻影などではなく、ドワーフの魔法によって許可された者だけが通行できるようになっているのだ。目を閉じて息を止め、えいやと突入すればあっという間に反対側へ出た。どこも全く汚れていないが、土の中を通過する感覚は奇妙で面白くなかった。
出た場所は明らかにドワーフの手によって整備された空間で、内部を完璧な半球状にくり抜いたような石のドームだった。天井には一切の歪みがなく、床には柔らかい砂が敷き詰めてある。高さ三〇フィート、直径六〇フィートほど。等間隔に立つ四角柱が四本、これを貫いている。振り返ると扉の代わりに土を詰めたような門があって、ぬっとファーンヴァースの頭が出てくるところだった。
「こちらへ。竜騎士殿。ファーンヴァース殿」ギブリム・バン・ドスクスが、下へと向かう階段の入口で呼んでいる。明かりが灯されているので目が慣れてくれば支障はない。ドワーフが暗闇でも物が見えるというのは迷信で、彼らが暗闇の中でも問題なく動けるのは人間にない特殊な感覚を持っているからだ。〈ドワーフの感覚〉とでもいうべきそれで周囲の振動を感知し、視覚に頼らず知覚できる。しかし、見えていない、という意味では人間と同じだ。
ギブリム・バン・ドスクスに続いて階段を下り、通路を歩く。一〇人くらいは横並びで歩けそうな道幅があり、左右の壁には扉が並んでいて、見上げれば天井付近に窓もある。通行しているドワーフたちはカティヤを見て立ち止まるが、ファーンヴァースを見て再び歩き出す。街角で髭を揺らして談笑していたドワーフたちはそそくさと扉の中へ消えていった。明らかに歓迎されていない。
地下通路はそれほど複雑に入り組んではいないが、扉や各所に標識が出ているのでそれを覚えておく必要はありそうだった。街は物語に出てくるドワーフの地下都市らしかったが、つるりとした継ぎ目のない石造りの壁や、照明灯や、滑り止め付の階段など実物はかなり洗練されている。ほとんどの人間は蟻かモグラの巣みたいなものを想像するだろうが、そんな原始的なものではない。もっと下の階層に行けば街がすっぽり地下に収まったような、まさしく地下都市というふうになっている。人間の町よりずっと階層構造が発達していて建物は複数階あるのが当たり前。橋や階段や昇降用の螺旋階段塔などが組み合わさって機能的に作り上げられている。と、知識だけはすでに頭の中にあった。交渉が上手く行けば実際に自分の目で見られるだろう。アウラと過ごす最後の時の中で。
住宅地らしき区画に少し入ったところでギブリム・バン・ドスクスは立ち止まった。「フレスミル滞在中はこちらでお過ごしください」と扉を指差す。「すぐに妹を来させますので。私は氏族評議会を要請せねばなりません」
「ありがとう、ギブリムさん」カティヤは会釈した。「この辺りを見て回っても?」
ドワーフはあまり良い反応をしなかった。「できれば控えていただきたい。必要なら妹が案内できる範囲でお願いします」
「そうします。それと、我々は急いでいます。可能な限り早い返答を期待します」
「努力しましょう」ギブリムは拳を胸の前で合わせて、短い足を気持ち早めに回転させて去って行った。
ドワーフサイズの扉を開けながらカティヤは思う。『すごく礼儀正しい人だ。北方人はドワーフを戦士の鑑みたいに思ってるけど、もっと柔らかい雰囲気だった』
『彼の祖父バルバスも父ドルドスも戦士だったが、彼は武器ではなく言葉を扱う仕事を選んだようだな』
扉の向こうは家だった。玄関の右手には地下室への湾曲した階段があり、左手には二階への階段と奥の部屋に続く戸口。全て石で出来ているが非常に滑らかで角も丸く加工されている。棚は壁を掘って作ったような備え付け。ベッドまでも石造りだ。全てが寸足らずのドワーフサイズなのは仕方ないが、石のベッドで寝るのはさすがに厳しいなと思っていると、ギブリム・バン・ドスクスの妹がやって来て柔らかい綿入れをベッドの凹みに詰めてくれた。彼女はバン家の娘と名乗った。
それから七日間もカティヤはその家で過ごすことになってしまった。地下は暑くも寒くもなく、ドワーフの家は機能的で清潔だったが、快適といえる精神状態ではなかった。アウラたちのことが気になっていたし、氏族評議会とやらの進捗状況も不明で、昼も夜もない地下世界は日に日に息苦しく感じられるようになった。バンニルにキノコ畑やら巨大モグラ牧場やらを案内してもらっても気晴らしにはならず、ファーンヴァースにたしなめられながらの精神修行のような日々。それもついに限界を迎え、今日こそ誰が何と言おうと氏族評議会に乗り込んでやる、と決心した朝にギブリム・バン・ドスクスがふらふらとやって来た。
「今朝方、氏族評議会の決定が下りました」
まるで食い殺さんとするかのごとく身を乗り出したカティヤの眼前にドワーフは巻物を突き付け、テーブルに広げた。それから今回の取引に関する当事者の確認などと言い出したので、「お願い。とにかくまず対価について教えて」とカティヤのほうから懇願する羽目になった。
「氏族評議会が求める対価は、西の峰に住み着いたダーガの討伐です」
『ダーガって?』
「特徴を教えてもらえるか」驚いたことにファーンヴァースはカティヤを無視して口を開いた。こんなことは初めてだった。
「はい。体色は銀色でファーンヴァース殿より二回りは大きく、西の峰の洞窟を住処にしています。ドワーフばかりを狙い、鎧兜の中身をほじくって喰らいます。洞窟の周囲には鎧兜がごろごろ転がっているとか……それが目印になるでしょう。最近は西の坑道にまで入り込んできたため閉鎖せざるを得なくなりました。今は別の入口を探しているようで、なんとかせねばと困っていたところです」
刹那、瑞々しくキラキラした感情がカティヤの胸を打った。まるで氷に触れたように、あるいは炎に触れたように、驚いて心を引っ込める。目が合うと、ファーンヴァースは二階に行ってしまった。
ドワーフは黙って見送り、話を続けようとしたのでカティヤは慌てた。「あ、その、ちょっと相談させて」ギブリム・バン・ドスクスは髭をもごもご動かして何か言ったが、ドラゴンと心を離してしまったカティヤにはもうドワーフ語が理解できなかった。「とにかく、ちょっと待ってて」と念押ししてファーンヴァースを追う。
二階にはテーブルと椅子のある居間と小さな寝室が二つある。長身のファーンヴァースが椅子に腰かけると子供用のものに無理やり大人が座っているようで滑稽だったが、今は笑える気分ではない。彼はいつもどおり無表情で壁を見ていた。
「ねぇ、どういうこと? いまのなに?」
ドラゴンの思念が再び接触してきたので、少し警戒しながら心を開く。もう先程のような感情の流入は無かった。
『竜砦に来た時、最初に〈竜の聖域〉の話をしたが君はあまり聞いていなかった』
『ドラゴンが引きこもってる異世界だっけ。だからこっちに残ったあんたたちの他にドラゴンはいないとかなんとか。それがなんなの?』
『引きこもっているという認識は誤りだ。〈竜の聖域〉が創造されたのはこの世界からドラゴンの神性を切り離し、世界の理を強固にするためだった。原初のドラゴンによって聖域とこの世界は隔絶され、ドラゴンはこの世界に実在しないものとなった。いまやそれが世界の理で、原初のドラゴン自身にも変えることはできない』
『で、あんたたちは例外と』
『例外ではなく特例だ。〈盟約〉のために実在することを一時許されているといったほうが理解しやすいか。それでも以前に比べれば神性は限定的になり、世界の理の影響下にある。ゆえに我らも通常の生物同様に老衰や怪我や病気で死ぬ。感情に振り回されて愚かな行動をすることさえある。他のどんな生物より長寿かつ強靭であるとはいえ――』
『さっきから何の話?』
『話は少し逸れたが君の疑問に答えようとしている。ダーガとは何か。〈竜の聖域〉が閉ざされた時、この世界に残ったドラゴンは我々だけではない。〈盟約〉のための特例という一時的なものではなく、この世界に残りたいと願ったドラゴンもいた』
『それがダーガ?』
『そうだ。ダーガあるいはエルフがワームと呼ぶ生物は、神性を失ったドラゴン。世界の理に取り込まれたドラゴンだ。その在り方には数例あるが、ほとんどは見た目どおりの存在になった。すなわち空を飛ぶ巨大なトカゲだ。普通の獣のように、欲求に従って生きている。理由は不明だが、何らかの偏執的な蒐集癖を持っていることが多い』
カティヤはダーガの正体だけでなく、先ほどファーンヴァースから流れ込んで来た感情の意味も理解した。『そうか、問題のダーガが……あんたの昔の知り合いかもしれないんだね』
暗闇の中で純白の髪がはっきりとうなずいた。
その瞬間カティヤが思ったのは、別の条件に変えてもらうことだった。しかしそれでまた何日も無駄にしてしまったら、今度こそ間に合わなくなってしまうかもしれない。そのダーガがファーンヴァースにとって特別に親しい存在だったとしても、『それでも、やるしかない』
『無論だ、カティヤ。ダーガに知性は残っていない。もはや彼女はどこにもいない』
カティヤは階段へ戻り、最後に『ありがとう』とだけ伝えた。取引は成立した。




